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2007.12.07

映画『問題のない私たち』

HDDの肥やし消化の第2弾。女子中学校でのいじめをテーマにした映画、『問題のない私たち』です。

<以降、作品の内容に言及した記述があります>




















この映画、上映時間は1時間40分弱と少々短めですが、前半と後半で別の話になるので、実質的には二部構成となっています。

まずは前半。こちらは一般的にいじめを扱う作品では最も多く使われるシチュエーションである、生徒同士のいさかいです。

簡単に流れを説明すると、日常的に大人しい子(マリア by 美波さん)をいじめていた首謀者である主人公(澪 by 黒川芽衣さん)が、転校生(麻綺 by 沢尻エリカさん)に逆にターゲットにされ、立場が逆転したことにより自分の罪を思い知ることに。右も左も敵だらけ、まさに四面楚歌の状況で、救いの手を差し伸べて来たのは、とんでもない人格者である例の大人しい子(マリア)。

心強い味方を得た主人公は、その後もターゲットを変えていじめを繰り返す麻綺に対し、とうとう堪忍袋の緒が切れる。麻綺を屋上へ呼び出し、彼女を快く思わないメンバー(ほぼクラス全員)とでボコるかと思いきや、マリアが私を許してくれたように私もあなたを許す、と言い残して屋上を去る。途端にクラス全体がいい雰囲気になり、一件落着・・・

と、書いてるこっちが恥ずかしくなる、これは何の中学生日記ですかと言いたくなるような脚本。正直突っ込み所が多すぎて、何回頭の中で「ありえねーーー!」を連発したことか。

まず、マリアのキャラ設定がファンタジー過ぎて、これだけでリアリティを極限にまで落としてしまっていること。いじめられていた私だから、あなたの辛い気持ちが良く分かるという台詞は、これだけ取り出せばとても象徴的なのですが、出てくる時期が早すぎやしませんか?これについてはもう少し後でまとめて詳しく述べます。

次に、一件落着と言っておきながら、結局クラスメートの付和雷同的な態度は終始変わっていない事。前半のラストで麻綺に制裁を加えるつもりで屋上へ集まるほか、後半で教師に「帰れ!」とか「(学校を)辞めろ!」とコールする場面があるのですが、いずれも澪や麻綺に主導されて行動を起こしているに過ぎません。

結果、ストーリーの根幹に関わる生徒は澪・麻綺・マリアの3人だけで、他は単なるモブキャラ以上でも以下でもない扱いとなってしまっています。取って付けたような幼馴染のエピソードも薄っぺらく、何のアクセントにもなっていません。

続いて後半。夏休みを終え、コンビニで買い物をしていた主人公は、偶然にも万引きをする先生(加藤 by 野波麻帆さん)の姿を目撃してしまう。

瞬く間に噂は学校中に拡がり、それからというもの、加藤による主人公への執拗な脅迫が始まる。とうとう卑劣な罠に掛かってしまった主人公は、教職員達から問題児のレッテルを張られることに。

それでもクラスメート(というか麻綺)は主人公の無実を信じ、彼女の力添えのもと、加藤への逆襲を開始。とうとう辞職へ追いやられるかと思いきや、マリアの一言により本当にこれで良いのかと思い直し、先生を説得。先生もこれに応じ、結果的に和解する事が出来ましたとさ。おしまい。

というわけで、後半は職権を濫用した教師による生徒のいじめが語られます。私にとってはこちらの方が興味深かったですね。実際に教師によるいじめの方が明るみに出にくい分、深刻だと思いますし。

この映画、前半だけを見ると文部科学省選定映画にされてもおかしくない程の爽やかさですが、そうならないのは後半のせいですね。彼らの認識では教師は常に聖職でなければならないわけですから。

それはともかく、後半も気になる点が幾つか。まず事件のきっかけとなる、加藤が万引き行為へと至るエピソードのバックボーンが全く無く、唐突に現れる事。

元々盗癖があったのか、それとも何かしらの悩みを抱えていたのかは定かではありませんが、私の知り合いに書店を営んでいた人がいて、度重なる万引きによりとうとう店を畳まざるを得なくなった、という話を聞いた経験からして、安易に万引きを引き合いに出すのは止めて頂きたいです。

次に、先述の“罠”であるビデオテープ。加藤に呼び出された澪が、彼女の暴言に腹を立てて掴み掛かるというシーンのうち、加藤の暴言の部分だけが編集で消去され、結果澪が加藤に一方的に暴行を加えている、という風に見えるわけなのですが。これを見た校長は編集の有無を疑いもせずに、職員会議にかける事も無く澪を断罪してしまいます。

この事実から言えるのは、この学校の教職員達はクズばっかということ。最初に万引きの噂が広まった時点で、加藤は職員室で自己弁護を行うのですが、不思議と何の波風も立たないんですよね。普通、本当にやってないんですか?とか問い掛ける人が一人くらいはいるでしょうが。

女の子しかいないので私立の中学なのでしょうが、こんな腑抜け教師ばかりの学校に、誰が自分の子供を入学させたいと思うでしょうか。元々マリアに対するいじめも見て見ぬ振りだっただけあり、例え麻綺が転校して来なかったとしても、この体質からして起こるべくして起こった事件だと感じました。

そして前半・後半通して気になった点。まず、これはいじめを扱う作品一般に言えることですが、社会では暴行・器物損壊・恐喝と罪名を付けられて、厳格に裁かれる「犯罪」を、学校内で起きていると言うだけで、「いじめ」の一言のもとに十把一絡げにしてしまっている事。

次に、余りにも「許す」という言葉が軽々しく使われ過ぎていやしないか?という点。マリアちゃんは女神のような清らかな心をお持ちだったために、2時間以内で話が丸く収まりましたが、普通の人がそうそう簡単に許せるわけないでしょ。「謝って済むなら警察はいらない」という文句もあるように、本来ならば暴行やら器物損壊やらで立件されてもおかしくないんですよ。

許す心というのは、自分自身と激しく戦い、葛藤を重ねた末に、ようやく辿り着く境地のようなものではないでしょうか。この映画を見ていると、まるで許さない事が罪であるようにも感じられますが、そういう「人間らしさ」からあえて目を逸らさせるような描写には、激しく違和感を覚えます。

もう一つ、万引きについても。こちらも「万引き」という言葉の響きから、単なる悪戯っぽい軽いイメージを持たれていますが、明らかに「窃盗」ですから。それがラストで先生が店に謝りに→代金を支払って“許して”もらう→解決(この間10秒程)・・・って、都合良過ぎでしょ! これを見た青少年が、店の物をパクったって、バレる前なら謝ればモウマンタイ!などと捉えてしまわないことを祈ります。

*刑法によると、店の物を代金を支払わずに店外に持ち出した時点で(厳密に言えば盗もうとバッグに入れた時点で)、窃盗が成立します。

まとめると、この学校の問題(そう、澪のクラスだけの問題ではないのです)を“解決”したのは、スーパーヒロインである澪ちゃんの活躍が全てでありました、という話。一応ハッピーエンドと言う形にはなっていますが、結局この学校が抱える体質は何一つ変わっていないわけで。早晩この学校には新たな問題が持ち上がってくるでしょうし、更に陰湿ないじめが間違いなく起こるでしょう。

というわけで、映画と言うにはあまりに拙く、問題提起と言うには底が浅すぎ、2時間ドラマ位がふさわしい話ではありましたが、黒川芽衣さんや、今や押しも押されぬ勢いの沢尻エリカさんの、ピチピチ水着やブルマ姿が拝める貴重な作品ですので、そういった趣味の方々にはオススメです。


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