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2015.06.15

15/06/07 (4)歩いて見よう杜の都・その1【青葉城跡】

 青葉城跡から仙台散策のスタート。るーぷるで青葉山を登ってきたので、標高132mの天守台までは石段をあと少し登るだけです。


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▲青葉城跡入口



 青葉城は萌え立つ新緑の森の中。私が四季のうちで最も好きなのがこの新緑の季節なのですが、そんな一年中で一番美しい時期に仙台を訪れることが出来たのも、そしてこれ以上ない快晴に恵まれたのも、きっと何かしらの巡り合わせなのでしょう。


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 石段を登りきると、かつて仙台城の本丸が建っていた跡地に出てきます。明治時代から昭和初期にかけ、火災や戦時中の空襲によって当時の建物はすべて失われ、現在は石垣のみが残存しています。今年3月からは本丸にあった大広間の部屋割りの説明が遺構に重ねて表示されるようになりました(下の写真)。


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▲仙台城本丸・大広間跡


 城跡からは仙台都心部、そして遠く太平洋までが一望できます。東北一の大都会ながらも東京や大阪とは比べ物にならないほどコンパクトではありますが、まぁ、大きければいいというものでもないですし。私の第一印象としては、常々醜悪と公言している日本の都市景観の中でもちょっと仙台は他とは違う、と感じました。仙台市の人口は100万人、対して私の出身地の神戸市は150万人ですから、スケールという点でも親しみを感じますね。


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 そしてやっぱりコレを外してはいけない、仙台が誇るスーパーヒーロー・伊達政宗公の騎馬像です。私は普段時代劇とか歴史小説にはほとんど触れる機会がなく、それこそ『へうげもの』(原作ではなくNHKBSでやっていたアニメ版)にちょろっと登場した程度でしか彼のことを知らないのですが、(後の時代のフィクションによる後付けのイメージもあるにせよ)数多の戦国大名の中でも個性において彼の右に出る人物はそうそう居ないですし、現代の東北人のイメージとは真逆なエキセントリックさの対照の妙、という点で面白くはあります。


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 この展望台から真東を望むと、ちょうど瑞鳳殿のすぐ西側になりますが、広瀬川に沿って白い凝灰岩が崖となって地表に露出しているのが見え、当地では「経ヶ峰大露頭」や「評定河原大露頭」といった呼び名があるそう。都市河川とは思えないほどの荒々しい景観です。


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 時刻は午前11時(大阪から来たのにまだ11時)。この青葉城跡にも仙台名物牛たんのレストランがあるので、飛行機の中で考えていた通りにちょっと早めのお昼ごはんにします。

 今回訪れたのは『伊達の牛たん』というお店で、仙台駅構内を中心に絨毯爆撃的に店舗を展開しているため、駅をウロウロしていれば目にするのも一度や二度ではないはず。現在東京にも3店舗出店しているようです。


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 注文した芯たん定食1,940円也です。芯たんはタンの中で最も柔らかい部分。たれはシンプルな塩だれがベストです。
 戦後の食糧難の中で、アメリカの進駐軍が消費せずに廃棄していたタンとしっぽをどうにかして美味しく食べよう、と考案されたのが、炭火焼の牛たんとテールスープ。米もこれまた不足していたために麦で代用されるようになり、それが由来の麦飯を加えて、現在まで受け継がれる定型の三点セットが完成した、というわけです。牛肉料理なんて値段はそれこそ青天井ですが、タンの場合はもとが節約料理なのでこのように値段もたかが知れたもの。南仏のブイヤベースも元来は網に引っ掛かって捨てるだけの雑魚を漁師自身で消費するための工夫から生まれたものでしたが、牛たんもブイヤベースも後に「権威付け」され、地域の代名詞とも呼べる名物料理にまで成長することになります。 ……ん、肝心の牛たんのお味ですか? 申し分ないに決まっているではありませんか…。


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 そういえば10年ほど前のBSE騒ぎでアメリカからの牛肉の輸入が滞った際、なぜか仙台方面から「助けて!牛タンがもうないの!!」という悲鳴が風聞に乗ってきて、「…お前は何を言っているんだ?(AA略)」という気分になったのを覚えていますが、実は料理が生まれた経緯からすると、国産ではなく米国産のタンを使用するのが正調、という事実には少なからず驚かされたものです。この辺りは伝統に拘るか、あるいは地産地消の波を牛タンにも採り入れるかどうかで、地元の業界の間でも見解が分かれているようですね。


 開店直後で誰もいない割烹風の店内でのんびりと食事を摂り、11時半過ぎに再スタート。このレストランは『青葉城 本丸会館』という、仙台城にまつわる資料展示室(有料)や土産物店・レストラン街を備えた複合施設の一角にあります。


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 こちらは同じく本丸跡にある「宮城縣護國神社」。明治以降の新政府体制下における宮城県出身(および関係者)の戦没者を祀る神社です。…まあ、素直にお参りしたい所ではありますが、おつむがパーの首相率いる暴走政権とかネトウヨとかの行状を見るにつけ、なかなかそうもいかないのが凋落JAPANの哀しい現実です。
(中国とやらの脅威を煽るまでもなく、もう既に同胞()同士でのエコノミック・ジェノサイドが始まっておりますがな…)


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 こちらは「荒城の月」の作詞者として知られる、土井晩翠(どい ばんすい)氏の銅像と記念碑。氏については後ほどもう一回ちょこっと登場します。


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 こちらは「仙台城見聞館」。入場無料の施設なので展示物は少なめですが、青葉城の石垣の構造の秘密や大広間の復元模型など、興味深い展示もいくつかありました。


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 本丸跡をサラっと見終わり、次の目的地へ向けて青葉山を下山していきます。行きにるーぷるからも見えたのですが、登山道から眺める城の石垣がすごい迫力。形の揃った石が整然と並ぶさまがちょっと日本離れした感じなんですよね。1997(平成9)年から2004(平成16)年にかけて修復工事が実施され、その際に築城当時とその後に起こった地震で再建された石垣が内側に埋まっているのが確認されました。現在我々が目にしている石垣は三重構造になっています。


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 登山道にある案内標識。仙台を代表する観光スポットもいよいよ地下鉄駅からの徒歩圏内に入りますが、なにぶん標高差があるので、開通後もるーぷる利用が便利です。


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 森林浴を楽しみながら、坂をぐんぐん下っていきます。途中、「グオーーーッ」というエンジン音が聞こえたと思ったら、やっぱりるーぷるがカーブの向こうから姿を現しました。


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 上述のように、江戸時代の建物は現在は残っていませんが、城の遺構は広大な敷地のあちこちに。


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 次回へ続きます。

(2015.06.07)

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