赤川鉄橋~菅原城北大橋を徒歩で往復してみる
というわけで赤川鉄橋南詰の西側へ移動しました。2013年10月30日の歩道閉鎖から1年4ヶ月が経過し、複線化および新設された線路への架線架設は既に完了。以前のハイブリッド橋時代の面影はすっかり払拭されてしまっています。
※人道・鉄道併用橋時代の様子はこちらの記事をご覧下さい。
線路部分をズーム。右側の線路が新設されたもので、4年後には放出・久宝寺方面行きの電車が使用することになります。
架線を橋に固定する金具を拡大。古いものと新しいものの違いが一目瞭然です。
ここから都島駅(仮)方向を眺めてみます。こちらも視界の範囲では複線化および架線架設が完了していますが、今のところ貨物列車は右側の線路を使っての単線運転となっています。
鉄橋を別のアングルでもう一枚。1929(昭和4)年に架けられた橋ということで、淀川を渡る最新の旅客営業路線として開通した暁には卒寿(90歳)となるおじいちゃん。新線と古い橋とのコントラストが眩しそうです。
さて、人道橋が併設されていた時代には歩行者・自転車の通行量が多かったこの橋ですが、結局赤川鉄橋に並行しての人道橋の設置は実現せず、歩行者・自転車は近隣の橋への迂回を余儀なくされることになりました。ここから上流方向を眺めると斜張橋が見えるのですが、今回はその赤川鉄橋から約1km上流にある「菅原城北大橋(すがはらしろきたおおはし)」を経由して、赤川鉄橋の北詰へ移動してみたいと思います。
▲赤川鉄橋&菅原城北大橋
というわけで上流方向へと歩き出した矢先に……
今度はコンテナ列車の通過。前回訪問時は2時間待っても来なかったのに、今回は15分で二度の通過です。今となっては只の鉄道橋なのであって、併用橋時代でないと希少価値はないわけですが(汗)。
前方の斜張橋を目指して、堤防上をずんずん進みます。
振り返れば、赤川鉄橋の背後に“光のカーテン”。
この辺りで河口から12kmだそうです。
徒歩なら15分弱くらいですね。菅原城北大橋の南詰に到着しました。近くに見えても徒歩だと意外に時間が掛かります。
堤防からスロープで橋の上へ。まだ出来たばかりのピカピカだったので、赤川鉄橋人道橋の廃止に伴って堤防上から直接アクセスできるように新設された通路のようでした。
赤川鉄橋時代と同様に、700m強の距離を歩いて淀川を渡ります。あのスナップを撮ってくれた気のいいオッチャンも、今はこの橋を使っているのでしょうか。
橋の中央から赤川鉄橋を眺めて。またあんな遠い所まで歩いていくのか……(溜息)。
しかし近頃問題となっている学校給食の件もそうですが、大阪はホンマにお金の使い方が下手やな、と。その点では勝手に敵愾心を燃やしている東京と何一つとして変わらないわけで。やはりOsaka Cityは「働く場所」「遊ぶ場所」であっても「住む場所」ではないようです(※個人の感想です)。行政への当てつけとして、徳島県の吉野川に架かる人道橋・「ふれあい橋」の画像を再掲しておくとしましょう。これこそお前ら関西人のアイデンティティである反骨精神やで。
北詰の車道上には料金所があります。といっても現在は料金所の「跡」。以前は自動車・原付は通行料金が必要だったのですが、昨年6月に無料開放されました。
こちら側でも新設されたスロープを通り、右岸の堤防を赤川鉄橋へ戻ります。
単調な道をぼんやりと歩いていると、前方から「ガシャン、ガシャン」とつい半時間前に耳にしたばかりの金属質のあの音が――
3回目_| ̄|○。 この仕打ちはあんまりだぜ、JR貨物さんよ…。
とにもかくにも、赤川鉄橋の北詰に到着です。赤川鉄橋時代ならば600mのところを、迂回ルートだと2km増となる約2.6kmの道のりとなりました。
こちら側には踏切があるので、線路の真ん中に立って橋を観察することができます。車道は西行きの一方通行となっていますが、旅客開業後、運行密度の高い朝夕には新たな渋滞ポイントとなりそうです(そもそもこのすぐ先の東淡路1丁目交差点が混雑するのですが)。
橋の向こう側をズーム。左が新設された線路です。あと10年もすればこの場所を通りかかる親子の間で、「昔は歩いてこの橋を渡っとったんやで」「嘘やーん」なんて会話が交わされることになるのかもしれません。
ここから淡路駅(仮称ではありますが、こちらはこれがそのまま正式名称となりそう)方面を。こちらの方はまだ複線化工事の途上にありました。
てなわけで本日のミッションはすべて完了したので、阪急淡路駅から電車に乗って家路につくことにします。もうしばらく城東貨物線の線路を辿っていくことにしますが、こちら側の区間は新築の高架線が続いていました。
ぽてぽてと歩いて淡路駅前へ。この駅も2017年度中の供用開始を目標に高架化工事が進展しており、上下線が二層構造に。近鉄大和西大寺駅と並ぶ関西私鉄最大のボトルネックもいよいよ解消へと向かいます。予定通りに進めば3年以内に高架駅が完成することになりますが、駅前の現況を眺めていると半信半疑という感じです。
というわけで、鉄道の過去と未来を同時に楽しむプチトリップのお話でした。
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コメント
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お言葉ですが、お金の使い方が下手なのではなく間違っているんです。本来は人が渡れる橋を作る予定でしたが、おおさか東線を通す時に、過度に近隣住民に支払ってしまったのでお金がないんです。ほんの一部得をした住民のせいで多くの住民が迷惑する。こういうことが慣例としてまかり通る世の中だったんです。維新になって少なくなりましたが、そこは変わってません。
投稿: 大阪市民 | 2020.06.14 16:05