フランス (4-6)ポンピドゥー・センター~パリ市庁舎
アルコル橋を渡り、パリ市庁舎の西側を通り抜けてポンピドゥー芸術文化センターへ向かう。途中、とある店の前に列が伸びているのを見つけ、何だろうと思っていたらパン屋さんだった。時刻は午後12時半、丁度お昼時である。昼食をリーズナブルに済ませるならばやはり食べがいのあるフランスパン(バゲット)のサンドイッチということで、老若男女問わず大人気のようだ。
狭い路地を抜けてジョルジュ・ポンピドゥー広場(Pl. Georges Pompidou)に出てくると、突如としてパイプのお化けとでも言うべきポンピドゥー芸術文化センター(Centre National d'Art et de Culture Georges Pompidou)が目の前に姿を現した。1977年に当時のフランス大統領、ジョルジュ・ポンピドゥーの肝煎りで開館した建物で、パリ三大美術館のうち最も年代の新しい1915年以降の作品を所蔵する、国立近代美術館がこの中にある。
設計者はレンゾ・ピアノ(関西国際空港のターミナルビルの設計者としても知られる)とリチャード・ロジャーズ。現代の視点で見ても十分前衛的な建築なのに、これが30年も前に伝統的な建物が建ち並ぶ地域にいきなり現れたのだから、波紋を呼んで当然といったところ。それでもエッフェル塔よろしく、年月が経てばいつの間にやら溶け込んでしまうというのが、伝統を重んじながらも時代を先取りする視点も併せ持つ、この街の懐の深さなのかもしれない。日本の京都しかりパリしかり、超一流の都市の証である。
手荷物検査を経て中へ入ってみると、内部も外観と同様にパイプや鉄骨がむき出しの空間。しかしこれはデザイン一辺倒ではなく、配管を天井に配置することによって空間利用の自由度が広がるという機能的な面が大きいという。
ところで・・・ こんな所にも居ました、チュイルリー公園でお見掛けした「ママン」。あそこのものよりは一回り小さいけれど。
ちなみにヨーロッパでは探すのに難儀する公衆トイレ、ここの1Fにあるので覚えておくと咄嗟の時に助かるかも。
時刻は1時頃、そろそろ昼食を摂っておこうと考え、ポンピドゥー・センターのすぐ南側の路地沿いにあったケバブ屋さんへ。といっても注文したのはファラフェル(中東発祥のヒヨコ豆のコロッケ)のドリンクセットである(5.5ユーロ)。実はこれから行くマレ地区に有名なファラフェルの店があるのを知っていたのだが、空腹でちょっとそこまで持ちこたえられそうになかったので。ポテトが山盛りになって付け合わせとして出てくるあたり、妙にアメリカンである。まあ、フレンチフライというくらいだし。
昼食後、もう一度ポンピドゥー・センターの周りをぷらぷらと散歩。建物の南隣には小さな池があり、現代美術の殿堂らしく得体の知れない(笑)謎のモニュメントが多数設置されている。水をチョロチョロと噴き出したり水面で回転したりと、コミカルな動作を眺めているとなかなか楽しい。
来た道を戻り、先程通り過ぎたパリ市庁舎(Hôtel de Ville de Paris)へ。なんせフランス語はずぶの素人である自分、駅名にもなっている「Hôtel de Ville」の文字を見て、最初は有名なホテルでもあるのかな?と首をひねっていたのだが、Hôtelには邸宅とか官邸という意味があり、Hôtel de Ville~と来ると~市役所や~区役所を表わすことになる。発音ルールの難解さから単語や地名でさえ直感的に読めないこともあり、実にフランス語は敷居が高い。
市庁舎前のオテル・ド・ヴィル広場には毎年冬になるとスケートリンクが登場するそうだが、この日は大小の中国国旗を持った中国系の人が屯集し、何だかただならぬ雰囲気。帰国後に知ったのだが、この日は北京オリンピックの聖火リレーがパリを通過し、チベット問題が取り沙汰されていた時期でもあって人権弾圧に抗議するデモ隊に妨害されるなど色々と混乱が起きたらしい。正論ぶるならば「平和の祭典」であるオリンピック(実情はまた別として)に政治の話を持ち込むこと自体がナンセンスだと思うのだが、なにせ相手が相手だ。チベット仏教の最高指導者・ダライ・ラマ14世にパリの名誉市民の称号を贈ったドラノエ市長と市議会をはじめ、厚顔無恥な中国の圧力にも屈せず信念を貫き行動を起こす人々には最大限の賛辞を送りたくもなる。とはいえ、殆どの観衆はあくまで和気藹々と4年に一度のイベントを楽しんでいたということは書き添えておきたい。
《市庁舎の正面に掲げられた、「パリ市は世界中の全ての人権を守ります」の横断幕》
この後はマレ地区へ。
(2008.04.07)
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