四国62h (1-13)赤岡絵金祭り2008・その1
《あかおか駅・外観》
あかおか駅は、現在合併により香南市となっている旧赤岡町の中心駅。平成の大合併のさなか、日本で最小の面積の自治体となった時期もあったが、この小さな町の夏の風物詩が、幕末~明治初期に活躍した浮世絵師・弘瀬金蔵の手による屏風絵を野外展示する、『絵金祭り』である。
「絵金」は、土佐の芝居絵師・金蔵の通称です。 幕末から明治の始めにかけて活躍しました。 もとは土佐藩家老桐間家の御用を勤める狩野派の絵師でしたが、 贋作事件に巻き込まれ、城下追放になります。 野に下った絵金は、叔母を頼りにこの赤岡の町に定住し、 酒蔵をアトリエに絵を描きました。 (絵金蔵公式サイトより)
この屏風絵は普段は蔵の中で眠っているのだが、毎年7月14日・15日の宵宮まつり、そして昭和52年から始まった7月の第3土曜・日曜に開催される『絵金祭り』と、年に2度だけお披露目されるのだ。実は今回の旅のプランが完全に固まってからごめん・なはり線の沿線の町でこのような祭りが開催されるのを知り(全国的にはマイナーな祭りなので仕方ないのですが)、急遽予定に組み込んだというわけである。高知県指定の有形文化財に指定された美術品なので、もちろん雨天時には展示は中止になるわけだが、本日は一片の憂いも抱かせないほどの快晴。到着した列車からは私を含めて次々と祭りへ向かう客が降り立ち、細い流れとなって会場の商店街を目指している。
恒例の駅イメージキャラクターは、もちろんこの弘瀬金蔵をモチーフにした「あかおか えきんさん」。年に4日限りのハレの日を迎え、心なしか張り切っているようにも見える。
「7度目の夏がやってきたわい!」
国道から商店街の入り口を眺めて。駅前や国道の横断歩道には誘導員が立ち、弥が上にも祭りの高揚感が高まってくる。
商店街には屋台がずらり。ひそやかに行われる宵宮の「静」に対し、この絵金祭りは「動」と位置づけられているそうだ。
ところが、祭りの主役であるはずの屏風絵は影も形も見当たらず。総合案内所で伺ってみたところ、制作から150年を経てただでさえ劣化が進んでいる上、直射日光で更に傷めつけるわけにはいかないということで、日没ぎりぎりの時刻になってから登場するとのこと。辺りが夕闇に包まれた後、屏風絵の前に置かれるロウソクの淡い光だけで鑑賞するという、何とも風雅なイベントなのである。7月中旬ということで日は長く、旅行者にとっては活動時間が増えて歓迎以外の何者でもないのだが、この日ばかりはなかなか沈まぬ太陽がもどかしい。
案内所の方に「まだだいぶ時間があるので、『弁天座』で涼まれてはいかがですかー?」と勧められたので、その弁天座へ向かう。明治後期に建てられ昭和45年に取り壊されるまで存在した芝居小屋を2007年に再建したもので、舞台や演劇など地域の交流拠点として多目的に利用されているそうだ。この弁天座の向かいには、現在町に残る23点の屏風絵を厳重な管理の下で収蔵・保存し、代わって複製画を常設展示している『絵金蔵』が建っており、この一角だけは江戸時代っぽい雰囲気である。
《(上2枚)弁天座・外観》
《左が弁天座、右が絵金蔵》
この日は地元有志による絵金歌舞伎が上演されており、館内は大盛況。なんとか最後方のパイプ椅子に空きをひとつ見つけて腰掛ける。素人ながらも何ヶ月も前から稽古を重ねているそうで、大いに期待が持てるのだが…
あれっ、子供が出てきましたけど(汗)。
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鑑賞中…
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おいっ、エコ○ュートの宣伝かよッ!!
開演まで30分くらい待ったのにィ~。内輪受けもいいけど、他所から来て置いてけぼりにされる人間のことも考えてくれい。あの場違い感というか気まずさったらもう…。
そんなこんなで午後6時半。そろそろいいかな…と弁天座を抜け出し、商店街沿いのベンチで登場に備えて待機。流石に勝手知ったる地元民、この時間になると人出も一層増えてきて…。
(2008.07.19)
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