14/03/07 (10)“旅先”で見にいく、『印象派を超えて―点描の画家たち』
愛知芸術文化センター10Fにある愛知県美術館へやって来ました。展覧会のタイトルは、『印象派を超えて―点描の画家たち』。印象派の画家たちが編み出した筆触分割の技法がジョルジュ・スーラに代表される点描技法へと発展し、フランスを飛び出して「分割主義」としてヨーロッパ各地へと伝播していく過程を、さらに後のモンドリアンの抽象絵画までを含めて通観していく展覧会となっています。ありそうで意外になかった企画ですね。巡回は東京・広島・名古屋のみで関西へはやって来ないので、今回の名古屋訪問は好機でした。(右の画像は入館券)
入館すると、さっそくハイライトのひとつであるゴッホの『レストランの内部』がお出迎え。この作品も含め、展示作品の大半はオランダのクレラー=ミュラー美術館から出品されています。昨年オランダを訪れたのですが、クレラー=ミュラー美術館はアムステルダムから2時間以上掛かるようなちょっと遠い場所にあるので、旅程の都合で訪問は実現しませんでした。たぶん今回のチャンスもきっと、オランダの粋な計らいだったのでしょう(笑)。
展示作品全体の印象としては、やはり絵の具を混合しないで原色のままカンバスに乗せていく筆触分割の発明は、西洋絵画史屈指の革命だなあ、と。それ以前は絵の題材自体も神話や宗教が主で、色も重々しく陰鬱なものが多かったでしたからね。個人的にはテオ・ファン・レイセルベルヘの、「あるいは」だらけの優柔不断な作品タイトルに苦笑してしまいました。やっぱり明るい色彩の作品は、心まで晴れやかになっていいものですね。とはいえモンドリアンまで行ってしまうと、「……これが風景画? いやいや、ご冗談を…」と、理解の埒外になってしまいますが。
あくまで感覚的に使われていた筆触分割に対し、それを科学的な裏付けをもった理論として確立した点描技法および分割主義。芸術というのは右脳が司る分野、と一般的には捉えられているものですが、実は人間のインテリジェンスを総動員した大いなる所産なのですよね。そういえば最近会田誠さんのエッセイを読んで、「あんなに絵の上手い人が文章までこんなに達者だとは…」と、芸術センスゼロの私はちょっと嫉妬してしまったものですが。…あ、岡本太郎先生もそうですね。ここで取り上げられている作家たちも天より二物を与えられたというか、そこいらの文筆家など裸足で逃げ出してしまうような、類稀なる知性を持った巨人たちだったことは間違いないようです。
ちなみに入館券にデザインされているのが、クレラー=ミュラー美術館の看板作品の一つでもあるゴッホの『種まく人』です。昨年の旅では本場まで行っておきながらゴッホの作品にはあまり触れられなかったので、アムスのゴッホ美術館も含めていつかまた。
その後はコレクション展の方もさらっと見学し、閉館20分前の午後7時40分頃に退場しました。さて、そろそろ遅めの夕食にしましょうか。
《愛知芸術文化センター上階からオアシス21を見下ろして》
(2014.03.07)
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