四国62h (3-10)うだつは上がる、気温も上がる(後編)
町並み保存地区は東西に走る約430mのメインストリートに沿って展開しているが、この脇町の最大の特徴が各戸の両端に立ち上がる「卯建(うだつ)」と呼ばれる壁。もともとは火災の延焼を防ぐための防火壁として造られたものだが、時代が下るにつれて次第に装飾が豪華になってゆき、やがてその家の財力を誇示するような意味合いが強くなっていった。「一向に立身出世しない」という意味の「うだつが上がらない」という慣用句はここから由来している。
《卯建の町並みを西方向を向いて撮影》
《各戸の境目から飛び出している壁が卯建》
この卯建、東日本ではほとんど見られないそうだが、西日本でもう一箇所まとまった数で残っているのが岐阜県の美濃市。私も廃止間近の名鉄美濃町線の試乗ついでに訪問したことがあるが、あちらも長良川の水運を利用して美濃和紙や生糸の集散地として発展したという共通点が存在する。美濃とは同じ卯建でも様式が異なるそうだが、確かにこちらは美濃のそれよりも剛健な印象を抱かせる。沿道にはレトロなホーロー看板も残っており、ちょっとだけ昭和の香りも。
リアルタイム旅日記 > 脇町にて
《1711年に創建された田村家(上)とその説明板(下)》
森家の建物は今日は内部を見学できるようになっていて、大正から昭和初期まで医院として使われていたことから当時の施設がそのままの形で保存されている。有力な商家の建物は通りから見た窮屈な建て込み具合とは裏腹に、奥行きが非常に長いことが特徴。この森家の敷地も一本北側の通りにまで達している。
《森家》
《医療器具や診察台などが残る室内》
《森家の中庭》
通りに並ぶ建物では最も古い、1707年に造られた国見家。こちらも敷地が南北に細長く、敷地内から直接吉野川の船着場に出ることができたという。
《国見家》
将棋名人・小野五平の生家。
以下、西半分のダイジェストです。
続いて東半分へ。この通りは国土交通省による『日本の道100選』に選出されており、二股の交叉にはその顕彰碑が設置されている。
ちょっと横道に逸れるが、私も積極的にこの道100選を訪ね歩いているものの、例えば沖縄の黒島のように元々は情緒溢れる通りだったらしいものが何の変哲もない舗装道路に変貌してしまったり、地元の尼崎の橘通りのように選考基準そのものが疑問視されるものなど(単なる数合わせ?)、実際に訪問してみると結構ピンキリがあるもので。この通りについては選ばれるべくして選ばれたという感じだが、まぁ日本百名山しかり、こういう切りの良い数字(権威が付加すれば尚更)には人間誰しも心を吸い寄せられるようである。
通り東側の風景。写真には写っていないが一角には市立図書館があり、町家を模したデザインで完全に街並みに溶け込んでおり秀逸だ。4枚目の写真、2階の窓は「虫籠(むしこ)窓」と称されるもの(5枚目の写真がその説明板)。
徳島には『蕎麦米雑炊』という郷土料理があり、脇町でも食べられるので遅い昼食にでもと考えていたのだが、アツアツの雑炊だけにこの猛暑の中ではとてもそんな気も失せてしまった。思えば他の散策者はクーラーの効いた自家用車で直接乗り付けているわけで、駅から30分も炎天下を歩いて更に街並みを徘徊している私はアホというか向こう見ずというか。この酷暑で英気を養ってくれるのは食事よりもむしろキンキンに冷えたポカリスエットであり、また柚子のシャーベットである(下の写真)。
道の駅でお土産を仕入れ、列車の出発まで30分を切ったところで食べかけのシャーベットを手に、町並み東側の川を渡ってすぐの「パルシー」というショッピングセンターへ。こちらも町家をデフォルメしたデザインとなっており、その凝り様はある意味一見の価値がある。穴吹地区を実際に訪れたわけではないので断言は出来ないものの、地図を見る限り平地が広いこともあってか、大型店舗が集積していて発展の度合いが大きいのは脇町地区のようだ。2005年に美馬市として統合される前から実質的に一体化していたのだろうが、華があるのは脇町、駅があるのは穴吹と、上手く互いに顔を立て合っていた――というのは流石に考えすぎか。
《パルシー》
駐車場には一台のタクシーがエンジンを掛けたまま停まっており、コンコンと窓を叩いて昼寝中の運転手のオッチャンを起こす。そのまま二つ返事で穴吹駅まで走ってくれることになったが、折り悪く穴吹橋へ向かう県道上でつい先程事故があった模様。ただ、そこはプロフェッショナルの機転で一本南側の堤防沿いの裏道を抜け、車の列を尻目に5分少々で駅前に到着。タクシー代も千円未満で収まって何よりであった。ちなみにこのタクシーも、藍色の帯を巻いた「うだつタクシー」である。この気のいいドライバーのオッチャンに「やっぱり吉野川はキレイですねー」と述べたところ、「でも夏だから水量が少なくて…」との由。あれで水量が少ないとは、吉野川恐るべし。
さて、今回の旅もそろそろ大詰め。あとは「62時間四国一周」のゴールである高松を目指すのみである。
(2008.07.21)
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