四国62h (2-5)予土線・四万十トロッコ号(出発編)
四万十トロッコ1号 窪川(15:02)→宇和島(17:51)
さて、いよいよ本日のメインイベントである《四万十トロッコ》号への乗車の時間がやって来た。予土線のトロッコ列車の運転開始は1984年、今となっては全国津々浦々で運転されているトロッコ列車のパイオニアと呼べる存在である。現在もこの運行開始当時の貨車改造の車両が「清流しまんと号」の愛称でもって現役で活躍しているが、私が乗車するのは1997年に第二弾として登場した新型客車。特急型気動車のキハ185系と常にペアを組み、宇和島方面へ向かう際にはトロッコ客車の運転台を先頭とした推進運転となるという、さながらクハ+クモハの気動車版である。宇和島まで乗り通すと3時間近くの長丁場となるが、キハ185系の方にトイレが付いているので安心だ。
《(上2枚)トロッコ客車・外観》
《相方のキハ185系》
季節運行のこの列車、今夏の運転は本日が初日。いそいそとトロッコ客車に乗り込んでみるが、当然のことながらオープンエアーである上に、昼下がりまでの間にこの鉄板の集合体はたっぷりと熱を蓄積し、さらに屋根からの輻射熱で車内は灼熱地獄の様相。例の団体も冷房の効いたキハ185の方に一時避難している。
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《(上3枚)車内のようす》
それでもハラを決めて発車2、3分前にはトロッコ客車へ移動し、私も進行方向右側、真ん中にテーブルのついた4人掛けのボックス席を一人で占領。15時02分、宇和島へ向けて発車… となった矢先、なんと団体のメンバーのうちの数人がまだ乗り込んでいなかったらしく緊急停止。のらりくらりと跨線橋を渡ってきたのだが、観光バスのつもりでいるのか、まったく。構内を抜ける前に気付いてもらえて良かったな。
そんなわけで今度こそ出発。窪川~若井間の一駅は土佐くろしお鉄道中村線の路線となるため、土讃線~予土線相互間を乗り通す場合でも別途200円の運賃が必要。普通乗車券では前後の運賃が通算となるので意識することはないが、例えば今日から夏のシーズンが始まった「青春18きっぷ」など、JR線内でしか効力の無いきっぷでは駅改札や車内での別運賃の支払いが必要になる。近年でこそ整備新幹線開業による並行在来線の分離でネットワークが途切れるケースは珍しくなくなったが、それまでは国内でも稀な例であった(福岡市交空港線開業による筑肥線の分断も類例?)。私も周遊券でこの区間を抜けた際には窪川駅の改札で運賃を支払ったものだが、今回はバースデイきっぷなのでフリーパス。310円の座席指定料金も免除となり、嬉しい限りである。
先述のように実際の分岐地点は若井駅の先の川奥信号所であり、さすがに信号所で乗り降りするわけにはいかないので、若井駅~川奥信号所間はJRであり土佐くろしお鉄道でもある二重戸籍区間となっている(どうして窪川~若井間もそうしなかったのかという疑問も湧きますが)。この区間で行程中最初のトンネルへ差し掛かり、中はひんやりで生き返ったような気持ちに。ごめん・なはり線のオープンデッキ車両ほどではないにせよ風は強く、そんな中でも車内改札はきっちり行われるので、きっぷを持つ指先にもグッと力が入る。
《(上2枚)中村線内をゆく》
川奥信号所では行き違い列車はないものの一時停止。もう一度眼下の谷間を走る中村線の線路を立ち上がって覗き込むと、後ろの席に座っていた若い男性二人組も反応を示す。おぬしら、同業者やのう。
川奥信号所からはいよいよ予土線内へ。読んで字の如し、伊予(愛媛)と土佐(高知)を結ぶ路線ではあるが、地図を見れば一目瞭然で都市間連絡の機能は無く、典型的な過疎ローカル線となっている。それでも国鉄時代には高知経由で高松と宇和島を結ぶ急行列車が運行されていたほか、JR化後も「I LOVE しまんと」という臨時特急列車が実験的に設定された時期もある。予土線は段階的に延伸されており、大まかに2つのセクションに分けられるが、前半の川奥信号所~江川崎間は1974(昭和49)年に開業し、この区間の開通でもって予土線が全通した新線区間となる。実は車内で『日本鉄道旅行地図帳』の著者としても知られる今尾恵介氏監修による沿線ガイドが配られており、これさえ読めば当記事中で語る事は何一つ意味がなくなるのだが、まぁあくまで形式的にと割り切ったうえで綴っていくことにしよう。
車窓紹介は次回以降にて。
(2008.07.20)
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