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2007.10.30

再開発前の阪急塚口駅南口(1)

小学生の頃の自由研究って鬱陶しくて仕方がなかったのですが、大人になって強制されずに好きなことを調べるというのは楽しいものです。

さて、私の子供の頃は父の転勤で日本各地を回ったので、私には所謂「ふるさと」というものはありません。最近はやりの県民性とやらを調べようにも、数年単位で転居を繰り返していたので、地域へのアイデンティティすらも無いのかもしれません。

そんな“無国籍人間”の私も、学校の長期休暇の度に母方の実家に帰省し、数日間のバカンスを楽しむのが家族の恒例行事でした。その実家の最寄り駅が阪急神戸線の塚口駅。実際はここからバスに乗るのですが、当然ゲートウェイの塚口駅周辺をうろうろする機会は多く、今は薬局になっているいかりスーパーの地下のフードコートで食事をしたり(ここのタコ焼きの味は未だに忘れられません)、今とは比べ物にならないほど活気に満ちていたさんさんタウンをうろついたりと、楽しかった思い出が沢山詰まった街です。言ってみるならばココこそが私の故郷なのでしょう。

このように物心つく頃には、もっと言えば私の生まれる前から既にさんさんタウンがあったのですが、このショッピングセンターは1978年に駅の南側の再開発によって生まれました。それ以前は雑然とした町並みが広がっていた、という話は聞いていたのですが、当時の様子など知るべくもない私にはとても想像は出来ません。気にするばかりに当時を知りたいという気持ちはムクムクと大きくなり、大袈裟でなくもしタイムマシンがあるのなら真っ先に行ってみたい場所でした。

何とか当時の様子を知る術はないものか・・・と悶々としていたある日、とある施設の存在を知りました。尼崎市立地域研究史料館。尼崎市の歴史・文化・建築物・産業・文学など、尼崎に関するあらゆる史料が網羅された施設です。ここならひょっとすると写真が見つかるかもしれない・・・ そう思い、阪神尼崎駅から程近い尼崎市総合文化センターの中にある史料館に足を運びました。

出迎えてもらったスタッフに、再開発前の阪急塚口駅南側に関する史料はないかと尋ね、何冊かの書籍、地図、それに写真のネガを書庫から取り出してもらいます。モノクロ写真ではあるものの、そこから伝わる光景、そして地図から窺い知る今からは想像も出来ないほどイナカイナカした雰囲気に感慨もひとしおです。

せっかく来たのでネガをスキャナーでデジタル化し、CD-Rに焼いてもらっておみやげにしたのですが、このまま私のPCの中で眠らせておくには勿体無い、何らかの形にしたいと思って書いたのがこのエントリです。私も含め、阪急塚口駅に何らかの縁のある方にはきっと琴線に触れるものがあるのではないのでしょうか。

実際に写真を見ていただく前に、まずは当時の地図をご覧ください。私が慣れないPhotoshopでちょちょいと作ったものですので雑ではありますが・・・。赤枠で囲まれた部分が主な再開発対象区域です。



拡大地図を表示


地図には描いていませんが、再開発対象区域以外の区画はほとんど変化していません。駅西の線路の南側に新しく道が出来たくらいでしょうか。

あらかじめお断りしておきますが、これからお見せする写真は、私が撮影したものを除いて全て尼崎市立地域研究史料館からお借りしたものですので、商用・非商用を問わず転載は禁止です。

前置きが長くなりました。それでは1975年(昭和50年)6月21日の阪急塚口駅南口にタイムスリップしてみましょう。


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コメント

古い記事へのコメントになりますが。

当方、1969年(昭和44年)生まれ、生まれてから1980年(昭和55年)まで尼崎に住んでいた者です。いやー、すごいモノを見せて頂きました。感謝、感謝です。

管理者様は生まれる前とのことですが、私は、さんさんタウンが出来る前の阪急塚口駅周辺、うっすらと覚えています。私は当時、少し南の尾浜町に住んでいました。幼稚園に上がるか上がらないかくらいの頃でしょうね。親につれられて、再開発前のウッソウとした(失礼)塚口駅周辺をウロウロしていた記憶が僅かながらにあります。

再開発工事の真っ只中の頃にも、母親と近くの喫茶店でお茶しながら工事現場を眺めて、「なんかすごいデパートができるらしいで」と話していた場面を覚えています。工事着工がS50ですから、S51とかS52、当方、小1か小2くらいの頃だと思います。

さんさんタウンが出来た年は小3で、この時の記憶は鮮明に残っています。初めて出かけた日に、親に、当時はやっていた「スライム」をおもちゃ屋で買ってもらったのを覚えています。それがさんさんタウンでの最初の買い物でした。若い方はご存知ないかなー、スライム(笑)。

