« 黙認が取り消されたからって逆ギレは良くないよ | トップページ | 62時間四国一周・バースデイきっぷの旅 Epilogue »

2009.12.03

四国62h (3-11)メビウス、完成

徳島線普通 穴吹(16:23) → 徳島(17:20)

ホームのベンチでここへ来るまでの僅かの間にデロンデロンに溶けてしまったシャーベットをかき込んでいるうちに、徳島行き普通470Dが阿波池田から到着。転換クロスシート装備の最新鋭車両である1500形を期待していたのだが、やって来たのは1200形。1990年から導入されている1000形気動車を改番したもので、従来型気動車と連結器に互換性のない1500形との併結対応で改造が施され、カラーリングもコーポレートカラーの水色からグリーン基調のものに一新されている。

20080721161114
《実際に乗った列車ではありませんが、同形式の車両です》

側面の写真。左の方、窓がつぶされている部分は後付けでトイレが設置された場所。JR西日本のキハ120系と同じく、遅きに失したとはいえローカル列車にもトイレ復活の流れとなっているのは素直に評価したいところだ。

20080721161132

穴吹駅を出発すると、主な駅の到着時刻から車内設備まで、始発駅と同様の丁寧な放送が行われる。穴吹駅は徳島線のほぼ中間地点に位置する拠点駅で、広義の徳島都市圏の入り口でもあることからほぼ半数の列車がこの駅で折り返し、1日1往復のみ穴吹始発・終着の特急列車も運行されている。もっとも、2両編成の車内は穴吹駅出発時点では閑散としたもの。この1000/1200形は車両片側がボックスシート、もう片側がロングシートという変則的な配置(車両中央を境に左右の配置が入れ替わる)となっているのが特徴である。

進行方向左側のボックス席には座ってみたものの、穴吹発車直後を最後に吉野川とは並行しながらも距離を置くようになり、残念ながらこれ以降は滔々とした流れを望むことは出来ない。それでも「オレは確かに吉野川の沖積平野を走っているんだ!」というイマジネーションを発揮できればまだ楽しむ余地もあるが、そうでなければ寝てしまおう(爆)。ちなみに徳島線には、明治時代に徳島県初の鉄道である徳島鉄道として開通した当初からの古い駅施設が今もって随所で活躍しており、そういった駅を探訪する旅というのも面白そうだ。

住宅地と農地の混在する中を行く、全く以って平凡な車窓ではあるが、それでも県都・徳島市の近郊区間らしく徳島へ近付くにつれて車中は順調に賑やかさを増していき、座席が埋まるどころか立ち客も目立つようになってきた。最後の一区間である佐古~徳島間は高徳線との単線並列となっており、徳島線は向かって右側の線路を走るために、まるでここが日本ではないような錯覚も(オーバーなのは承知です)。佐古も特急が停車しないために普通乗車券の折り返し乗車の特例が適用される区間である。

特急ならば40分のところをトコトコと約1時間掛けて徳島に到着。JR四国では高松駅に次いで第2位の乗降客数を誇り、高徳線・徳島線・牟岐線の3路線が接続するターミナル駅である。近郊列車の発着数もさることながら三方向全てに特急列車が運転され、発着する全列車が気動車であることから、“ディーゼル王国・四国”の面影を21世紀の現在もほぼそのままに留める駅である。

特急うずしお24号 徳島(17:33) → 高松(18:37)

土佐くろしお鉄道を含めれば通算19本目、今回の旅の最終ランナーとなるのは高徳線特急《うずしお24号》。JRの特急列車では最短の2両編成で、前が2000系、後ろがN2000系の混成編成。指定席は案の定後ろの1号車の一部区画だけなので、今回も適当に空いている席に腰掛ける。混んできたら指定席へ移動しようと考えていたが、結局終点まで乗車率が50%を上回ることはなかったようだ。

