« 四国62h (3-6)四国縦断特急リレー(第一走者編) | トップページ | 四国62h (3-8)四国縦断特急リレー(アンカー編) »

2009.11.27

四国62h (3-7)四国縦断特急リレー(第二走者編)

四国の二大幹線・予讃線と土讃線の分岐駅である多度津。1889(明治22)年5月23日、讃岐鉄道により丸亀~琴平間に国鉄およびJRの系譜を辿る路線としては四国で初めての鉄道が開通したことから、四国鉄道発祥の地とされている。また、駅至近には構内から連絡線でつながっているJR四国唯一の車両工場(多度津工場)があり、四国随一の鉄道の町となっている。

20080721122932
《多度津駅・駅舎》

発祥の地を記念して駅前広場に展示してある、8620形蒸気機関車の動輪。

20080721122952

動輪だけでなく、実物の機関車も静態保存されている。昭和45年4月1日の四国鉄道完全無煙化の日まで使用されていたそうだ。

20080721123142

20080721123211

もうお昼時なので乗り継ぎの待ち合わせ時間を利用してファーストフードでも…と考えていたのだが、特急停車駅だというのに駅前はまったく発展しておらず、猛暑の中で一応駅周辺を巡回してみたものの、気軽に食事が出来るような店もなく無駄骨で終わってしまった。しょうがないので駅舎内の「ウィリーウィンキー」というJR四国直営のパン屋さんで調理パンを調達して当座をしのぐことに。JR四国はこのように副業に力を入れており(入れざるを得ない?)、営業エリアの枠組を超えて地元の大阪梅田にも讃岐うどんの店が進出していたりする。


特急南風9号 多度津(12:54) → 阿波池田(13:31)

《南風9号》はグリーン車なしの3両編成。とうとう県都を結ぶ新幹線接続特急でありながらモノクラスの列車に遭遇してしまうことになった。昔は6両でも満員だったと聞くので、この凋落ぶりにはオールドファンでなくとも愕然とさせられる。指定席の1号車は2000系のマイナーチェンジバージョンであるN2000系で、2列席ではあるが満席ではなかったので隣には誰も座らず。

2駅目の琴平では指定席からも含めてかなりの下車があり、ゾロゾロと塊になって改札口を目指していく。岡山~琴平間は64.0km、この距離はマリンライナーが30分間隔で走る岡山~高松間(71.8km)よりも短いのだが、新幹線乗り継ぎの金比羅詣りの観光客は、事実上唯一の選択肢である毎時1本の《南風》に集中することになるわけだ。もっとも、金刀比羅宮がこれだけの集客力を保持しているという事にこそ驚いたわけだが…。

2日前の早朝と同じ道のりを辿り、二度目の坪尻駅を通過。わざわざ普通列車でやって来たらしいファンの人影が一名、車窓をよぎった。この駅に停車する列車は一日7往復。私なんぞはこんな何にもない小駅では半時間と間が持たなそうである。

徳島線の始発駅である佃には特急は停車しないので、一旦阿波池田へ(普通乗車券だと途中下車しなければ特例でこの区間の運賃は不要)。予讃線の松山方面から来ると随分遠く感じるものだが、実は高速道路だと川之江から池田までは直線的に繋がっており、距離は25kmほどなので時速70kmだと20分ちょっと。鉄道ルートだと窪川~中村間の四万十川の如き大回りをしていることになる。後ほどもう一度それを実感する場面が訪れるのだが、四国のエックスハイウェイが完成した現代で鉄道地図を前提にルートを思い描いていると、時として大きな誤謬を招くという事態を起こしかねないのである。

阿波池田では徳島線特急の《剣山8号》に乗り換え。《南風9号》の車内改札の際に接続列車であることを確認しておいたが、それでも3分接続なので心持ち早足で跨線橋を渡って出発ホームへ移動する。

(2008.07.21)


« 四国62h (3-6)四国縦断特急リレー(第一走者編) | トップページ | 四国62h (3-8)四国縦断特急リレー(アンカー編) »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 四国62h (3-7)四国縦断特急リレー(第二走者編):

« 四国62h (3-6)四国縦断特急リレー(第一走者編) | トップページ | 四国62h (3-8)四国縦断特急リレー(アンカー編) »

スポンサーリンク

Blog内検索

無料ブログはココログ