マレーシア (4-1)早朝のチャイナタウン・その1
12月15日、木曜日。6時半頃に起床してベランダへ出ると、ジョージタウンの時と同様にまだ真っ暗。そして街じゅうにこだまするファジュル(夜明け前)のアザーンの朗読と共に、みるみるうちに夜が明けていく。着替えて朝食前に通りへ出てみるとこの時間は交通量も非常に少なく、古都らしい静謐な空気に包まれていた。
《(上2枚)夜明け頃のトゥン・タン・チェン・ロック通り》
朝食会場は緑たっぷりの中庭。7時からなので私が一番乗りである。ビュッフェ方式で、さすがに高級ホテルと質を比べてはならないが、焼きそばやチャーハン、点心といったホットミールが豊富に用意されているので、朝ごはんとは思えないほどの充実感。長友佑都似のウエイターを横目でチラッ、チラッと見つつ、ゆったりとした時間を過ごす。
8時、朝の散歩に出発。下の写真はホテルの丁度向かい側にある瀟洒な教会である。
わざわざ一泊した甲斐あって、早朝のトゥン・タン・チェン・ロック通りおよびジョンカー・ストリートでは車にあまり煩わされることもなく、デザインに様々な趣向を凝らしたプラナカン建築をじっくりと眺めながら散策を楽しむことが出来た。
トコン通りをクロスし、更に北の方まで歩いてみる。観光エリアからは微妙に外れてしまうが、こちらにもヨーロッパ風のショップハウスがずらりと並んでおり、そのまま店舗として使われている。ジョージタウンでは到着が遅れて歩き損なったため、「江戸の敵を長崎で」式にマラッカで雪辱を果たせそうだ。
やはりチャイナタウンと名乗っているだけあり、この界隈では漢字表記がとても目立つ。マレーシアの人口はマレー人が6割を占めるだけあって政治面ではイニシアティブを取っているものの、いっぽう経済面では2割強の華僑が実権を握っているとのこと。マレーシアには「ブミプトラ」と呼ばれる政策があり、マレー人は就学・就職をはじめとして様々な社会活動の場面で優遇措置が受けられるようになっている。アファーマティブ・アクションを通り越して逆民族差別とも取られる先鋭的な政策は国の内外からしばしば批判の的ともなっているが、もし撤廃すれば勤勉な華人によって忽ちのうちにマレーシアは“植民地”になってしまうだろうから、是非はあれども政治としては窮余ながらも正しい方向性である。マレーシアを旅していると『1 Malaysia』という、多民族の融和と協調を呼び掛ける政府の標語を至る所で見掛けるのだが、これもブミプトラを知っていると単なるアイロニーにしか聞こえないのがどうにも。かといって単一民族国家=平和というのが幻想に過ぎないことは日本や韓国の例を見れば明らかだが(平和の意味を「治安の良さ」や「犯罪発生率の低さ」のみで捉えるのならば、旧政権崩壊前のアフガニスタンやイラクもきっと平和だったのでしょう)、いずれにせよ、世界平和どころか一国内の秩序の維持でさえ決して一筋縄ではいかないという現実がここにはある。
上の写真から少し進んだところの広場にて、ショップハウスを再び。漢字がなければドイツあたりで撮影しました、なんて騙せそう。
そのまま気の赴くままに歩いていると、やがて昨夜船でクルージングをしたマラッカ川にぶつかった。橋の上に立つと、流れの向こうにフォトジェニックな教会が。セント・フランシス・ザビエル教会(St. Francis Xavier's Church)といい、1849年築とのこと。
逆方向を向いて。ここから上流方向の河岸の建物は一面スプレーでラクガ… いや、政府公式の前衛的なアートで彩られている。水面は鏡の如く平滑で、川というよりは運河のよう。両岸には遊歩道も整備されている。
下流方向へ進んでいくと、「ここが撮影ポイントですぞ」と親切な案内板が登場。
言われた通りに写真を撮ってみました。う~ん、どうでしょう。
セント・フランシス・ザビエル教会のそばまで来ると、ユネスコ世界遺産登録記念の歓迎メッセージが。2008年登録のマラッカとジョージタウンがマレーシア初の文化遺産なので、市民にとってはその嬉しさもひとしお、といったところだろうか。
セント・フランシス・ザビエル教会を近くで撮影。
来た道を引き返すところで、次回へ続きます。
(2011.12.15)
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