フランス (1-6)オペラ座界隈
Cadetから15分、ラファイエット通りの西端に到着。オスマン大通りと交わるこの交差点の角には、ガラスドームで有名なパリを代表する老舗デパート、『ギャルリー・ラファイエット』の本店がある。この辺りまで来るとすっかり繁華街らしい活気に満ちており、観光客も大手を振って歩けるような雰囲気になってきた。周辺の建物の階数こそ少ないものの、ここは銀座か心斎橋か・・・という感じである。
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Cadetから15分、ラファイエット通りの西端に到着。オスマン大通りと交わるこの交差点の角には、ガラスドームで有名なパリを代表する老舗デパート、『ギャルリー・ラファイエット』の本店がある。この辺りまで来るとすっかり繁華街らしい活気に満ちており、観光客も大手を振って歩けるような雰囲気になってきた。周辺の建物の階数こそ少ないものの、ここは銀座か心斎橋か・・・という感じである。
荷物を置き、身軽になったところでいざ出発。4月上旬~中旬のヨーロッパはまだまだ寒いだろうと思い、また早春は天候が不安定ということでセーター+コート(+手袋)の完全冬装備でやって来たのだが(結果的にはこの格好で大正解)、この日はポカポカ陽気で体感温度は大阪と変わらない位。時刻は午後6時半だが、今週の日曜日に夏時間に切り替わったところで日没は8時頃となり、まだまだ日が傾き始めたばかりである。
家路につく人々でごった返すホームに降り立つが、なんか照明が薄暗いし、床にはゴミが散乱しているしで、憧れのパリへの第一歩としてはあんまりである。
私が用心しすぎなのか、一緒にプラットホームに降りてきた旅行者は全員目の前の電車に乗り込んでしまい、ガランとしたホームで7分後の電車を待つ。BGMでポピュラーミュージックが微かに流れる静かなホームでベンチに座っていると、「トゥントゥントゥーン」と非常に耳に残るジングルが流れ、続いてフランス語での自動案内放送が。凄く綺麗なメロディだなぁと感じ入り、帰国後に調べてみたところ、これはSNCF(フランス国鉄)の公式ジングルだとか。自動放送の前には必ず挿入されるため大きい駅にいれば頻繁に耳にするほか、SNCFのTVCMでもサウンドロゴとして使われており、フランス国民への浸透度は並大抵ではなさそうだ。
《Aéroport Charles-de-Gaulle 1駅コンコース》
*フランスおよびドイツの通貨はユーロ。2008年4月時点でのレートは1ユーロ=約160円。
ANAが使用しているシャルル・ド・ゴール空港の第1ターミナルは1974年の開港当初からの建物で、さすがに古さは隠せない。竣工当時は間違いなく斬新さが光っていたはずだが、30年以上が経過した今となってはレトロフューチャー的というか、場末の遊園地にも似た哀愁が漂っているようにも感じられる。現在は漸次改装工事が進められているというが、とりあえずコンクリートの打ちっぱなしはやめた方が・・・
NH205 東京成田(11:25)→パリ・シャルル・ド・ゴール(16:40)
定刻では11時25分発なのだが、「出発の準備が整っていない」とかで更に待たされ、漸く搭乗が始まったのは11時20分頃のこと。帰りならともかく、パリ到着後は早速動き回る予定なわけで、飛行機の遅れのせいで一分一秒が貴重な現地での滞在時間が削られてしまうのは痛い。天候不良や滑走路の混雑など、不可抗力な遅延の要因は多々あるだろうが、少なくともゲートを離れるまでは航空会社の責任でもって100%の定時出発率を心掛けて欲しいところ(もちろん乗客の遅刻は別)。
NH2176 大阪伊丹(07:55)→東京成田(09:05)
13番ゲートから搭乗。しばらく飛行機に乗らないうちに従来のタイプの搭乗券は廃止されており、カウンターでQRコードが印刷された「搭乗案内書」というペラペラの券が手渡され、保安検査場と搭乗ゲートでコードを読み取り機にかざして通過する方式に改められていた。航空券自体もE-チケット化され、自宅で印刷してきた控えを見せるだけになっていて、ずっしりと重い航空券の束を手に取りながら旅の期待に胸を膨らませていた時分が今更ながら愛おしく思い出される。飛行機の敷居もますます低くなり、ハンバーガー計画(覚えてます?)も極まった感があるが、反面有り難味に欠けるような気がするよな、と、ピンクのペラ券と化した搭乗券を手にそんな思いを抱くのだった。
2008年4月4日、午前7時。今日一日の仕事が始まったばかりの大阪伊丹空港から今回の旅がスタートである。
さて今回の目的地は、かねてから訪れてみたいと考えていたドイツ、そしてフランス。当初はドイツのみに絞っていたのだが、計画を練っているうちにドイツ国境に近いフランスのストラスブールにも寄って行きたいと思い始め、それならば開通したばかりのTGV東ヨーロッパ線でアクセスしたいがためにまずはパリへ。パリは初めてなので、せめて3泊くらいはして有名どころは一通り押さえておきたい・・・と、フランスの比重がどんどん増し、結局組み上がったプランはフランス5泊、ドイツ6泊とほぼ拮抗する形になった。
*2008年の香港旅行記も併せてどうぞ。