あくる年から、さんさんタウンの近くにあった塾に通い始めて、それからは週3のペースでこの界隈をうろうろしていましたね。ドムドムバーガーで生まれて初めてハンバーガーなる物を食べたのもここでしたし(当時はそんなにポピュラーな食べ物ではなかったのです)、阪急BXとかいうカレー屋に親父と二人で入って、やたらと辛いカレーを食ったのも印象に残っています(もちろん、注文したのがたまたま辛いやつだったのだと思いますが)。

尼崎を離れて今年でちょうど30年になります(現在は東京在住)。もう懐かしいを通り越してしまう年月ですね。95年の震災直後に一度だけ、出張で塚口近くの三菱電気の工場へ出向いたことがありますが、それ以来、尼へは行っておりません。

ストリートビューで尼の界隈を時々眺めたりしますが、綺麗になっていますね。一度行ってみたいなぁ。

mavericさん、こんにちは コメント頂きありがとうございます(ページ最上部に書いてあります通り、メッセージは記事の新旧問わず大歓迎です)。

おぉ~、丁度多感な時期に塚口の大変革を実体験された方からお話を伺えるとは! 私も史料館へ足を運んで、本当に写真が出てきた時には「すげぇ…!」と正に小躍りするような気分でした。そしてこれは是非記事にして公開しなければ!と。当ブログの中でも狙い通り(?)結構コンスタントにアクセスがある記事なのですが、こうして直接喜びを伝えていただけると作者冥利に尽きます。

私も住んでいたわけではないとはいえ、mavericさんと同様に幼稚園から小学生時代にかけ、東京(世田谷区の祖師谷)から毎年夏休みと冬休み(+時々春休みも)の度に帰省してはこの界隈をうろちょろしていたので、父の都合で転居の多かった自分にとって故郷と呼んでも過言ではないほどの愛着深い土地です。今でもそうなのですが、mavericさんも述懐されているように塚口ってB級グルメの宝庫なんですよね。祖師谷の商店街が子供心には小奇麗過ぎてツマラナイ場所だったので、年に2~3度しか来れない塚口は程よい猥雑さがまるでワンダーランドのように輝いて映りました。ドムドムは今もさんさんタウン内に健在なのですが、オープン当時から既にあったんですね。ビックリです。

今年で89歳になる祖母をたまに車に乗せて連れてくるのですが、婆ちゃん曰く「裏路地の方は昔とちっとも変わってない」そうです。それでも通り沿いの店が訪れる度に大なり小なり入れ替わっていて、幼い頃の風景の記憶はすっかり塗り替えられてしまいました。さんさんタウンも近年は空きテナントが目立つようになり、かつての賑わいは見る影もなく…です。

私もストリートビューで昔住んでいた家の周辺を見て回ったりするのですが、さすがに30年のブランクは想像だに出来ない世界!です。ぜひぜひ変わった塚口と変わらない塚口を訪ね歩く旅へお越し下さい。お待ちしています!!

P.S. スライムは私も友達と自作して遊んだりしました。何を血迷ったのかバニラエッセンスを加えて、いやに美味しそうな感じになったり… 子供とはいえアホですね(笑)

mavericです。お返事ありがとうございます。長文で恐縮でした。

当時のテナントで覚えているのは、ドムドム、阪急BX、八角(炉端焼き)、3番館1Fのコーヒー屋(青山かな)、同2Fのアイスクリーム屋、映画館、本屋、おもちゃ屋、文具屋くらいですね。3番館2Fのアイスクリーム屋にはよく行きましたが、今は無い(1番館に移った?)ようで。2Fの歩行者用通路につながる出口の横にあったのですが。間違いなく3番館の2Fだった筈です。

当時通っていた近くの塾の夏期講習では、塾が用意したあそこのドムドムバーガーを食わされていた記憶があります(笑)。

近年はかつての賑わいは見る影もなく、ですか。寂しい話ですね。私には想像つかないです。尼の猥雑さって、確かに子供心にはグッと来るものがありますよね。よーく分かります。その気持ち。尼センとかも、最高!

今でも耳にこびり付いていますよ。例の歌。つ~かぐ~ち~さ~んさ~んタウ~ン♪(笑)

mavericさん

そういえば徳永英明も青春時代、さんさんタウンを根城にしていたという話を聞いたような・・・?

寂れてしまったのは震災の影響もあるのかなと思いますが、最近はJRの尼崎や伊丹駅前、阪急の西宮北口駅前(西宮球場の跡地)などに相次いで大型ショッピングモールが開業し、人口規模に比べて供給過剰なんじゃないかと感じるほどに熾烈な客の争奪戦が始まっています(つかしんも大改装&大幅増床を実施しました)。我が愛しのさんさんタウンを取り巻く環境は厳しくなるばかりですが、その一方で塚口サンサン劇場や宣文堂書房、コーヒーの青山などなど息長く営業を続けている店舗も少なくなく、心強い限りです。旅好きなので色々な町を訪ねて回るのですが、やっぱり尼の空気(阪神沿線も含めて)が巡り巡って一番馴染みますね(笑)。

