ポルトガルの旅2日目 (3)エヴォラ歴史地区その1
ここでエヴォラとはどのような町なのか、ごく簡単に説明。
ローマ帝国時代からアレンテージョ地方の中心地として繁栄し、ルネサンス期には大学も設置された学都でもあった。1584年9月には天正遣欧少年使節がリスボン滞在ののちに、この町を訪れている。城壁に囲まれた旧市街の中には、ローマ時代から現代に至るまで多種多様な建築様式が、僅か約1平方キロメートルの範囲に同居しており、1986年にはこの旧市街がユネスコ世界遺産に登録された。
教養のある人ならば歴史に想いを馳せるのも良いが、まるで野外博物館といわれるこの町を、ただただ気の赴くままにぷらぷらと歩いているだけでも十分楽しい。私もそうしたいところだが、バスの出発まであと1時間ちょっとしかないので、カテドラルやディアナ神殿のある高台に上がり、少しだけ寄り道しながらバスターミナルへ向かうことにした。この町には2泊するので、焦ることはない。
散策の起点になるのはジラルド広場。町のヘソであり、観光シーズンを外れた今でもこの静かな町にしては多くの人で賑わっており、周辺はちょっとした繁華街になっている。
広場から東へのびる10月5日通り(Rua 5 de Outubro)を進む。緩やかな上り坂になっていて、沿道にはお土産屋さんやちょっと高めのレストランが軒を連ねる。ツーリストの姿も多く目に付き、日本人のツアー客も見かけた。
10月5日通りを上りきると、正面右側にはカテドラルが堂々とした佇まいでそびえ立っている。12~13世紀に建てられたもので、1584年にこの町を訪れた天正遣欧少年使節団の伊東マンショと千々石ミゲルがパイプオルガンの腕前を披露したといい、そのパイプオルガンが現在もそのまま残っているらしい。
とりあえず内部見学は後回しにし、ディアナ神殿へ。2世紀にローマ人によってつくられたコリント様式の神殿で、イベリア半島に現存するものとしては最も保存状態が良いという。
と、もっともらしく説明しているのですが、普段ナニナニ様式といわれてもさっぱりなのです。でも古代ギリシャ建築については、6年前にギリシャを訪れたことがあるので、多少は聞きかじりの知識があります。ちなみにコリント様式の特徴は、柱頭にあしらわれたアカンサス(acanthus)の葉のレリーフです。復習終了!
ディアナ神殿の前の公園は、高台にあるためちょっとした展望台になっている。
途中の公衆電話で家族に電話をかけたりしながら、バスターミナルへ向かう。少し路地裏に入り込めば、中世から現代までが渾然一体となったさまを目の当たりにすることができる。
バスターミナルに到着。ここでちょっとした事件が起こる。バスバースにはそれぞれ番号がついていて、ターミナルの職員に「モンサラーシュ行きのバスは”Eleven”からだよ!」と聞いていたのだが、発車時刻になってもバスは一向に姿を現さず。しびれを切らし、さっき聞いた職員に「遅れてるの?」と尋ねると、意外な答えが。
「バスはもう行っちゃったよ」
ウソぉ?ずっと言われた番号のところで待ってたんだよ?と返すが、ここで信じられないようなミスをしでかしていることに気付く。
“Eleven”は11。
私が待っていたのは7。
うあぁ~~、バカ、バカ、バカ! セブン・イレブン、いい気分♪ じゃねえよ! ふっ、仕方ねえじゃねえか、普段英語なんて話さないんだからよ・・・と、無理やり自分を納得させてみるのだが、自分のバカさ加減に一瞬放心状態に。気を取り直して今日は引き続きエヴォラ散策、モンサラーシュ訪問は明日へと予定を変更。
というわけで、次回もエヴォラからお送りします。。。
(2007.02.14)
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