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2015.03.09

新幹線公園(大阪府摂津市)・その1(0系新幹線あゝ無情編)

 というわけで、摂津市駅からのバスで「鶴野橋」バス停に降り立ったところからお話の再開です。


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 バスを降りた瞬間に早速出迎えてくれるのが、JR東海の鳥飼車両基地で羽を休めている東海道新幹線の現役車両群。今や700系とN700&N700Aの2車種に統一されてバリエーションには乏しいのですが、それでもこんなにまとまった数の車両を一度に目にする機会はなかなか無いもので、ついつい立ち止まって眺めてしまいます。


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 公園方面へは、バスで来た方向へと戻っていきます。


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 安威川の堤防にぶつかった所に公園の案内看板があるので、案内に従って右折。


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 大阪貨物ターミナル駅を右手に見ながら、堤防沿いの道を約400m進みます。この道は摂津市の桜の名所として知られているとか。


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 おっ、右前方に発見しました。団子っ鼻の彼。


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 西宮市の方は『山陽新幹線記念公園』ですが、こちらはシンプルに『新幹線公園』。案内板によると元々は1983(昭和58)年に『新在家緑地(しんざいけりょくち)』として整備され、2年後の1985(昭和60)年に0系新幹線が展示されるようになったのを機に、現在の名前へと改称されたそうです。山陽新幹線記念公園はJR西日本が管理していますが、こちらは摂津市の都市整備部・公園みどり課によって管理されています。


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 ではその0系新幹線のご紹介、といきたいのですが――。 実は訪問前の事前情報で分かっていた通りに、保存状態が非常に悪いんですよ…。


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 塗装は剥げまくり、ヘッドライトのガラスも曇りきってしまっています。


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 車両側面。水色帯の0系なんて初めて見たぜー(皮肉)。


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 リニア・鉄道館(愛知県名古屋市)鉄道博物館(埼玉県さいたま市)に展示されている新車同様に修繕された0系車両と比べると、この境遇の格差は涙なしには語れません。有料の屋内施設と、屋根付きとはいえ野ざらしの公園とを同列に扱うべきではないとはいえ…。

 率直なところこの時点ではらわたが煮えくり返っているわけですが、どうにか鎮めて話の続きを。上の写真で車両のドアが開いているのにお気づきでしょうか? というのも毎月第2・第4日曜日の午前10時~正午および午後2時~午後4時の2回、展示車両の内部へ立ち入ることができるのです。今回はそれに合わせて訪問したというわけ。

 客室に加えて運転席も公開されているのですが、まずは客室の方へ。0系オリジナルの転換クロスシートが並んでいます。当然電気は使えないので、照明はおろか換気も不可能な状態。この種の野ざらし車両につきものの独特の臭気が充満しています。


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 反対方向を眺めて。右前方の客室端になぜか扇風機が置かれており、オッチャンが居座っています。最初はホー○レスかと思ったのですが、日時限定の公開車両だしまさかね…と考え直し、市の嘱託の管理者という結論に。車内にはオッチャンが聴くラジオの競馬中継が延々と流れるというシュールな光景。大阪らしいといえば大阪らしいのですが、正直、美観という点であまり感心はしません。


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 座席部分を拡大。何気なく撮影したショットですが、その範囲だけでも誰かが取り出した収納テーブルが戻らなくなっていたり、非常用コックの扉がこじ開けられていたりと、結構痛めつけられているもので。というかここへ来てからというもの、嘆息ばかりなのですが。


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 リニア・鉄道館に対するアドバンテージ?の一つとして、座席への着席が可能という点があります。私は0系車両への乗車経験は何度もあるものの、記憶にある限りでこの転換クロスシート装備の車両には一度も乗ったことがないはず。シートピッチは940mmで、現在の東海道新幹線の1,040mmからはマイナス10cmという数値を上回るような雲泥の差を実感させられます。現在では普通列車でも当たり前となった転換クロスですが、座面・背ずりのフカフカ感や席と席の間のアームレストが、半世紀前の水準とはいえやはり優等列車仕様です。あ、そういえば、オリジナル185系の<踊り子>には(特急料金を払って)乗ったことがあったっけ。21世紀の今ならば大ブーイングモノですが、当時はそれほど違和感がなかったものでした。


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 左側の車窓は上述の大阪貨物ターミナル駅。


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 対する右側は安威川沿いの桜並木。間もなくお花見の季節が到来しますが、鉄道ファンならやはり「花より団子」で左側かな?


