15/01/25 (4)信楽の窯元散策路をスピードさんぽ
<本編の前に、一人ツイッター>
スカイマーク、やっぱり経営破綻ですか…。まぁ、堅実な経営をしていればいいものを、レガシーでなければLCCでもない中途半端な会社がA380導入などという分限に過ぎたる背伸びをした挙句の自滅、としか言いようがないわけで。それ以前からも無節操な路線参入と撤退の常習犯であり、もともとイメージは最悪でしたからね。大手航空会社の寡占状態だった業界に風穴を開けた、という点では評価する向きもありますが、それとて所詮は世界と比べて規制緩和に大きく後れを取っている、ガラパゴス・ニッポンの中の事象でしかないわけですから。最近はトニー・フェルナンデスにせよ西久保愼一にせよ、「空の風雲児」と持て囃された人が苦杯を喫する出来事が続きますね。しかし、発着便の7割をSKYに依存する神戸空港への影響はどれ程のものになるのか。だからあんな空港いらないって言ったのに。
**********
信楽駅を背に、駅前から延びる「伝産大通り」を歩き出します。信楽“高原”鉄道という名称ではあるものの、海抜300m程度では果たして高原と呼ぶに相応しいかどうか…はともかくとして。まだ午前10時前ということで、とりあえず「高原の朝」とうそぶいておくことにしましょうか。駅を出て1分も経たないうちから、沿道には量産型タヌキさんが鈴生りになっている信楽焼の販売所が軒を連ね始めます。あまりに多すぎるので、写真を撮る気にもなれませんでした。
やがて国道307号線とクロス。この辺りからは6年前の訪問で記憶にある景色です。そのまま進んでいくと、信楽観光の拠点となる『信楽伝統産業会館』が右手に見えてきます。
▲信楽伝統産業会館
ここを起点にしているのが「窯元散策路」と呼ばれる、山麓に点在する窯元を巡る散策コースです。持ち時間が1時間しかないのであまりのんびりと歩くことはできませんが、ひとまずメインルートとおぼしき「ろくろ坂」を登り始めることに。
▲窯元散策路の道標
▲コース起点の新宮神社
信楽焼販売所の密集地帯についてはツーリスティックな雰囲気ですが、こちらの道は昔ながらの「陶の里」の風景が展開する素朴な様子です。
やきものの里のシンボルといえばやはりコレ、登り窯です。大量焼成が可能・大型製品が焼ける・炉内の温度が一定に保てることで品質の均質化ができる・燃焼効率が良い…などのメリットから、近代的な工場が主流になるまで日本各地で使用されていた窯のタイプです。ここ信楽では江戸時代初期から昭和40年代まで使用されていたとか。
登り窯の横にあった火鉢の山。ストーブやエアコンが普及するまでは暖房器具の主流だった火鉢ですが、戦後はここ信楽が火鉢生産の全国シェア8割を占めていたとか。当時は信楽じゅうで出荷を待つ火鉢を山積みした様子がみられたそうです。
かつては登り窯から薪を燃やした黒煙がもうもうと上がっていたそうですが、現代の信楽焼はクリーンで能率的な工場で生産されています。
散策路の地面にはこのようなタイルが埋め込まれています。
観光客向けに直売や陶芸体験を実施している窯元も多いので、半日掛けてこれらをじっくりと周ってみるのも面白いです。
こちらは「立匣鉢(たちざや)」と呼ばれる焼き物が並ぶ道。これ自体は製品ではなく、登り窯での焼成の際に土台として用いられた…そうなのですが。正直、説明板のイラストを見ても今ひとつイメージが掴めないので…。
もう少し進んだ先にある「丸又窯」。経産省の近代化産業遺産に指定されています。
ろくろ坂→窯場坂→陶美通りの順で、傾斜地に広がる窯元や旧跡をさらっと一巡りし…。
麓へ下りてきました。寂れきった商店街は地方のデフォルトですね。
こちらは信楽伝統産業会館から信楽駅へ続く道。すぐ先に国道との交差点があります。
というわけで駅から往復1時間弱のスピード散歩を終え、信楽高原鐵道で貴生川へと戻ります。
(2015.01.25)
« 15/01/25 (3)信楽高原鐵道・往路(貴生川→信楽) | トップページ | 15/01/25 (5)信楽高原鐵道・復路(信楽→貴生川) »
« 15/01/25 (3)信楽高原鐵道・往路(貴生川→信楽) | トップページ | 15/01/25 (5)信楽高原鐵道・復路(信楽→貴生川) »
コメント