関西文化の日'07 (2)大阪歴史博物館
地下鉄肥後橋駅まで歩き、ここから四つ橋線で本町へ。中央線に乗り換えて谷町四丁目で下車する。ここは大阪城公園の下車駅にもなっているので、構内は行楽客で大賑わい。
9番出口を出ると、目の前にツインビルが聳え立っている。右側のビルが大阪歴史博物館だ。視線を右に向けると、ビルの麓に高床式倉庫が復元されている。
時刻は13時、まだ昼食を摂っていないので、この辺で何かを・・・と店を探していたのだが、付近にあるのは公園とオフィスビルと空き地だけで、コンビニさえも見当たらない。博物館1Fにカフェ兼レストランがあったので、選択の余地も無くそこへ入るが、考える事は皆同じなのか満員御礼だった。
休憩も兼ねて30分程ゆっくりし、博物館のエントランスホールへ。ボランティアガイドの受付カウンターに目を向けると、丁度ガイドさんと目が合ってしまい、有無を言わさず強制参加(笑)となる。14時からなので、暫し1Fをうろうろ。
14時に地下遺構ツアーが開始。この博物館は難波宮の跡地に建っており、エントランスホールのガラス床を通して、柱の跡を観察する事が出来る。まずはここで、難波宮の概略の説明をざっと受ける。
その後に向かう地下遺構は、このボランティアガイドでのみ訪れる事が出来る場所(下の写真)。ぼんぼりが灯っている所が、柱の立っていた部分である。ただの土くれだが、結構維持費が掛かっているらしい。
この博物館、上空から見るとスイカの切れ端のような形(ガイド氏の表現)をしているのだが、もともとの計画では床面積はもっと広かったそうだ。それが建設予定地から遺構がゴロゴロ出てきて、その為に設計の変更を余儀なくされたという。
そういう理由で、この博物館は常設展示室だけでも10F・9F・7Fと、三層構造になっている。とはいえ、特に弊害があるわけではないのだが・・・
約20分のツアーを終えて1Fへ戻り、常設展示室へ。今日は関西文化の日の為、常設展示は無料で入場出来る。ちなみにフラッシュさえ焚かなければ、常設展に限っては内部は自由に撮影可能だ。日本では珍しい。
▼10F・古代フロア
直通エレベーターで一気に10Fへ。最初のフロアは奈良時代の難波宮に建っていた、大極殿(だいごくでん)の一部を再現した実物大模型が目玉。
私が訪れた時には映像を上映中で真っ暗だったが、上映が終わると正面の窓を覆っていた幕が開いて、難波宮跡の方向のパノラマを楽しめるようになる。
またしばらくすると幕が閉まって映像が始まるが、後ほど別の場所でゆっくりと眺めることも出来る。
ここには様々な衣装に身を包んだ人形が沢山立っているが、これは天平16年(744)2月26日、左大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)により、難波宮を都にするという聖武天皇の勅命(ちょくめい)が宣せられた日の様子を再現したもの。
難波宮跡からの出土品を主とした展示物を見た後は、エスカレーターで9Fへ。と、その前に展望台(というよりエスカレーターの踊り場)からのパノラマをじっくりと眺めておく。一応写真を載せておきますが、映り込みが激しいせいであまり良い写真ではありませんのでご了承を。
▼9F・中世近世フロア
いきなり700年以上ジャンプし、16世紀の大坂(←誤植じゃないですよ)へ。現在大阪城が建っている場所には、大坂本願寺(石山本願寺)があった。
またしても年代ジャンプし、「水の都」と謳われた江戸時代の大坂へ。天下の台所と呼ばれ、商人や町人達が行き交う活気に満ち溢れた町の様子が紹介されている。
ここでは江戸時代後期の船場の街並みが、精巧な模型で再現されている。
下の写真は、かつて道頓堀にあった「角の芝居」という芝居小屋の模型(右の建物)。
中では『仮名手本忠臣蔵』を上演中。
▼7F・近代現代フロア
この階には、大正末期から昭和初期にかけての心斎橋筋や道頓堀などの町並みの一部が、実物大で再現されている。
明治時代に入ると、大阪は工業都市として発展。「東洋のマンチェスター」とまで称されるようになる。当時の大阪の人口は世界第6位だったそうだ。
現在ではディープな歓楽街のイメージしかない「新世界」も、国内向けではありながら事実上の万国博覧会だった、第5回「内国勧業博覧会」が開催された、その名の通り世界最先端の地だった。
豊臣秀吉の時代に、焼失した石山本願寺跡に大坂城が建てられ、大阪夏の陣で焼失した後は、徳川家によって新たな大坂城が再建される。
それも明治維新の際に焼失し、明治時代には跡地に陸軍の兵器工場、大阪砲兵工廠が造られる。現在のコンクリート製の大阪城天守閣が市民のカンパにより再建されたのは、1931年のことである。
そして大阪初、かつ日本で初めての公営地下鉄である御堂筋線が梅田~心斎橋間に開業したのも、1933年のこと。今でこそ10両編成の電車がひっきりなしに運転されているが、当時はたった1両編成の電車がトコトコと走っていた。
現在でも梅田から心斎橋までの各駅で現役で使われている、シャンデリアの下がったドーム屋根をもつ、まるで宮殿のようなホームは、輝かしい未来の幕開けの象徴として、さぞや市民の感嘆を誘ったことであろう。
その喜びは、開通の年に作られた「大大阪地下鉄行進曲」という歌からも伝わってくる。この歌は御堂筋線開通当時の映像と共に、このフロアのモニタで聴く事が出来る。
最後は鉄道ファンらしく、開通当時の阪神梅田駅の模型で締めるとしましょう。
見学を終え、ひたすらエスカレーターを乗り継いで1階へ戻る。何だか博物館というよりはテーマパークのような場所だった。
折角大阪城公園のそばまで来ているので、少しだけ散歩して帰ることにする。
<おまけ>
博物館周辺の地面に、いくつも描かれている赤い丸。これも難波宮の建物の柱があった部分を表しています。
(2007.11.17)
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