15/07/01 (11)ちょっとよりみち☆都電荒川線
さて、今回の旅の目的も完遂できたのでボチボチ大阪へ帰ることにしますが、ただ単に大阪~てっぱくを往復するだけというのも趣がない、ということで、東京唯一の路面電車として知られる都電荒川線を経由して帰ることにします。実はコレ、元々は鉄道博物館見学が早めに終わってしまった際のオプションプランとして用意してあったものなのですが、いつの間にやら荒川線に乗るためにわざわざ滞在時間を短縮する、という本末転倒なことになってしまいました。
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さて、今回の旅の目的も完遂できたのでボチボチ大阪へ帰ることにしますが、ただ単に大阪~てっぱくを往復するだけというのも趣がない、ということで、東京唯一の路面電車として知られる都電荒川線を経由して帰ることにします。実はコレ、元々は鉄道博物館見学が早めに終わってしまった際のオプションプランとして用意してあったものなのですが、いつの間にやら荒川線に乗るためにわざわざ滞在時間を短縮する、という本末転倒なことになってしまいました。
続いて他のエリアを見て回ることにしますが、ヒストリーゾーンの攻略だけでヘトヘトになってしまったので、じっくりではなくサラっと回ることに。
続いては貨物輸送のコーナーです。まずは【EF66形式電気機関車】。出力3,900kWという国鉄の直流電気機関車では最高出力を誇った車両です。最高速度は110km/h。もともとはトラック輸送に対抗するための高速特急貨物列車用として開発された形式ですが、のちにその高速性能を活かし、東京-下関間で寝台特急列車の牽引機としても活躍しました。私はどちらかといえばブルートレインの先頭に立っている姿の方が馴染みがありますね。やっぱりこの機関車が一番カッコいいな……。
続いては新幹線の車両です。まずは【222形式新幹線電車】、通称200系。東北・上越新幹線の初代の車両です。展示されているのは車号222-35で、1982(昭和57)年の東北・上越新幹線開業と同時に営業を開始したグループとなります。JR発足後に投入されたグループは先頭車が100系新幹線と同様のシャープな形状になっていますが、こちらは0系のデザインを踏襲した”団子っ鼻”。豪雪地帯を走る車両というわけで、スカートにスノープラウ(除雪板)がついているのと床下の機器類をカバーで覆ったボディマウント構造になっているのが特徴となっています。登場当初の最高速度は210km/hでしたが、後に増備された編成に合わせて240km/h対応に改造。また、山形・秋田新幹線の車両との併結のために連結器も追加されています。下1枚目の写真でもその連結器を収納したスペースがお分かりかと思いますが、連結の際にはこのカバーがパカっと開いて連結器が出てくるようになっています。
続いては1960年から70年代に登場した車両です。ようやく30代の私にも現役時代に関わりのあった形式が出てきました。
続いては1950年代から60年代にかけて登場した車両です。まずは【EF58形式電気機関車】。東海道本線を筆頭に直流区間の主要幹線で特急列車の牽引を担った、戦後期を代表する旅客用電気機関車です。大阪府摂津市の『新幹線公園』にEF15形という貨物用の電気機関車が静態保存されていますが(→訪問レポートはこちら)、EF15とEF58は設計に共通点が多い兄弟機なのだそうです。展示されている89号機は初期型の多くの欠陥を是正して生まれた改良型という位置付けになり、最終的に当時の電気機関車としてはEF15形の202両に次ぐ172両という大所帯となりました。
1F「ヒストリーゾーン」のちょうど中央には転車台が設置されています。その上に鎮座しているのは――
続いては大正期の車両です。こちらは【デ963形式電車】で、1904年製なので明治末期(明治37年)生まれ。現在は中央線の一部となっている甲武鉄道の飯田町-中野間で使用されていた車両で、同区間は1906年に国有化されたために国鉄初の電車になりました。ちなみに車体は木製。電車なのにパンタグラフや電装品が見当たらないのですが、それもそのはず、後に長野県の地方私鉄へ譲渡された際に客車化されたそうです。現在は松本電気鉄道で廃車された当時の姿(形式名は「ハニフ1」)で展示されています。
