« 四国62h (2-3)高知の果て、日本の果て(後編) | トップページ | 四国62h (2-5)予土線・四万十トロッコ号(出発編) »

2009.11.12

四国62h (2-4)2/88

宿毛線普通 宿毛(12:50)→中村(13:20)
特急南風20号 中村(13:25)→窪川(13:59)

ホームには先ほど宿毛に到着した時の状態のままで2両のディーゼルカーが発着線を埋めているが、12時50分発の列車として出発するのは乗ってきた列車ではなくてもう一方のほう。土佐清水市出身のジョン万次郎にちなんで「ジョン万」というニックネームが付いており、貫通扉にもヘッドマークが掲げられている。彼はアメリカへ渡航した際に日本人で史上初めて鉄道に乗車した人物だそうだ。ちなみに乗ってきた方の車両はやなせたかし氏デザインによる「だるま夕日号」である。

20080720120250

往きは全席ロングシートだったが、今度は転換クロスシートが設置されていて景色を見るのもラク。そして往きの列車よりも遥かに車内に活気があり、途中駅でも中学生か高校生くらいの子供がちょくちょく乗り込んでくる。地方のローカル線ならば何処でもそうだが、やはりクルマの免許が取れない高校生以下と年配者が乗客の主役。それでも宿毛市は人口2万3千人の幡多地方の主要都市で、中村市と両輪の存在としての流動の多さが実感できる。

中村駅ではちょっと駅前に出る程度の寸暇さえも与えてはくれず、5分接続の《南風20号》へすかさず乗り換え。号数から読み取れるように、高知駅基準で本日10本目の上り《南風》となる。2時間前に中村に着いた時の列車が1号だったというのに帰りはもうこんな大きい号数になるとは、県都高知からの距離の遠さを物語っている。車番を控えていたわけではないので断言は出来ないが、1号が到着してから上り特急はまだ一本も出発していないので、恐らく同じ編成なのだろう。ただ、乗務している女性の車掌さんの方は往きと同じだったと自信を持って言える。というのも顔を覚えていたわけではなく、髪が金に近いほどの明るいブラウンで目立ちまくっていたからである。業種の性質上高い規律が求められる鉄道乗務員がこれだけ派手なヘアカラーをしているとは、年配者の感覚だと眉間に皺を寄せそうな気がするのだが、先入観のない私は田舎のクセになかなか“先進的”な会社じゃないか…と、良い意味でイメージが変わったのだった。そういえばドイツでICEに乗車した時に、『ラン・ローラ・ラン』の主人公のように真っ赤っ赤の髪のオバサン車掌が現れて度肝を抜かれたものだが…。

短時間乗車ではあるが、もちろん座席はグリーン車。どうせガラガラの高知以西、それも末端区間ならばこんなチョイ乗りで占有したところで誰にも迷惑は掛けまい。往きと同じく海側の1人掛け席だったので、土佐入野~土佐佐賀間のシーサイドビューを再度堪能。ループ線を駆け上がり、中村から34分の窪川駅で下車する。

20080720140144

窪川町も2006年に周辺の自治体と合併して四万十町となっており、隣の四万十市と同名で並存するという面白いことになっている。古くから馴染みのある例としては釧路市と釧路町(北海道)が挙げられ、ほかにも県内ではもう一つ土佐市/土佐町、県外では越前市/越前町(福井県)・府中市/府中町(広島県)・清水市→静岡市清水区/清水町(静岡県)といったものもあり、確かに紛らわしくはあるものの、かといって一概に忌避されるほどの特殊な例というわけでもないようだ。

窪川駅はJRの駅舎のほか、隣に三角屋根が特徴の土佐くろしお鉄道の駅舎が別に構えている。直通の特急はJRのホームに発着するので、この駅舎を使うのは中村線のローカル列車に乗り降りする場合だけである。

20080720140459
《こちらはJRの駅舎》

20080720140606
《そしてこちらが土佐くろしお鉄道(のローカル列車)の駅舎》

トロッコ列車の発車時刻までにはまだ1時間あるが、駅舎内の待合室には乗客とおぼしき中年か熟年の団体が既に待機。「喫茶店でも探そうか」なんて声も聞こえてくる。私もここで所在なさげにしていても仕方がないので、暇つぶしに駅近くの八十八ヶ所の札所を見に行くことにした。コインロッカー代が勿体無いのでいつもより小型のキャスターバッグをコロコロと転がして炎天下を歩いていくが、グリーン車を乗り回す大名旅行の癖にこんな所は貧乏臭いのだから、なんだか自分でも滑稽に思えてくる。

場末の香り漂うスナックだけが妙に存在感を主張する寂れきった商店街を抜け、10分ほどで第三十七番札所の岩本寺(いわもとじ)に到着。ごくごく小さいながらも“門前町”があり、この活気の薄い町でここだけが浮き上がったかのように善男善女で賑わっている。

20080720141413

20080720141501

20080720141847

このお寺は本堂の天井一面を飾る575枚の天井絵が名物で、中にはマリリン・モンローなどの奇抜なものもあるらしいのだが、この日は堂内でお勤めが開かれていて見学することは出来ず。僻地らしくこの寺の前後の札所の間隔は非常に長く、特に次の第三十八番札所である金剛福寺は足摺岬にあってとんでもなく遠い。私が八十八ヶ所の札所を訪れた経験は、記憶にある限りではココとことでんの長尾線の試乗ついでに訪問した長尾寺(第八十七番)の二つだけである。この近辺はともかく、人口密集地ではわりとゴロゴロしているのだが…。

帰り道の四万十町役場(旧・窪川町役場)には「高速道路早期着工完成」の看板がでかでかと掲げられている。願いが通じて2013年には高知自動車道の延伸区間がここ窪川まで開通する見込みとなっているが、そのずっと半世紀以上前から鉄道が既に通じているのだから、あまり期待に目をキラキラさせてもらっても鉄道好きとしては立つ瀬がない。

20080720142237

途中の酒屋で酷暑が予想されるトロッコ列車内での水分補給として1.5Lのペットボトルを仕入れ、駅へ戻れば発車20分前。少し早いが、改札を抜けて列車に乗り込むことにした。

(2008.07.20)


« 四国62h (2-3)高知の果て、日本の果て(後編) | トップページ | 四国62h (2-5)予土線・四万十トロッコ号(出発編) »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 四国62h (2-4)2/88:

« 四国62h (2-3)高知の果て、日本の果て(後編) | トップページ | 四国62h (2-5)予土線・四万十トロッコ号(出発編) »

スポンサーリンク

Blog内検索

無料ブログはココログ