⇒I-06 香港の旅2008 カテゴリリスト
12/12(Tue) | 大阪関西 → 香港空港 → 東涌 → MTR迪士尼線 → ビクトリア・ハーバー → スターフェリー → 香港島トラム(1) |
12/13(Wed) | 佐敦 → 錦田 → 新界LRT → 東鉄線 → 香港島トラム(2) |
12/14(Thu) | 佐敦 ―[高速船でマカオへ]→ セナド広場 → セント・ポール大聖堂 → モンテの砦 → 媽閣廟 → ペンニャ教会 ―[高速船で香港へ]→ 男人街 |
12/15(Fri) | 九龍公園 → 九龍寨城公園 → ヒルサイドエスカレーター → 上環 ―[エアポートエクスプレス]→ 香港空港 → 大阪関西 |
連載最終回です。
機場快綫の到着ホームにMTRのインフォメーションカウンターがあったので、4日間お世話になったツーリストオクトパスを払い戻す。デポジットと合わせて150香港ドル程戻ってきて、現金という形のある物を手にすると儲かったような気になる。通常版のオクトパスだと発行後すぐに払い戻すと手数料がかかるが(確か7香港ドル)、ツーリストオクトパスの場合は無料。
ツーリストオクトパスで改札を抜けてホームへ。先述のようにインタウンチェックインは九龍駅で行っているので、無事改札を通過出来るか少々気掛かりだったが、全くの杞憂だった。
昼食難民に陥ってしまい、空きっ腹を抱えてフラフラしていると、店頭で肉を炙り焼きにしている店を発見。もしや・・・と思って入ってみると、やはり「焼味飯」を食べさせてくれる店だった。ということで豚のロースト乗せご飯を注文。こんがりと焼き上がった皮が油でテカテカと光り、野生的な食欲をそそる一品。そしてお米はパサパサしていると日本では不評なものの私は結構好んで食べるインディカ米で、なかなか口に出来ないだけあり嬉々として頂く。
すっかり馴染みになった上環駅で下車。そろそろ空港へ向かう時刻を念頭に置いて行動しなければならないが、飛行機の出発時刻が15時05分、機場快綫の香港から空港までの所要時間が24分、そしてこの機場快綫の運転間隔が12分。空港で出国審査を受ける時間を考慮し、やや余裕を持って1時間半前(13時30分)に香港駅を出発することにした。
麓から15分、ひたすら登り詰めていい加減うんざりしてきた頃、ようやく目前に高層マンション群が迫ってきた。ここまで来ると往来する人々もめっきり数を減らし、どことなく高級住宅街らしい風格が漂っているように感じられる。
MTR東涌線/機場快綫の香港駅は中環(セントラル)エリアにあるが、既存の繁華街からは若干離れている。この駅は国際金融中心(International Finance Centre、略してIFC)というオフィスやショッピングセンター、ホテル等が一体となった複合施設の一要素として取り込まれており、未来的な景観を作り出している。
BP International Houseは大型ホテルなので、ロビー前に常にタクシーが待機している。運ちゃんに「九龍地鐵站」と書いたメモを見せると、二つ返事で西へ向けて走り出した。この時は短距離乗車だった為に意識していなかったのだが、香港では後部座席を含めてシートベルトの着用が義務化されており、違反者には最高5000香港ドル(約7万5千円)の罰金と3ヶ月の懲役が科せられるという大変厳しいもの。しかもタクシーの場合、処罰対象はドライバーではなく乗客なので、事情を知らない外国人だとかうっかり忘れていたとかでも運転手は知らんぷり・・・だとか。
これからホテルのある佐敦へ帰るつもりだが、また楽富駅まで歩くのにはちょっと遠いし、ルートにも変化を付けたいのでバス乗り場を探す。先ほどから屋根に赤をあしらったマイクロバス、通称「赤バス」は何台も傍を通り過ぎていくのだが、これは路線バスというよりは営業エリアを限定した乗合タクシーという性格が強く、運賃の支払いにオクトパスカードが使えないとか(その代わりお釣りは出る)、降車ボタンが設置されておらず運転手に降りる場所を直接口頭で伝える必要がある(しかも広東語で。実はこれは一昨日ツェン湾→ツェン湾西で乗った緑バスも同様)とかで、香港初心者にはえらく敷居の高そうな乗り物である。当然の事ながら敬遠して暫くウロウロしていると、大型ホテルと幹線道路を発見。幹線道路に出れば幾らでもバスは見つかりそうだったが、ホテルの真ん前に緑バスの停留所があり、MTR九龍塘駅行きの表示が出ていたので、これに乗ってMTRの駅を目指すことにした。
さてこの九龍寨城(九龍城砦)、日本でも非常に知名度が高い場所ではあるが、取り敢えずごく簡単にあらましを。1840年に清とイギリスとの間で勃発した阿片戦争の結果、香港島、その後九龍半島がイギリスに割譲され、更に新界と島嶼部が租借されて現在の香港特別行政区の領土が確定したのだが、古くからの防衛拠点として要塞が築かれていた九龍城砦は例外的に租界から外され、清の飛び地となる。
彌敦道を南へ。再び重慶大厦の横を通り、途中から地下道へ入って東へしばらく歩くと、九広鉄路(KCR)東鉄線の尖東(Tsim Sha Tsui East)駅に到達する。
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