塚口で生まれ育ち、現在フィリピンに住んでいます。
昭和37年(1962)年生まれなので、さんさんタウン以前の塚口もよく覚えています。

貴重な写真を多数掲載いただき、本当に感激しました。当時の写真は個人のアルバムには多数あっても、わざわざ駅前の普通の風景を撮影するなんてことはしなかったですから。

もう時代は二周りぐらいして、さんさんタウンは閑散タウンになってしまいましたね。たまに帰国しても、寂しい限りです。因みに私は、ダウンタウンの松本さん、浜田さんや、徳永英明さんと同世代です。

Francisco さま

 コメントいただきありがとうございます。公開からそろそろ10年になる記事なのですがやはり当時を懐かしむ方が多いようで、コンスタントに反響があって嬉しい限りです。

 リニューアル後に生き返ったつかしんとは対照的に、こちらは本当に閑散タウンの一言で。私はギリギリ賑わっていた時代を知っている世代なのですが、若いコからすると最早眼中にないのでしょうね。ガラガラのテナントを贅沢に使った100均やブックオフに立ち寄るくらいなものでしょうか。徳永英明氏はコンサートのMCで塚口時代の話をしていたりするようなのですが、例え寂れまくったところで私にとっても大切な「故郷」であることには変わりないですね。

8年ほど前に投稿させて頂いた者です(笑)

昨日、ネットをうろうろしていて他の所でたまたま、さんさんタウンの三番館が昨年閉店になったことを知りました。ビックリです。

尼崎に住んでた頃が一番楽しかった時期で(子供の頃だから当たり前)、その楽しい思い出の風景の象徴の1つが消え去ってしまうというのは、なんとも寂しいものです。たかがデパート、でも、遠い昔の貴重な思い出の場でもあり。

寂れた寂れたと皆さんがおっしゃっていたそのレベルはどうやら私の想像を超えていたようで。開業直後の賑やかな頃しか知らない私にとっては本当に驚きです。

一番館が衣類、二番館がマンションでしたっけ?(間違ってたらスミマセン)。子供の頃の私には三番館こそさんさんタウンというイメージだったので、どうしてよりによって三番館だけ?という感じです。

再開発された場所が再々開発される。それが40年という月日なんですね。私も来年50歳だ。

maveric さま

 ご無沙汰しております。すぐ北のつかしんについては常連といっても良いくらいの利用頻度なのですが、さんさんタウンはスパゲティの『タント』目当てで年に一度行くかどうかという程度でしたね。私もさんさんタウンといえばイコール三番館というイメージです。三番館の閉館直前にもう一度全フロアをぐるりと回って館内の風景を目に焼き付けておいたのですが、まぁ、この建物の古さだと改装程度では周辺エリアの綺麗なショッピングモールと張り合おうにも相手にすらならない、と現実を突きつけられるばかりで。一番乗りで退場となったのも「よりによって」というよりは「だからこそ」、なのかもしれませんね。塚口界隈の(古参の)人々にとってはオーバーではなく人生の1ピースと呼べるほどの偉大な存在だったでしょうし、こうしてネットに文章という形で寂しさを吐露しているのも氷山の一角に過ぎないと確信しています。私も三番館跡地に建つマンションが老朽化対策に直面する頃までは何とか生きていられそう(いや、かなり微妙…)なので、有為転変という言葉を胸に、これからもこの地の歴史を見届けていきたいと考えています。

グーグルで故郷(塚口ー武庫之荘)の写真をみていて、こちらのサイトにたどり着きました。
Marvericさんより少し年上です。園田学園の幼稚園に通っていて、さんさんタウンの出来る前に、塚口の南側のバス停を使用していました。
地図にもあった「映画館」というのはアダルト向けだったような気がします。子ども心にも、「良くない映画館」だと思っていました。その並びに「志那そば」(中華そばでもラーメンでもない)のお店があり、PTAなどの帰りに母親たちが利用していました。
塚口の北側はいかりスーパーがあり、しゃれた感じだったのに比べて南は庶民的(?)だったのですが、さんさんタウンができ、一気にキレイになりました。1階に、ガラス張りの大きな喫茶店がありましたね。ケーキセットなどが充実してて、木の葉っぱのマークの・・・(名前が思い出せません)。

非常にローカルな話を見聞きすることができ、とてもうれしいです。今後ともよろしくお願いします。

おむらいす さま

 初めまして 北側にも昔の面影を残したゴチャっとした区画がありますけど(数年前の火事でだいぶ焼失してしまったようですが)、再開発でモダンになったはずの南側も40年という歳月が流れ、一周回ってレトロになってしまった感もありますね。阪急の踏切(神戸本線の方)を渡ると雰囲気が一変するのは、今も昔も変わらないですが。最近さんさんタウン1Fのレストランのいくつかは、隠れた名店としてテレビで取り上げられることもあるようです。寂れる一方かと思いきやこうして注目されるトピックもありで、結構嬉しかったですね。それではまたどうぞ。

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