ニューシャトルの鉄道博物館駅から鉄道博物館エントランスまでは徒歩1分。この間は屋根で覆われたプロムナードになっており、今日のような雨天でも傘いらずです。天井に新幹線のダイヤグラムを模した装飾があったり、床に新幹線の時刻表が書かれていたりと、いきなり鉄道博物館らしい仕掛けが満載で来館者を歓迎してくれます。
ソニックシティから大宮駅までは歩いて3分ほど。はるばる来たぜ、彩の国(さいのくに)。てか、本当に大阪から2,300円ぽっちで来ちゃったよ…。下の写真は大宮駅西口の風景ですが、新幹線が乗り入れる県内最大のターミナル駅という共通点から、3週間前に訪れた仙台駅にまたやって来たような錯覚をおぼえます。まあ、仙台駅の方が広がりのある風景ですけどね。それにしても、<はやぶさ>に飛び乗ってしまえば大宮からたったの1時間で仙台まで行けてしまうんだよなぁ。
草津PAを出発して30分あまりもすると、日付が変わって7月1日に。どうでもいい話ですが、この日が私の33回目の誕生日です。まぁこの歳になってお祝いのしようもないのですが、何しろ旅先でバースデイを迎えるのは今回が初めてなのである意味"特別な日”ではあります。とはいえHappy birthday to me旅行を企図したわけではなく、この日が偶々都合が良かっただけの話なんですけどね。いい誕生日にしよう!
というわけで、仙台の旅から1ヶ月も経たないうちにLCC体験ツアー第2弾の決行です。キャリアはジェットスターと決まっているので就航している都市から行き先を選ぶことになるのですが…。最初は福岡・熊本あたりに心が傾いていたものの、梅雨時なので屋外はウロウロしにくいだろうな、と考え直し、前々から一度は行っておかないとと思っていたさいたまの鉄道博物館に決定。来年春には京都に新しい鉄道博物館が開館するため、比較のためにもまずさいたまの方を体験しておかなければ、という腹積もりもありました。
で、最初は成田往復かなと考えていたのですが、さすがに成田と大宮の間はかなりの距離があり、始発便で発っても到着は昼前と遅くなりそう。かといって新幹線は高いですし……と悩んでいましたが、調べていくうちに大阪と大宮を直結する夜行バスがあるのを見つけたので、往路は久々に夜行バスを使ってみることにしました。ということで日帰りではなく0泊2日というプランになったため、「III その他国内の旅」カテゴリーにアップしていくことにします。このカテゴリー、作ったはいいものの全然使ってないので(笑)。
6/07(Sun) | 大阪関西 → 仙台空港 ―[仙台空港アクセス線]→ 仙台都心部(るーぷる仙台/青葉城跡/仙台市博物館/青葉通/一番町商店街/勾当台公園) → 仙台市営地下鉄南北線全線乗車 |
6/08(Mon) | 仙台駅 ―[JR仙山線]→ 山寺(立石寺) ―[JR仙山線]→ 山形市内(霞城公園/文翔館) ―[高速バス]→ 仙台都心部(芭蕉の辻~仙台駅) |
6/09(Tue) | 仙台駅 ―[JR仙石東北ライン]→ 石巻駅 ―[JR石巻線]→ 女川駅 ―[JR石巻線・仙石東北ライン]→ 野蒜駅 ―[JR仙石線]→ 松島 ―[JR仙石線・仙山線]→ 愛子駅 ―[仙台市営バス]→ 仙台駅 ―[仙台空港アクセス線]→ 仙台空港 → 大阪関西 |
仙台駅へ戻ってきました。仙台空港へは18時34分発の電車に乗ることにしたため、残り1時間ほどを使って最後にもう一度牛タンを食べて帰ることにしました。塩だれじゃなくて普通のたれの方も試してみたかったので。
仙台市営バスS840系統 愛子駅前(16:31) → 仙台駅前(17:21) ※実時間
ほぼ定刻どおりにやって来たバスに乗って一路仙台駅へ。このS840系統は作並温泉が始発のようで、運賃表には既にかなりの額の運賃が表示されていました。
仙山線普通 仙台(15:40) → 愛子(16:04)
仙石線から乗り換え、31時間ぶりの仙山線ホームへ。先述しましたがプラットホームは駅改良工事のために狭くなっており、ここからは宮城野通口(東口)の工事現場の様子も見えます。あぁ、完成後の駅を見に来たいなぁ。地下鉄東西線の乗り潰しも含めて。
