オランダ (6-7)ユトレヒト旧市街・その2
再びアウデグラフト沿いの風景を。今日は一日じゅう曇りかな、と諦めていたのだが、ユトレヒトに到着した頃には雲間から青空が見え隠れするようになってきた。雨降りよりは曇天の方が全然マシとはいっても、やっぱり天候と散策の気力は正比例するもので。




市庁舎より北側がレストランの集中するエリア。カナルサイドにテーブルが並べられている。これらの店舗、道路沿いの建物と地下でつながっているのかどうか分からないが、出入りには道路から急な階段を上り下りすることになる。従ってバリアフリーの点で物理的に止むを得ない難があるわけで、帰国後の某乙武騒動を聞いてココの事がつい頭を過ぎってしまった。


この街には鉄道博物館や、単一物件として登録されているものでは世界最小の世界遺産といわれる『リートフェルトのシュレーダー邸』といった見どころもあるのだが、まだまだ明るいとはいえもう午後5時。そろそろ帰路についてもいい時間なので、最後にちょっと見ておきたかったものをカメラに収めてからこの街を後にすることにした。
その見ておきたかったものというのは下の歩行者用信号。ユトレヒトは『ミッフィー』の作者として知られるディック・ブルーナ氏が制作の拠点を置いている町ということで、信号機の絵柄にもミッフィーのシルエットが採用されているのである。大変失礼なことに、ブルーナ氏はてっきり故人かと思い込んでいたのだが、今年で86歳を迎えるバリバリ現役のデザイナー。オランダのやなせたかし(※現在94歳)というべきか、やなせ氏が日本のブルーナなのか。

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Intercity Utrecht Centraal(17:10) → Amsterdam Centraal(17:37)
Intercity Amsterdam Centraal(17:42) → Haarlem(17:57)
ユトレヒトは国土のちょうど中央に位置するため、鉄道交通の面でも国内最大規模の要衝地。隣国ドイツへのICEが発着しているほか、スキポール空港への直通列車も高頻度で運行されている。ちなみにオランダ鉄道の本社の所在地もここユトレヒトである。
私が向かうアムステルダム中央行きのIntercityは15分間隔で出発。スキポール行きが分岐するアムステルダム市内の駅までは近年になって方向別・緩急分離の複々線化が実施されており、停車駅を絞った高速走行に30分弱の所要時間という共通点から、京都~大阪間を新快速で移動するような感覚である。いつものように田園地帯の中を坦々と進むかと思えば、十数分も走ったところでひょっこりとアムステルダムメトロの線路が横に張り付き、それを合図に風景が一変したのだった。アムステルダム市内までは速いのだが、中央駅が近づくとここまでの韋駄天走りが嘘のようにスローモーになってしまうのは、ヨーロッパの大駅につきものの焦れったさである。
ハーレム方面行きIntercityとの接続は良かったが、帰宅ラッシュと重なったうえに発車直前に乗り込んだため、今回の旅で唯一の立ち席を余儀なくされる。乗車時間は15分と短いものの、2階に立つと小さい窓のせいで外が全く見えないため、これが相当なストレスとなってしまった。
懐かしのグローテ・マルクトに帰ってくれば、一週間後の女王の日に向け、移動遊園地の設営作業の真っ最中。ハーレムは祝賀パレードの終点に設定されているため、当日は深夜まで大変な騒ぎになるそうだ。


現地で夕食を摂るのは今日が最後なので、ラストはちょっと豪華なディナーにしてみようと考えていたのだが、帰路のあいだにレストランで長い時間を掛けるのが面倒臭くなってしまい、結局3日前の中華料理のテイクアウト、それとスーパーで買ったイチゴで済ませてしまった。オランダではNSの駅のみならず、市中のレストランやショップでもクレジットカードの通用度が低く(デビットカードが主流なので)、手持ちの現金がいよいよ寂しくなってきたという事情もあってのことなのだが…。
侘しくはないが素っ気ない食事の後、腹ごなしに日没前の静かな旧市街を一回り。スキポール空港を飛び立った飛行機が、暮色迫る空を切り裂いていく。明日の午後には私も機上の人となっているわけだが、そろそろ疲労も蓄積されてきた頃なので、帰るタイミングとしては丁度いいだろう。



そんなわけでオランダ最後の夜が更けていく。首都アムステルダムは最終日にちょっとだけ。
今日の歩数カウント:29,554歩
(2013.04.23)
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