フランス (2-5)中世市場都市プロヴァンその3
シャテル広場から観光局のおすすめルートに従って東へ歩いていくと、なんか見覚えのある景色が・・・ そうそう、2、3年前にNHKの特番でこの街が紹介されていた時にこの道を通っていたっけ。当時はプロヴァンなんて聞いたこともなかったというのに、図らずも実際にこの地の土を踏むことになろうとは。
ということでセザール塔(Tour César)の入り口へ。パンフレットから概要を丸写しすると・・・
シャンパーニュ伯爵家の権力のシンボル。12世紀に建設。監視塔、牢獄、鐘楼等、様々な役割を果たした。 最上階からまち周辺のパノラマが見渡せる。
と歴史的経緯はともかく、権力の象徴と言うよりはまるで御伽噺にでも出てきそうなメルヘンチックな風貌である。せっかくなので登ってみたいと思っていたのだが、13時47分発の列車でパリへ帰る予定なので、下の町を散策する時間を考慮すると内部をゆっくり見学する余裕はあまり無さそう。加えて今日は天気が芳しくなく、塔の上からのパノラマもそれほど期待出来そうにないので、今回の所は見送ることにした。
塔から更に東へ歩き出したところで家族連れに出会い、可愛らしい男の子に「ぼんじゅーる!」と元気良く挨拶されて顔がほころぶ。そういえばフランスに着いてからサービス業に携わる人と既に何人か話したが、みな笑顔(それも自然な)で感じのよい人ばかり。さっきジェネラル・ルクレール広場で立ち話中のおばちゃんがフラフラっとぶつかって来た時も「オーウ、エクスキューゼモワー!」なんて陽気に謝られるものだから、誰が言い出したか知らないが「フランス人は気難しくて意地悪」なんて先入観が早くもガラガラっと瓦解してしまう。
続いてサン・キリアス聖堂(サン・キリアス参事会管理聖堂/la Collégiale Saint-Quiriace)へ。またもやパンフレットから概要を引用すると、
アンリ・ル・リベラル伯爵の意志により、12世紀に建設を開始したが、フィリップ4世治世下、王国の予算不足のため工事を中止して未完成のまま。身廊及び正面入口はサン・キリアス広場の端まで建設される予定だった。天井の崩壊により、17世紀に円天井が建設された。
まるで途中からスパッと切り落としたかのようなファサードの素っ気無さなど、確かに作りかけって感じですよね。ちなみにこの聖堂の中には入っていないので、内部の写真はありません。私は宗教嫌いなので寺や神社、教会といった宗教建築にはとんと興味がなくて、この先も教会の話になるとおざなりになるでしょうからそのつもりでどうぞ宜しく。
この聖堂のすぐ横には学校らしき建物があり、若い子が盛んに出入りしている。門には「Lycée Thibaut de Champagne」と書かれており、Lycée(リセ)は日本の高校に相当するのだが、あまりに立派な外観に最初は大学かと思ってしまった。それもそのはず、かつては何とシャンパーニュ伯爵家の宮殿だったそう。そんな所で勉強できるなんて羨ましいなぁ。
セザール塔をぐるっと回り込む形でパレ通りをシャテル広場へ戻る。途中には「プロヴァン市及びプロヴァン市民博物館(le Musée de Provins et du Provinois)」があるが、開館は正午から。忙しいツーリストには容赦のない街である。
この通りを歩いていると、上の町を巡回する観光列車が登場。ゆっくりとマイペースにゴトゴトと走り、後ろから大人しく付いてくる車の列。何となく心が和む。
一通り上の町を見て歩いたところで、坂を下って今度は下の町へ。
(2008.04.05)
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