15/01/25 (3)信楽高原鐵道・往路(貴生川→信楽)
信楽高原鐵道 貴生川(09:14) → 信楽(09:38)
というわけで気を取り直して出発です。久々のディーゼルカーの旅を優雅に楽しめるかと思いきや、まさか心拍数150の状態で乗車している羽目になるとは(苦笑)。空席のボックスもあったものの、全線を乗り通したところで所要時間は23~24分と短いため、先頭でかぶりつきに興じることにしました。
貴生川駅を出発した列車は柘植方面へ向かう草津線の線路から右カーブを描いて分かれ、すぐに杣川(そまがわ)に架かる橋梁を渡ります。この100m足らずの橋の再建の可否こそが、全長約15kmの路線全体の命運を握っていたというわけです。
橋を渡りきると、田園の中を築堤で一直線に抜けていきます。
築堤が終わると、さっそく山に取り付いてのクライム開始。標高165mの貴生川駅から6.5km先、信楽高原鐵道の最高地点となる標高350mの小野谷信号所まで、最大33パーミルの急勾配が連続する山岳区間となります。
車窓に広がるは、ひたすら山林の風景。14.7kmの路線のうち、起点側の最初の一区間である貴生川~紫香楽宮跡(しがらきぐうし)の駅間距離は9.6kmもあり、貴生川駅と旧信楽町(現在は甲賀市の一部)エリアの連絡に特化した路線となっています。
過日の台風による被災において致命傷となったのは上述の杣川の橋梁の流失ですが、その他にも線内約30ヶ所で土砂の崩落があった模様。とある切り通し区間を通過した際にその部分のバラストと枕木だけまっさらだったり、法面に新しくネットが設置されていたりしたので、そこも罹災箇所のひとつだったのかもしれません。
路線は全区間、国道307号線(近江グリーンロード)に沿って進みます。ローカル線らしく木枕木が延々と続いていますが、他方で線路のジョイントの部分だけPC枕木に交換されていたりもしました。
現在は使用停止となっている小野谷信号所を通過。この付近で往復共に野生の鹿が線路際に出現し、帰りの列車では線路を直前横断してブレーキを掛ける場面もありました。サミットであるここからは下り勾配に転じ、標高282mの信楽駅を目指します。
小野谷信号所を過ぎてまもなく、新名神高速道路の高架が威容を現したかと思えば、この高架をくぐって南側へ。信楽インターチェンジの前を通過します。私は信楽自体は6年前に車で訪れていますが、その時にはこのICで新名神を下りて信楽市街へと向かいました。この高速道路を経由して京都・大阪と信楽を直結する高速バスがあれば便利なのですが、現在の所はそのような路線の設定はないようです。阪急電車と連携して高速長岡京(阪急西山天王山)~信楽、なんて面白そうですが。
信楽盆地に降り立った列車は貴生川から14分をかけ、最初の駅である紫香楽宮跡に到着です。駅名の由来は聖武天皇の時代につくられた離宮の跡が近くにあるためだそうで。
紫香楽宮跡からはわずか600mで雲井。紫香楽宮跡駅は第三セクター転換後の新設駅なので、国鉄信楽線だった時代は貴生川から10.2kmもの間、駅がありませんでした。開業以来現役の古い駅舎、そして行き違い設備および貨物ホームを撤去した跡が残っており、国鉄時代の拠点駅としての名残を垣間見ることができます。無人駅ではあるものの、地味に先述のスタンプラリーのポイントのひとつでもあったり。
次駅の勅旨(ちょくし)までの距離はやや長めの2.2km。貴生川~紫香楽宮跡の羊腸の山道からは一転して、直線主体のコースとなります。
勅旨も国鉄プロパーの駅ではあるものの開設は1963(昭和38)年と、1933(昭和8)年に開業した国鉄信楽線の駅としてはやや後発となります(それ以前は貴生川・雲井・信楽の3駅のみ)。
最後の途中駅、玉桂寺前(ぎょくけいじまえ)に停車です。こちらは三セク転換後の新設駅。
このように旧信楽町エリアについてはこまめに停まっていき、やがて終着駅の信楽駅へ進入。線内で唯一交換可能な小野谷信号所が使用停止中なので、貴生川~信楽の全線が事実上の一閉塞となっています(信楽駅を出た列車がそのまま往復して戻ってくる「機織り運転」)。
9時38分、信楽駅のホームへと降り立ちます。スタンプラリー効果でしょうか、折り返し列車に乗り込んでいく乗客にはお得意様の年配者と鉄道ファンに加えて親子連れの姿も目立ち、ホーム上は過疎ローカル線のうら寂しいイメージなど微塵も感じさせないほどに活気付いていました。車両自体もある展覧会のPR仕様になっていたのですが、そちらは帰路編にてご紹介します。
ホームでは、早速信楽焼の窯元の広告がお出迎え。
そして信楽の永遠のマスコット、タヌキさんも徒党を組んで我々を熱烈歓迎してくれています。「ゆるキャラ」なんてぽっと出の連中なぞに負けるわけにはいかんのよッ!!
信楽駅駅舎は新築の綺麗な建物。信楽高原鐵道唯一の出札窓口(未だに”ターミナル”の貴生川駅に無いというのが解せない…)、信楽高原鐵道のオリジナルグッズも扱う売店、そして1991年の列車衝突事故にまつわる史料を展示するスペース(こちらも帰路編にて掲載します)などが設置されています。
公衆電話……であるはずのスペースも調子こいた結果、この分の弁えなさ。
6分後の列車でそのまま折り返すことも可能でしたが、せっかくやって来たので列車を一本落とすことにし、陶都・信楽をサラっと散策してみることにします。
(2015.01.25)
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