四国62h (1-11)安芸を巡る・その2
野良時計から少し北上し、土居廓中(どいかちゅう)と称される武家屋敷街へ。ここには土佐藩の家老・五藤氏の家臣たちが居住していた屋敷群が残っている。
そのうちの一軒である「野村家」が一般公開されており、有り難いことに入館料は無料。家主は上級の家臣だったそうだが、300坪もある広い屋敷ながらも襲撃に備えた設計も施してあり、果たして枕を高くして寝られたのかどうか。
《野村家・表門》
《表門の奥に『塀重門』とよばれるもう一つの門が》
《家屋の縁側》
《縁側から客間として使われた表の間を眺める》
《次の間(右)と、3つある居間のひとつ(左)》
《ほとんどの屋敷がこのような菜園を持っていたそうです》
安芸市オリジナルデザインのマンホール&点検蓋の数々。
続いて安芸城へ。鎌倉時代の1308年に築城されたといわれ、以来安芸氏代々の居城となっていたが、1569年に四国の雄・長宗我部元親の手によって落城・滅亡。約30年間の支配ののち、土佐藩の初代藩主となった山内一豊の重臣である五藤氏の屋敷として使われるようになった。五藤氏による統治は幕末まで続き、現在もその末裔が敷地内に暮らしているそうな。
《安芸城のお堀》
《入り口》
《敷地内》
山内一豊の家臣だった五藤為浄(賤ヶ岳の戦いの前哨戦にて陣没)を祀った「藤崎神社」。彼は司馬遼太郎の『功名が辻』にも登場している。
敷地内には城址の小山があり、この死ぬほど暑い中で頑張って登ってみた。建物は何も残っていないが、周囲の眺望を楽しむことが出来る。夏草や、兵どもが夢の跡…
城内には五藤家の資料等を展示した歴史民俗資料館と、全国でも珍しい書道専門の美術館である書道美術館があるが、それほど興味が無かったのでこちらはパス。往きとは違う道を辿って、自転車を停めてある駐車場へ帰ることに。駐車場には先ほどからアイスクリームの移動販売車が出ており、この酷暑で飛ぶようにとまでは行かなくてもちょくちょくと売れている。
再び自転車を駆って駅方面へ戻り、駅へ帰る前に一旦国道55号線沿いへ。市役所はこの国道に面しているが、町の中心部はさらに南側の一帯。暑さでヘロヘロなのでそちらの訪問は断念した。
《(上2枚)市役所付近にて。野良時計を模した電話ボックスとか》
午後4時前、駅に戻って自転車を返却。さて、次の目的地は赤岡町(駅名は<あかおか>)なのだが、ここには夕方以降に到着していればいいので、気の向いた駅で途中下車をしつつ向かうことにしよう。
とはいえ次の後免方面行きの列車は16時33分発で半時間以上も先。ということで一計を案じ、16時15分に発車する奈半利行き普通で隣の伊尾木駅へ向かい、少しだけ駅周辺を散歩したのちに後免方面行きの列車をつかまえるという、『バースデイきっぷ』ならではの強みを活かした折り返し乗車を敢行することにした。てなわけで待ち時間のあいだ、アイスクリームで一息。はぁ~、生き返る~。
《ほんのり柚子フレーバー》
《安芸駅・改札口》
ホームへ上がると、隣接した車両基地では午前中に乗ってきたばかりのオープンデッキ車両がお昼寝をしている。奈半利到着後は奈半利→後免→安芸と走り、15時頃には既に今日一日の仕業を終えていたのだった。輸送力にシビアではないローカル線とはいえ、通常業務に供するにはやはり扱いにくい車両ということなのだろう。この優雅さも、観光客の誘致という特命を担うスーパースターならではの特権か。
次回は途中下車2題です。
(2008.07.19)
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