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 車両最後部から前方を撮影。トイレは当然施錠されていますが、洗面台は見ることが可能です。


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 前部デッキには展示車両の履歴が貼り出されていました。10次車となる<こだま>専用のK16編成で(落成から廃車まで、<ひかり>運用に就いたことは一度もありません市の公式ページの記述は誤り。縦割りのエキスパートがこういった誤記をしでかすと性質の悪い冗談にしか聞こえん)、車番は「MC21-73」。落成は1969(昭和44)年なので、1964年の東海道新幹線開業以来20余年にわたって製造が続いた0系グループの中では古参といえる車両です。1984(昭和59)年に廃車となったのち、翌年この公園に棲家を得て今日に至っています。


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 デッキには国鉄時代の案内が掲示されています。オールドファンの方にとっては懐かしさを覚えられるであろう内容なので、文字が読み取れる大きさの写真を置いておきます(1600×1200Pixel・クリックすると拡大)。


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 乗降扉のドアエンジンが露出して観察できるようになっているのも、この展示車両ならでは。


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 それでは運転席の方へ。こちらは狭い運転室内にうるさいガキとっても元気なお子様が入れ代わり立ち代わりやって来るので、その合間を見計らって断続的に撮影を実施しました。

 まずは運転室全景から。一眼やミラーレスならば超広角レンズに付け替えて撮影するところなのですが、当方最広角側24mmのコンデジ使いなので、あまりいい写真にならないのはご容赦を。


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 反対側から床部分を撮影(※人が写っているので一部モザイク処理)。段差がすごいですね…。


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 魅惑の運転席へ。微妙にアングルを変えた2枚の写真を貼ってみました。スピードメーターの上限が260km/hというところに時代を感じます。


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 左側のブレーキハンドルは取り外されていますが、右側の固定式のマスコンは実際に操作することができます。2ハンドルでも在来線の配置とは左右が逆なので、シロートとはいえ『電車でGO!』の経験者としてはやはり違和感が。もっとも、車のアクセルとブレーキの配置と同じだと考えれば、逆にこの方が自然なのかもしれませんね。私はレールファンということで車両の文化財・産業遺産としての価値を理解しているため、マスコンを操作するにしてもそっと丁寧に扱うのですが、やはり見学者の大部分を占めるガキお子様は、

しゅっぱつしんこーーー!!(ガチャガチャガチャガチャ!!)

と完全に遊具扱いでまったく遠慮がない(苦笑)。今年で展示開始から30周年となる車両ですが、車内公開については単純計算で年間の6.5%の日、しかも合計4時間の公開ということで、展示期間の長さのわりには劣化は少ないと推測されますが…。うーん。

 運転席から前方を眺めて。視界の悪さはガラスの曇りによるものです。霧がかかっているわけではありませんよ!


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 カメラのアングルを右に振って。グラスコクピット化された現代の新幹線に比べると、メカメカしいですね。


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 運転台右半分に配置されたスイッチ類。


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 乗務員扉横にはドアスイッチがあります。


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 車内放送用と連絡用を兼ねた受話器。


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 そういえば、なぜだか運転席に灰皿が置かれているんですよ。順調に喫煙人口が減少している現代の感覚からは勿論のこと、喫煙に寛容だった当時としても強烈な違和感を覚えるのですが、実際に使われていたかどうかについては国鉄OBの方々の「告白」を期待するしかないようですね。当時は労組も強かったでしょうし。


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 運転席の背面には車上信号装置がドデーンと設置されています。これも現代の新幹線ならばぐっとコンパクトになっているはず。


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 困難が予想された運転席の撮影も一応つつがなくこなせたので、車外へ出ます。連結部の妻面が見られるのもリニア・鉄道館に対するアドバンテージ、でしょうか(あちらは2両目に食堂車が連結されているため)。


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 床下部の機器類は撤去されているため、このような写真も。


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 というわけで、全国各地の鉄道保存施設に保管されている0系の兄弟と比べると色々と残念な事態になっている、MC21-73のご紹介でした。もっとも、手厚く保存しようにも一にも二にもまずお金が必要なわけで、それを管理側の意識や知見の有無へと落とし込むようなコンテクストであげつらうことは憚られるわけですが。大阪府としてはこの0系車両を「大阪ミュージアム構想」の呼び物として活用していく意向のようですが、そもそも0系車両自体は日本のみならず世界の鉄道史におけるマイルストーンとして、日本の三大鉄道博物館を筆頭に全国(およびイギリス)に少なからぬ両数が保存車として現存しているわけで、その中で新幹線公園ならではの独自性として“ウリ”に出来るものは何なのか。そして現在の保存状態が「博物館の収蔵品」として適切な水準を満たしていると言えるのか。旗振り役の大阪府として、これらが厳しく問われることになると思われます。もちろん、摂津市民の皆様には感謝ですよ!

 さてさて、小さい公園ではありますが「テツ」的にはまだまだネタが埋まっておりますので、次回の記事で更に掘り下げていくことにします。


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