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2008.05.01

青森の旅2日目 (2)三内丸山遺跡を見学

まずは『縄文時遊館』と名付けられた建物の中へ。エントランスホールへ入ると正面に総合案内があり、お姉さんがカウンターの外へ出てわざわざパンフレットを手渡しに来てくれた。次のボランティアガイドの出発は10時。

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《縄文時遊館・エントランスホール》

出発までエントランスホールのベンチに腰掛けて待っていると、館内を学ランの集団がうろうろしている。そこへボランティアガイドのおじいちゃんが登場。ガイドさん曰く、彼らは灘高校の生徒だそう。まさか青森へ修学旅行・・・では無さそうだし、どうしてこんな所にいるのだろう?こっちは寒いですねー、なんて話をしていると、徐々に人数も集まり出し、程なく10時の出発時刻を迎えた。

館内は広く、様々なコーナーが設けられているのだが、ガイドツアーでは一直線に遺跡を目指す。下の写真は途中の「模型の間」にある遺跡の再現模型。赤丸の部分が現在位置で、左側の建物が立ち並ぶエリアが遺跡の中枢部である。

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《遺跡全景(クリックすると拡大します)》

「時遊トンネル」という現代と古代とをつなぐトンネルをくぐると(凝ってますねー)、そこは遺跡。遠くに再現集落を望む場所で、ガイドさんの自己紹介と遺跡の概要の説明が行われる。既に案内回数は1000回を越えている超ベテランで、「つまらないと思うと途中で帰ってしまうお客さんも多くおられます。大変厳しい世界です」と自嘲するが、なかなかどうして巧みな話術に感心したのだった。

この地に遺跡が存在することは江戸時代には既に知られていたのだが、全国何処にでもある小遺跡の一つに過ぎないと認知されており、ここには県の総合運動公園の一施設として野球場が建設される計画だった。しかし調査が進捗するにつれて、非常に大規模かつ考古学的にも重要な集落跡であることが明らかとなる。建設着手の1年後となる1994年に工事は中止。遺跡の保存が決定し、延べ16万人が携わった発掘調査ののちに公園としての整備が進められ、2002年には『縄文時遊館』がオープン。今日の姿となっている。ちなみに現在延伸工事が進められている東北新幹線の線路もこの敷地内を通過する予定だったのだが、こちらもルートを変更。開通の暁には、近接する高架橋を走る列車の車窓から遺跡の全景を見渡せるようになる。

こちらがこの遺跡のシンボル的存在である掘立柱式建物(復元)。柱穴は直径約2m、深さ約2m、そして柱と柱の間隔は4.2mに統一されており、既に高度な技術があったことを伺わせる。

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柱の太さから6階建てのビルに相当する巨大な建築物であったのではないかと推測されているが、肝心の目的は決定付ける証拠が何一つ出土していないだけに専門家の間でも見解が分かれている。現在のところ有力な説としては2つに絞り込まれているそうで、一つは灯台ではなかったのではないかという説。かつての海岸線は遺跡のすぐそばまで迫っており、普段は漁を営む人々や海上の交通路を行き交う人々にとっての標識の役割を果たし、海がしけて遭難者が出た場合には夜通してっぺんで火を焚き続けて無事を祈ったのではないか。これは司馬遼太郎氏が支持していた説でもある。もう一つは一種の宗教施設ではないかという説。他にも諸説存在するが、いずれにしても推測の域は出ない。ガイド氏は灯台説を支持しており、他のガイドさんを指差し、「あの人は宗教施設の話ばっかりしてるから」とおどけて見学者の笑いを誘う。私も説得力のある根拠を交えながら力説されては、これが正しいのではないかという気になっていったが、最後にガイドさんが語った一言、「地下に事実あり、地上にロマンあり」は言い得て妙だと感じた。粋なフレーズである。

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この後は実際にこの建物が建っていた場所に保存されている穴(ドームで保護されている)や、長さ32m、幅10mにも渡る大型の竪穴式住居の内部、古代のゴミ捨て場などを見学し、約40分のガイドツアーは終了。堅苦しさとは無縁の趣向に富んだ楽しいガイドに、参加者からは惜しみない拍手が送られた。

終了後は写真を撮り歩くことに。敷地内には、北国にも春到来とばかりにタンポポが咲き乱れ、心が和む。

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これまでの調査で竪穴式住居の跡は550棟以上確認されているそうで、この大規模な定住集落の発見、そして植物の栽培や他の地域との交流があったであろうことを示す出土品など、この遺跡は従来の歴史観を根底から覆したのである。

敷地南側にある史料展示室をササっと覗いたのち、11時過ぎに遺跡を後にする。未だ多くの謎とロマンを秘めたこの遺跡、当初は予定外ではあったものの、とても印象的な場所となった。

【追記】
書き忘れていましたが、三内丸山遺跡の入場料は縄文時遊館や史料展示室も含めて無料です。有料化が検討されたこともあったようですが、こういう経緯(※東奥日報の記事へのリンク)で今のところは無料のまま。いずれにしても太っ腹ですね。

(2007.05.11)


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