20080721172539

20080721173317

佐古まではまたもや右側の線路を走行。早くもスピードが乗り、緩やかに弧を描く佐古駅ホームを高速で駆け抜ける。「うずしお」は高松~徳島間74.5kmが主系統の短距離特急ではあるが、明石海峡大橋が開通した時期に高速化工事の完成とともに振り子気動車への置き換えが大々的に行われ、四国の気動車特急では唯一となる130km/h運転が行われる列車となった。この便については130km/h運転非対応の2000系が組み込まれているので120km/hで頭打ちだが、所要時間は停車駅の多寡にも左右されるので総体的には誤差程度の違いである。

典型的な都市近郊路線でありながらイマイチ影の薄い、鳴門線の分岐駅である池谷(いけのたに)、そして徳島近郊区間の終端である板野に停車。次の停車駅の引田との間は徳島・香川県境である大坂峠越えの勾配区間となり、連続カーブを高出力エンジンの唸りを上げながら苦もなくクリアしていく。特急列車こそ1時間ヘッドで運転されているものの、この県境区間を走る普通列車は日中に3時間前後も間隔が開いてしまうほどの少なさで、「青春18きっぷ」の旅では意外な障壁となる区間である。

讃岐相生駅付近で右手に一瞬播磨灘が覗き、平地に下りて引田(ひけた)に停車。高徳線は予讃線の電化区間と同様に全般的に線形は良いほうで、先の峠越え区間を除けば高速域をキープしたまま突っ走っていき、併走する国道のクルマをごぼう抜き。2000/N2000系の導入以前に主力だったキハ185系も、周遊券の旅で乗車した際には最高速度をコンスタントに出していた記憶がある。

20080721174027
《池谷付近》

20080721175617
《高徳線でも少しだけ海が見えます》

車窓は単調なので、脇町の道の駅で購入した揚げうどんスナックをいそいそと取り出して試食することに。以前高速のサービスエリアで試しに購入してみたところえらくお気に入りとなり、今回はまた別の銘柄を買ってみたのだが…

20080721173741

……マズイ。

というか味が薄い…。食べ残しを家人に試食させてみたところ同意見で、塩味が足りないからと塩を振りかけてみたところ、入れ過ぎて頭痛がするほどの破滅的な味になってしまったというオチまでついてきた。まあ、新たな味の開拓にはこうした多少の犠牲はつきものである。

高松自動車道と絡み合いつつ、三本松・志度・屋島…と停車。この列車が4駅以上通過する区間は三本松~志度間(6駅)のみで、「しおかぜ」の伊予三島以東にも増して特急の名を捨てて実を取っているわけだが、さすがに「武士は食わねど高楊枝」とは行かないか。志度からは高松琴平電鉄志度線が並行するようになり、各駅停車のみながらも単線で列車密度が高い高徳線に対し、所要時間を見る限りではいい勝負をしている。ことでんは以前全線制覇を成し遂げた縁もあり、親しみが湧いてより一層応援したくなるものだ。

高松の市街地に入り、最後の停車駅・栗林を出ると、終端型ターミナルの高松駅へ進入するために右カーブが連続し、西から東へ走行方向が180度反転。ヨーロッパのターミナル駅近辺ではよく見られる線形だが、通過型ターミナルが殆どの日本では珍しいタイプである。

18時37分、定刻どおりに高松駅に到着。62時間の四国一周(というかメビウスリング)の旅もこれにて終局である。次回、エピローグにて最終回です。

20080721183838
《前後で顔が違う<うずしお24号>》

(2008.07.21)

前のページへ:四国62h (3-10)うだつは上がる、気温も上がる(後編)


« 黙認が取り消されたからって逆ギレは良くないよ | トップページ | 62時間四国一周・バースデイきっぷの旅 Epilogue »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 四国62h (3-11)メビウス、完成:

« 黙認が取り消されたからって逆ギレは良くないよ | トップページ | 62時間四国一周・バースデイきっぷの旅 Epilogue »

スポンサーリンク

Blog内検索

無料ブログはココログ