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2010.02.07

05/05/19 (7)高松琴平電鉄Part5(琴平線)

午後6時過ぎ、瓦町から琴平線で琴電琴平を目指します。ちょうど帰宅ラッシュの時間帯にかかり、2面3線の琴平線・長尾線ホームはいっぱしの都市鉄道に相応しい活力に満ち溢れていました。

琴平線は2006年の長尾線改修工事完成まで、3路線で唯一18m級の大型車で運行されていた路線。32.9kmという群を抜く路線距離もさることながら、1926(大正15)年に琴平電鉄として開業した当初から直流1500Vで電化されており、ことでんの大黒柱とも呼ぶべき路線です。輸送量も多く、昼間時間帯の比較では長尾・志度両線の20分間隔に対し、高松口の区間列車を含めれば15分間隔で運転されています。

夕方も15分間隔は変わりませんが、2両編成を2編成併結した4両編成でラッシュ輸送に臨みます。先頭に立つのは元京王帝都電鉄5000系の1100形。再就職に際して1372mmから1435mmへの改軌を行い、琴平線の最大勢力である京浜急行OBの車両と、ここ讃岐の地で夢の共演を果たしています。京王時代には小学生くらいの頃に一度か二度乗車しただけなので懐かしいという感情は起こらないのですが、こうして新天地で再びイキイキと活躍している電車を見ると幸せな気分になりますね。

途中駅乗車なのでかぶりつき席はもう塞がっていて、遮光幕の下りた運転席直後の席にて鵜の目鷹の目で様子を窺うことに。複線区間は次の栗林公園までで、以降は終点琴電琴平まで単線が続きます。車両基地を併設した仏生山(ぶっしょうざん)、昼間は半数の電車が折り返す一宮と進むにつれて、瓦町出発時点では立ち客多数だった状態から急激に乗客は減っていき、道半ばを待たずしてラッシュの雰囲気は完全に消え失せてしまいました。私も既にちゃっかりとかぶりつき席へ移っており、ひたひたと夕闇が忍び寄る中、前面展望を楽しんでいました。

行程を2/3消化した滝宮(たきのみや)は、綾川町の中心駅。昼間一宮止まりの電車も今の時間帯はここまで延長運転されますが、この先は30分間隔となります。とっくに沿線風景は典型的な地方都市郊外のそれに変化していますが、高松から遠ざかるに従ってますます長閑さが増していきます。岡田駅にはレオマワールド最寄り駅との掲示が出ており(正確には『NEWレオマワールド』)、知り合いが名古屋から遊びに行こうと計画していたところ、旅行会社の人に「遠くからわざわざ訪れる価値のある遊園地じゃない。悪い事は言わないからやめておきなはれ」と忠言された話をふと思い出しました。確かに四国最大規模ではあるのですが、やはりローカル遊園地の域は出ないようです。

そんなわけで全体の2/3は田園地帯を走り、約1時間かけて終着駅・琴電琴平に到着。これくらいの距離になると心情的に快速運転を望みたくなりますが、まぁ大して時間短縮にはならないでしょうね。一応高松~琴平間ではJRと競合関係にあるものの、並行路線ではなく営業エリアがまったくの別なので、のほほんとマイペースを貫いているようでした。ちなみに高松~志度間とのケースとは逆に、高松~琴平ではことでんが運賃面で優位に立っています。

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《琴電琴平に到着した1100形(元・京王帝都5000系)》

琴電琴平は言わずと知れた金刀比羅宮(こんぴらさん)の最寄り駅。駅舎もこの通り充分気合が入っています。

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《琴電琴平駅・駅舎》

この時点で日没となり、一日乗車券の元は取ったものの、琴平線の往復乗車は断念しました。車両の世代交代が一段落し、旧型車両の宝庫としての希少価値は失われてしまいましたが、その路線網の広がり方から「讃岐のミニ阪急」とも呼びたくなるような、阪急沿線住民として親しみのわく鉄道会社でした。IruCaの利便性を武器に、地域に無くてはならない足としてより洗練されたサービスを目指して頂きたいものです。

今日のお話はもう少しだけ続きます。

(2005.05.19)


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