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2014.05.17

明治生まれのオサレダム。立ヶ畑ダムにて

 というわけで立ヶ畑(たちがはた)ダムの堤体です。こちらは明治時代に神戸市に近代水道が創設された際につくられた水道用のダム。完成は1905(明治38)年と100年以上の歴史を擁しており、国の登録有形文化財、そして経産省の近代化産業遺産に指定されています。


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 ミニマルな現代のダムとは対照的に、近代建築花ざかりの時代に建造されたダムということで、随所にハイセンスな意匠が施されています。
 取水塔の入口の扁額には、中国の故事から引用された「養而不窮(養いて窮まらざる)」という、当時の兵庫県知事による揮毫が。また、入口左右のプレートには、当時の市長とダム建設に携わった技術者の名前がローマ字で刻まれています。


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 堤体上からみた貯水池の風景です。住宅地のすぐそばにこんな景観が存在するのはいいものですね。


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 こちらは下流側の風景。


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 堤体を南側からもう一枚。


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 このダムが建設された際に、当時この一帯に存在した烏原村の集落が水底に沈むことになりました。離村直前の時点で98戸、人口は414人とのことですから、それなりの規模の集落ではあったようです。
 この村は線香の原料となる木の樹皮の良質な産地として全国的に知られていたらしく、貯水池の護岸には村の歴史を伝承する記念物として、木皮をすり潰すのに用いられていた石臼が計160個埋め込まれています(下の写真)。


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 下流側から堤体を見てみます。重力式の粗石コンクリートダム(表面は石張り)で、堤長は122.42m、堤高は33.33m。竣工から10年後の1915年(大正4)年には神戸市の人口増加に伴う水の需要増に対応するため、堤高が2.72m嵩上げされています。さすがに1世紀が経過しているだけあって、中世ヨーロッパの堅牢な城砦を髣髴とさせるような風格をまとっていますね。


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 ここから少し坂を下れば、もうそこは既に平野部の市街地の北端です。


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 転げ落ちたならば確実に死ぬであろう、恐ろしく急勾配の階段を下り、


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 大通りに出て、「石井橋」バス停から神戸市営バス7系統(昼間は8~9分間隔)に乗って三宮駅へ戻りました。鈴蘭台からだと下る一方の道のりなので、新旧のダムを見比べる気軽なハイキングコースとしておすすめです。

 さて、石井ダムと立ヶ畑ダムを取り上げたついでということで、次回も神戸市にあるダムのお話です。


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<おまけ>
 先述のように12月上旬の取材だったので、帰りに寄ってみたルミナリエの写真を。震災から19年、街並みこそ元通りにはなりましたが、まだまだ復興の道半ばの神戸です。


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