ポルトガルの旅8日目 (5)まだまだ乗り物三昧
リベルダーデ広場へ向けて、坂を上っていく。もう6時だが、雨だった昨日と比べればまだまだ明るい。
サン・ベント駅前に来ると、人がわんさかたむろしている。道理で今日は平日なのに街が浮ついた雰囲気だと思っていたら・・・
鳴り響く音に吸い寄せられるように、リベルダーデ広場へやって来ると、やっぱりお祭りをやってました。歩行者天国となった道路には、紙テープが散乱して足の踏み場もないほど。
ステージでは演劇が行われている。ポルトガル語なのでさっぱり内容が理解できませんが。
移動遊園地も出ており、夕闇迫る中で色とりどりのネオンがまばゆい光を放っている。
広場の北端には、高い時計塔が印象的な市庁舎が建っている。広場で浮かれ騒ぐ人間達を、彼はどのような想いで見つめているのだろうか。
この後は、折角市内交通の乗り放題チケットを持っているので、ポルトメトロの近場の未乗区間を乗り潰しに出掛けることにした。
まずはトリンダーデからD線の北の終点、Hospital São João(サン・ジョアン病院)へ。Estádio do Dragão~Trindade~Senhora da HoraではA・B・C・Eの系統が集中しており、Senhora da Horaから先で徐々に枝分かれしていく運行形態になっているが、D線はそれらとは独立した系統となっており、João de DeusとHospital São Joãoの間を単純往復している。
電車は地下を進み、天井が高く開放感のあるPólo Universitário駅を出ると、地上へ躍り出る。空はすっかり紺色に染まっていた。São Bento以南と同様に路面電車となり、程なく終点Hospital São Joãoに到着。ホームのすぐ向かい側には路線バスが待機しており、有機的な連携を実現している。
折り返しまで少々時間があったので、隣のIPO駅まで歩く。再びTrindadeに戻り、今度はEstádio do Dragão(ドラゴンスタジアム)へ。
Campanhãで地上に出て、一駅だけの未乗区間に入った所で検札。一両につき数人のグループで分担し、手早く乗車券のチェックが行われる。香港のLRTのように、カードの入った財布ごと読み取り機にタッチする人はおらず、みな律儀にカードを取り出していた。オクトパスカードとは使用形態が異なる為だが(詳しくは後述)、あの利便性を体験している身としては、ちょっと不便に感じる。
ちなみに、私の車両で一人不正乗車があったらしく、係員が物々しく取り囲んでいた。傍目から見ると完全に犯罪者扱いで、果たして日本の風土に信用乗車方式が受け入れられるのだろうかと、要らぬ心配をしてしまう。
終点Estádio do Dragãoは、その名の通りFCポルトの本拠地、ドラゴンスタジアムのすぐ横にある駅。駅の外に出ると、目の前の高速道路にはクルマがひっきりなしにビュンビュン走っているが、今日は試合がないために、周囲に人影は少なく閑散としている。それでも折り返し列車の発車時刻が近付くと、ホームには三々五々に乗客が集まって来た。
時刻は午後7時を回り、そろそろ夕食の時間。ポルトガル最後の晩餐は、ドウロ川沿いのカイス・ダ・リベイラで摂ることにする。
まずはメトロでサン・ベントへ。ここから「Funicular dos Guindais」と呼ばれるケーブルカーの、バターリャ駅まで徒歩で向かう。
地図に示されたポイントで駅を探していると、がらんとした風景の中にポツンと置かれているエレベーターが。降りてみると、それがケーブルカーの駅だった。
私がホームに降り立った所で発車してしまったが、それ程待つこともなく次の列車がやって来た。ポルトの交通システムに組み込まれているので、もちろんandanteでの乗り継ぎも有効である。
ギンダイスと呼ばれる城壁に沿って敷設されているこのケーブルカー、前身となったのは1891年にRaoul Mesnier du Ponsardという技師の設計により開通したもの。彼女はリスボンのサンタ・ジェスタのエレベーターや、ビッカ・グロリア・ラヴラ各線のケーブルカーの設計者としても知られている。
しかし、開通してわずか2年後に、重大事故を起こして運転を中止。以来再開の目処も立たず、もはや人々の記憶からは消え去っていたが、21世紀に入り実に100年のブランクを経て、主に観光客の足として最新鋭のシステムを導入した上で復活を遂げる。遊覧鉄道としてはもちろん、高低差のある歴史地区同士を結ぶ、エレベーターとしての利用価値も高い。
発車すると、まずはトンネルの中を進んでいく。外へ出た所が行き違いポイントで、右手には城壁が、そして目の前にはドン・ルイス1世橋がオレンジ色にライトアップされ、鮮やかにその雄姿を浮かび上がらせている。
ここを過ぎると勾配はぐんときつくなる。先のレールが見えないので、空中に放り出されるかのよう。最大斜度は45度にもなり、まるで垂直に降りているような感覚だが、客室部分は常に水平に保たれている。
【動画】フニクラールの前面展望
[640×480, 30fps, WMV, 8.04MB, 1分27秒]
約3分間で高低差61mをクリアし、ドン・ルイス1世橋の下層のたもとに位置する、リベイラ駅に到着。カイス・ダ・リベイラはすぐそこである。
いくつか立ち並ぶレストランから、狭いながらも大いに賑わう、こぢんまりとした店を選ぶ。注文したのはアローシュ・デ・マリスコ(Arroz de Marisco)。海の幸がいっぱいのシーフードリゾットである。ちょっと塩辛かったものの、鍋ごと運ばれてきたそれはボリュームたっぷり。
《(上2枚)アローシュ・デ・マリスコ》
食後、腹ごなしのために川のほとりを散歩していると、川の向こう岸から喚声が聞こえてくる。すかさずこちら側にいた若者の集団が叫び返し、ドウロ川を挟んでの絶叫大会がスタートするかと思いきや、向こうは気付いていないのかレスポンスは無く、がっかり。
平日は20時でフニクラールの運行は終了してしまうので、バスで上の町に戻る。リベルダーデ広場に寄ってみると、既にお祭りは終わり、交通規制も解除され、いつもの姿に戻っていた。
順当にメトロへ乗り継ぎ、João de Deusへ。明日の朝、ポルト空港へ向かう際のチケットをandanteにチャージしておく。路線図通りに辿ればゾーンは5つだが、運賃は実際の乗車経路に係わらず最短距離で計算するので、ゾーンは4となる。
ところでこのandante、その性質上1枚のカードにつき1つのゾーンでしか使用できない。私もゾーン2からゾーン4に切り替えたのだが、複数のゾーンを使い分ける際には、その分だけカードを持つ必要がある。そのような理由から、日本のSuicaやICOCA、そして香港のオクトパス等とは、同じICカードでも根本的に異なるタイプのカードとなっている。
あらゆる交通機関を自由自在に乗り継げる便利さの一方で、常にゾーンを意識しなければならない煩雑さも付きまとい、なかなか理想とは程遠いものだと感じるが、一つのモデルケースとして注目する価値は大いにあるだろう。
そんなこんなで明日は帰国の日。またしても退屈地獄のフライトが待っている。
今日の歩数カウント:万歩計の装着を失念
(2007.02.20)
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