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2017.02.22

16/11/22 (4)410年目の熊本城で(後編)

 二の丸広場へ。ここから天守を眺める(下3枚目の写真)と、剥落した瓦の様子がよく分かります。



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 崩落したりまた持ちこたえていたりする石垣を見ながら、城の南西側へ下りていきます。


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 こちらは『桜の馬場 城彩苑桜の小路』という物販店と飲食店の並ぶスポット。九州新幹線(鹿児島ルート)全通に合わせて2011年にオープンしたそうです。伊勢神宮内宮前のおかげ横丁(※次回作にて取り上げます)を小規模にしたような感じですね。新幹線も開通してこうして観光振興に弾みをつけようと意気が揚がっていた矢先にあの災厄ですから、なんとも遣る瀬無い話です。尤も、城が崩れてしまったからこそ熊本でしか見られない希少な「観光資源」になったと言い換えることも出来るわけで、城内もここも閑古鳥が鳴いているというには程遠い安定した客足があったのは救いでした。まぁ、城を建て直すにしても優先順位としてまずは暮らしの復興が一区切りついた後となるので、10年単位での気の長い話にはなりますが。


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 焦らずいきましょ――と、くまモンも申しております。


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 先の戌亥櫓と同様に柱状に残った石垣一本だけで支えられて崩壊を免れた「飯田丸五階櫓」については開放エリアからは見学できないようなので、そのまま南側から熊本城を離れることに。下の写真もまた、“奇跡の一本石垣”のお蔭で持ちこたえた建物です。


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 最後にやっとお目にかかれました。肥後54万石の礎を築いた加藤清正公。水前寺公園へ行く時のバスの運転手さんは「熊本市内は見るとこないですからねェ」と自嘲していましたが、いえいえ、「尾張名古屋は城でもつ」の言い回しを肥後熊本に置き換えてもしっくり来るくらいに立派な城でした。というか、加藤清正も尾張出身なのですけれどね。加藤家は彼の子の代で断絶し、以降は小倉藩より転封されてきた細川忠利の代を皮切りに細川家による肥後藩の統治が明治維新まで続くことになります。江戸時代の有力大名といっても現代人にとっては甚だ縁遠い存在ではありますが、細川家の場合は末裔が熊本県知事や総理大臣をやっていたりするので、例外的に現代とのつながりが深い印象です。


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 あとは東郊の益城町内にオープンした復興屋台村に行ってみるとか、文学ファンならば市内に点在する夏目漱石ゆかりの地を訪ねて回るというコースも考えられるのですが。熊本電鉄の青ガエルは今年初めに引退してしまいましたし、何よりこれまで真面目に歩いた経験のない福岡市内にも時間を割きたいしということで、今回の所はこれにて熊本観光は切り上げることにしました。


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▲下通商店街の風景


 ホテルの宿泊プランについていたモスバーガーの食事券は今日の昼食用に充当。テイクアウトすれば高速バスで福岡へ移動している間に食べられて時間の節約にもなるので丁度よかったです。てなわけでホテル隣の店舗でとびきりハンバーグサンド<チーズ>(\440)とホットドッグ(\320)を購入したら、荷物を引き取って通町筋のバス停へ向かいます。さらば熊本、また来るけん。


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(2016.11.22)


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