四国62h (3-4)坊っちゃん列車に乗ってみました
*時系列上では「松山市内線全線制覇 Part4」に相当しますが、検索エンジン対応で改題しました。
坊っちゃん列車 古町(08:41) → 道後温泉(09:06)
8時40分前、10分毎に松山市駅行きの電車が発着するホームに、蒸気機関車?に牽かれたミニ客車が入線してきた。2001年、松山ゆかりの歌人・正岡子規の没後100年、そして翌年に松山城築城400周年という節目の年を迎えるにあたって、観光振興の目玉として松山市と伊予鉄道が足並みを揃え、鳴り物入りで登場した『坊っちゃん列車』である。
《坊っちゃん列車第2編成。道後温泉駅ホームにて到着後に撮影》
今回私が乗車するのは、運行開始の翌年である2002年に第2編成として増備された編成。第1編成の客車が2両なのに対し、こちらは1両。第1編成の客車よりは車長は長いものの、それでも6メートルほどである。機関車も第1編成とはディテールが異なるそうだ。
《客車。道後温泉駅ホームにて到着後に撮影》
坊っちゃん列車の運転区間は松山市駅~道後温泉間が基本だが、入出庫の関係か、1日3往復だけ古町~JR松山駅前~道後温泉間の列車が運行されている。前者の所要時間が15分程度なのに対し、後者は25分。10分も長く乗れるのだから、都合さえあえばこちらを利用しない手は無いと言える。気になる乗車料金は300円だが、一日乗車券を所持していれば一枚につき一回限り、200円の追加で乗車することが出来る(右の画像は専用のチケット)。ちなみに2009年11月現在、一日乗車券の価格は400円になっているものの、坊っちゃん列車の追加料金が100円に改定されたので、坊っちゃん列車に乗車するならば値上げ分は相殺されることになる。
中途半端な立地の駅なので、ここから乗り込んだのは私だけで列車はごろりと動き出す。ホームを出たところで、高浜線の複線線路を斜めに横切って西側へ抜ける。大手町の直角クロスでは路面電車は踏切に足止めされることもあるが、ここでは鉄道線と同格の存在だ。『坊っちゃん』の作中で「マッチ箱のような汽車」と表現されている列車は、実は当時は軽便鉄道だったこの高浜線のことを指している。
牽引する機関車、外見は蒸気機関車だが実際の動力はディーゼルエンジンで、走行中は前方から絶えず「ブーン」という音が聞こえてくる。それでもわざわざ軽油を燃やして煙突から擬似的に煙を上げているほか(運転台にON/OFFのスイッチがあります)、機械合成でドラフト音を再現したりとレプリカながらも演出には抜かりがなく、観光資源として期待を一身に背負う強い意気込みが伝わってくる。軌道線上でディーゼル動車を運転するには「乙種内燃動力車操縦免許」と呼ばれる免許が必要なのだが、過去何十年間も交付された実績がなく、今回の坊っちゃん列車の運行開始にあたって各種の特認とともに堂々復活を遂げたそうだ。
宮田町からは併用軌道となり、JR松山駅前に停車。坊っちゃん列車は主要駅のみ停車の快速運転を行い、この列車の停車駅は古町-JR松山駅前-南堀端(下車のみ)-大街道-上一万(下車のみ)-道後温泉。もっとも速達効果を狙ったものではなく、ゆったりのんびり走りながらも前後の電車に影響を及ぼさないようにという配慮からだろう。JRとの接続駅であり、さーて、どれだけ乗ってくるかな?と身構えるも、なんとたった一人の乗車もなし。たまたまホームで電車を待っていたオッチャンが、車掌に「これ、道後温泉に行くの?」と確認した上で半ば“乱入”的に乗り込んできたものの、純粋に観光目的で乗車しているのは私一人だけである。
JR松山駅前を出発して駅前通りに出たところで、客車後方のデッキに立っていた車掌さんが室内に入り、挨拶と坊っちゃん列車のあらましの説明が行われる。私と同年代か少し年下くらいの彼が身に纏う制服も、明治時代のそれを再現したレトロなデザイン。案内はマイクを介さず肉声で行われるうえ、窓がすべて開け放たれて車内は騒々しいので、その声も自然に張り上げるような感じになってしまう。「往時の列車を現代に甦らせる」というコンセプトはすなわち、座席はコチンコチンの板張りで、エアコンなどという文明の利器も非装備ということ。ここまで徹底されれば唯々天晴れと言うほかないだろう。
《(上2枚)客車車内のようす》
