キングオブ廃線跡~晩秋の武庫川渓谷にて~・その2(福知山線旧線跡)
【追記】
こちらは2007年11月に訪問した当時の記事となります。その後、2019年5月に再訪していますので、そちらの記事を併せてご覧いただければ幸いです。
→新緑の福知山線旧線跡-令和- Part1/Part2/Part3/Part4
武庫川渓谷の懐へと進んでいきます。全行程に渡って熟年以上を中心にハイカーの姿をチラホラ見掛けましたが、しっかりハイキング装備でキメている彼らとは対照的に、自分はというと近所へ買い物に行くような超軽装で、完全に浮いているのを自覚します。まぁ、必ず照明が必要なのと途中でリタイアする手段が皆無なのを除けば、ハイキングコースとしての難易度は極めて低い為、軽装でも十分です。
《宝塚方面を向いて》
数メートルほど眼下の渓流には巨岩がゴロゴロ転がっています。下の写真の直方体に近い大きな岩は、「高座岩」と名付けられています。
このへんから枕木が現れ始め、間もなくコース中最初のトンネルへ。石積みのポータルは大正時代にこのトンネルが開通した当時のままです。福知山線の前身である阪鶴鉄道(はんかくてつどう)のこの区間が開通したのは1899(明治32)年ですが、当初はこのトンネルの右側を川沿いに線路が敷かれていたそうです。
あくまで非公認のハイキングコースですが、地元の登山会などの手によってこのような看板が設置されていたりします。
いよいよトンネルの内部へ。屈曲しているトンネルが多いので、位置によっては前後左右一条の光も見えないという場所もあり、地面にも枕木がそのまま残されているほかあちこちに突起が飛び出しているので、ちゃんと足元を照らして歩きましょう。
10分弱で最初のトンネルを抜けると、その先も保線員の退避所がそっくり残る渓流沿いの区間。よくぞこんな切り立った渓谷に線路を通したものだと感心しますが、想像通りこの区間の工事は難航を極め、トンネルの掘削に用いるダイナマイトが暴発するなどで多数の犠牲者が出ています。
ちょっと見にくいですが、「60/R300」の表記がある速度制限票です。100km/h以上で走れる現行の新線区間とは比べ物にならないスピードですが、それでも当時は目一杯の速度だったのでしょう。一度は列車で通過してみたかったものですが、廃止となったのは私が幼稚園の頃。後悔のしようもありません。
紅葉の季節、景色は素晴らしいの一言です。1989年に廃止された保津峡沿いの旧山陰本線の線路を観光鉄道として甦らせた嵯峨野観光鉄道だと、紅葉シーズンにはきっぷの入手が非常に困難になるのですが、こちらは順番待ちもなく、自分のペースで好きな場所で立ち止まって風景を鑑賞できるのが嬉しいもの。
2本目のトンネルです。長さは旧線ルートの生瀬~武田尾間では最長の413m。中で天井を照らすと、蒸気機関車の煤らしきものがこびり付いていたりします。
廃線から20年、線路設備は順調に自然に還り始めていますが、それでも列車が今にも向こうから走ってきそうな生々しさもまた留めていたりします。
三本目のトンネルを抜けるとすぐに武庫川に架かる赤いトラス橋(第二武庫川橋梁)へと差し掛かります。といっても人が渡るのは横の保線用?の通路部分。「橋りょう上歩行禁止!」の看板が出ていますが、禁を犯して渡る者もいるようです。命を落とす可能性も厭わないのならばどうぞご勝手に、という所ですが。
武庫川の右岸から左岸に移ったところで、次回へ続きます。
(2007.11.30)
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