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2015.06.30

15/06/08 (6)山形・霞城公園 その2【山形市郷土館(旧済生館本館)】

 というわけで、山形市内の近代建築一つ目、『山形市郷土館』にやって来ました。文明開化真っ只中の1878(明治11)年に私立病院の『済生館(さいせいかん)』本館として竣工した建築物です。


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▲山形市郷土館を正面から眺める



 様式は木造・下見張り(=板を水平方向へ重なるように張っていく工法)の擬洋風建築。以前BS日テレの番組でこの建物が紹介されているのを見た際に相当なインパクトを受け、山形を訪れる機会があればぜひ立ち寄ってみたいと考えていました。


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 こちらは病院の医学寮教頭として招聘された、オーストリア人医師のアルブレヒト・フォン・ローレツ先生(1846-1884)の顕彰レリーフです。済生館は病院としてだけではなく日本人医師の養成所としての機能も兼備していました。


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 さっそく内部見学へ。以前は入館料が必要だったようですが、現在は無料となっています。医療器具などの展示物の撮影はできませんが、建物そのものの写真撮影はOKです。

 エントランスを抜けて回廊に出てきました。この回廊の周りに診療室が配置されており、中心には中庭。奥には3層4階建ての楼閣の背面が見えます。なんだか病院というよりはサナトリウムのような雰囲気も。


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 その部屋のひとつ。済生館は東北地方の文明開化の象徴として、初代山形県令(現在の山形県知事に当たる役職)である三島通庸の肝煎りで開館した病院。当時のドイツ最先端の医学をいち早く採り入れ、東北の医学の殿堂とまで称されたほどの高度な治療が行われていたそうです。ちなみに建物の工期はわずかに7ヶ月という、こちらも宮大工たちによる日本建築の粋を結集した突貫工事でした。


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 また、明治初期の東北地方を旅してその見聞を旅行記に著したイギリス人探検家、イザベラ・バード(1831-1904)も完成前の済生館を訪れていたようです。ちょうど彼女の旅行記のコミカライズ版である『ふしぎの国のバード』を読み終えたばかりだったので、作品内で克明に描かれているように東京近郊でさえまだまだ不衛生な環境が数多く残っていた当時において、山形新幹線でパッと行ける現代とは比べ物にならないほど中央からの距離感が大きかった奥地にこのような先進的な施設が存在したという事実に、更なる驚きをおぼえました。蛇足ですが、コミック中のバードさんはどう見ても20代のお嬢さんにしか見えないのですが、旅行当時の彼女は47歳でした。原作の『日本奥地紀行』でも日本の印象について賛美もあれば時には率直に言い腐したりと結構歯に衣着せぬ書き方をしているようなので、「江戸しぐさ」あたりに代表されるカジュアル歴史修正主義脳にどっぷりの方は後学のためにも一読されてみてはいかがでしょう(弊ブログの読者諸賢にはそんな方は居られないでしょうが…)。早めに入手しておかないとそのうち焚書になるかも(笑)。


 ステンドグラスをくぐって楼閣内へ入ってみます。外観の超絶インパクトもさることながら、階上へ至る通路が空中回廊のようになっていたりと、内部構造は意外と複雑。平成の世に生きる私達にさえ奇抜に感じられるくらいですから、当時の山形市民に与えた衝撃たるや。まさにそこが狙いだったようで、現代ほどに近代的な医療行為が浸透していなかった明治初期において、物珍しさからまずとにかく足を向けてもらおうという、文字通りの広告塔としての役割があったようです。東北の片田舎に西洋文明の風を…という、当時の関係者の意気軒昂ぶりが存分に伝わってきます。


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 2階の大広間へ(中3階・3階は非公開)。入って正面に飾られている「済生館」の揮毫は、病院の名前の名付け親でもある当時の太政大臣・三条実美によるもの。「人の生命を救う館」という意味だそうです。建物の骨格にトラス構造を採用したことにより、内部に柱がみられないのも大きな特徴となっています。


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 このように山形県の近代化における一里塚でもあった済生館ですが、戦後建物は荒廃するがままに放置され、一時はそのまま取り壊しとなるはずだったのだとか。後の1966(昭和41)年に国の重要文化財に指定されたのを契機に、霞城公園内への移築・保存が決定。今日では明治初期の擬洋風建築の最高傑作という評価も確立し、山形市が誇るシンボルのひとつとして広く親しまれる存在となっています。現在この建物があった場所には同名を冠した近代的な病院(山形市立病院済生館)が建っており、明治時代の先人達の意思と使命を継承しています。

 館内見学後はもう一つの近代建築の粋へ。Blogの中の人は次回作のネタを仕入れに行くので、次回は来月3日頃の更新予定です。

(2015.06.08)


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