列車には機関士2名と車掌の3名(第1編成の場合は車掌が2人になるので合計4名)が乗務しており、車掌の仕事は案内役だけではない。松山の路面電車では線路の分岐点での進路選択に「トロリーコンタクター」という装置を採用しており、架線に一定間隔を置いて2本セットで飛び出している棒の間を通過する時間(伊予鉄の場合は10秒以内かそれ以上か)で進路を決定している。ただ、ディーゼル機関で駆動する坊っちゃん列車にはパンタグラフがないので、車掌が分岐点の手前でビューゲル(集電装置の一種)を模した装置を手動で立ち上げ、トロリーコンタクターを叩いて進路を決めていく。この儀式は運転区間や方向にもよるが西堀端・南堀端・上一万の3ヶ所で行われ、車内からではこの様子を見ることは出来ないが、こういう隠れた工夫が運行を支えているということを頭に入れておけば、乗車体験も尚のこと味わい深くなるはずだ。
列車は官庁街を抜け、間もなく松山最大の繁華街である大街道へ差し掛かろうという所。ここで先ほどの車掌さんが再び扉を開けて室内へ入り、観光案内に続いて「大街道で下車されるお客様はいらっしゃいますでしょうかー」てな具合で下車確認が行われる。私もオッチャンも終点まで乗車するということは伝えてあるのだが、まぁ気が変わるということも有り得るので。ところで2001年10月の運行開始から約10ヶ月間のあいだは、一度に各停車駅間の一区間しか乗車できず、乗車料金も1,000円(!)だったというから驚いた。まさか夏目漱石が描かれた千円札にちなんで…という事では無かろうが、それでも繁忙日には積み残しが発生するほどの盛況ぶりだったというからそれもまたスゴい。
*当時の乗車料金には一日乗車券と記念グッズの進呈分が含まれていたそうです。
朝9時ではさしもの繁華街の人通りもそれほど多いわけでもなく、松山の中心で「ポーッ」と甲高い汽笛(この汽笛の音色も当時のOBによる執念の賜物)を響かせつつ再出発。登場からそろそろ8年目を目前に控え、すっかり松山の街に溶け込んでいるはずだが、それでも日に数往復限りのレアな車種。弥が上にも信号待ちの人々など、衆目の関心を大いに惹く存在であることには変わりはない。小さな子連れのキュートなママさんが私と目を合わせて手を振ってくれ、ちょっとドギマギ。
大街道から離れるに従って車窓も次第にどこか郊外っぽい雰囲気になっていき、線路も山の手へ向けて緩い上り坂に。南堀端~上一万間は全ての系統が集中する区間なので、密なダイヤの間隙を縫うように割り込む坊っちゃん列車ではあるが、焦る素振りは露ほども見せずに相変わらずののんびりペースで走っていく。
【動画】坊っちゃん列車の車窓から
そんなわけで9時06分、座席22に立席14の36名もの定員でありながら、最後までオッチャンとの二人旅のままで、終着駅の道後温泉に到着。我々二人だけのために頑張ってくれた乗務員に軽く謝意を示し、下車後のもう一つのアトラクションへ。常に機関車が先頭に立つために終着駅では方向転換を行うのだが、転車台…ではなく機関車にジャッキが装備されており、自ら車体を浮かせてクルリンと回転するという妙技を見せてくれるのだ。
《こちらは機関車と客車の切り離し作業の様子。この後、機関車の転回に移ります》
残された客車は乗務員の手押しによって再度機関車の後方に連結され、折り返し準備は完了となる。この一連の作業は文字だけではイメージが掴みにくいので、伊予鉄道の公式サイトに用意された坊っちゃん列車の紹介ページをご参照願いたい。(トップ > 復元後の坊っちゃん列車 > 坊っちゃん列車の転回)
《ちょっと見難いですが、再連結を完了してこれから引き上げ線へ向かうところです》
列車はそのまま折り返し運用に就くのではなく、駅前広場に用意された展示スペース?へ移動し、次の出番が来るまで展示物の顔をして待機することになる。何も予備知識が無い状態でこれを見たならば、まさかこのすました表情で鎮座している列車が実際に街中を縦横無尽に走り回っているとは思いもしないはずだ。
【動画】引き上げ線へ向かう坊っちゃん列車。「ガシュッ、ガシュッ」というドラフト音にご注目
松山市内線編はもう一エントリ続きます。
(2008.07.21)
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