というわけで、予定を大幅に切り上げて松島海岸駅へ戻ってきました。あと5時間弱、残りの滞在時間をどう使おうか?と暫しの間思案したのですが…… あ、そうだ!昨日乗車して楽しかった仙山線にもう一度乗ってみようか! 時間が時間なのでもう山形までは行けないのですが、近郊区間の終端である愛子駅からは仙山線に並行して運転されている仙台市営バスで仙台駅まで戻れることを事前リサーチ済みなので、バリエーションもつきますね。早速乗り換え案内で検索すると―― うん、16時04分愛子着か。愛子から仙台まではいかに道路事情の影響を受けるバスであろうとも、待ち時間も含めて2時間もあれば100%着けるに決まっているので、今回閃いたプランに決定です。
仙石線普通 野蒜(12:55) → 松島海岸(13:11)
野蒜12時55分発、あおば通行きの仙石線普通電車で松島海岸駅へ向かいます。この電車の次は1時間後の13時55分まで待つことになるため(13時台の仙石東北ラインはありません)、女川駅に続いてアドリブで動かしようのない拘束スケジュールになってしまいました。
▲205系電車で松島海岸へ
石巻線普通 女川(11:10) → 石巻(11:36)
11時10分発の小牛田行き普通列車として待機していたのは、今度もキハ110形。JR東日本仙台支社のプレスリリースによると、今回の仙石東北ライン関連のダイヤ改正と同時にキハ40・48形が石巻線の運用から離脱し、全列車がキハ110形での運転となったそうです。車両の改善が着実に進んでいるのは勿論評価点ではありますが、その次のステップとしてはやはりこの駅でHB-E210系の姿を見てみたいもの。
石巻線の終着駅・女川駅にやって来ました。仙石線全線復旧および仙石東北ライン開業に先立つこと2ヶ月の3月21日、高台・内陸移設したうえで4年ぶりに営業を再開した駅です。ホームに降り立ってすぐに乗ってきた列車を撮影しましたが(下1枚目の写真)、ここまで乗り通す人が想像していたよりもずっと多かったのが意外でした。
高城町駅を出発します。ここから陸前小野駅までの区間は海岸線近くを通っていたために津波による被害が大きく、復旧に際して一部区間の高台移転が含まれるなどで長らくバスによる代行輸送が続いていたのですが、5月30日に4年3ヶ月ぶりに運転を再開。これにてあおば通-石巻間の仙石線全線が復旧しました。
当方の仙石東北ライン赤快速は手樽・陸前富山・陸前大塚・東名と一気に4駅通過。赤快速・緑快速の仙石線内の停車駅については震災前の仙石線快速電車の停車駅をそのまま踏襲していますが、東矢本駅のみは停車から通過に変更されています。
列車の発車1分前。色々とみどころの多い列車なので、コンデジを窓框に設置して車窓風景のハイビジョン動画撮影を開始。YouTubeにアップロードしたものを記事末尾に置いておきます。
8時18分、定刻通りに列車は動き出しました。と、いきなりここでハイブリッド車両の特徴の一つが聴覚でもって実感できます。ディーゼルカーが出発する際に高鳴らせるはずのエンジンの音が全くしないんですね。最もエネルギー消費が大きくなる初速ゼロからの起動時は蓄電池からの電力供給でまかない、10秒ほど経ってからようやくアイドリング状態だったエンジンがうなり出しました。この辺りの挙動はハイブリッドカーと全く同じです。デビューしたての車両ということで一般の乗客の関心も高く、乗り合わせた乗客の一人の方にどういう原理で動いているのかという質問を受けたのですが、長々と説明するまでもなく「平たく言うとプリウスの電車版です」の一言でおおかた通じてしまうのが楽ですね。
旅行最終日の早朝。カーテンを開けると天気予報どおり、粒がはっきり見えるほどの本格的な雨となっていました。さしもの晴れ男も残念ながら力及ばずですが、ま、こればっかりは仕方がないです。
昨日と同じ会場で朝食。今朝は量を6割程度に減らして食べすぎは回避したのですが―― 一難去ってまた一難。今度は下痢さまの襲来でございます(泣)。1週間とか10日間の旅行になると大抵途中でどこか体の調子が悪くなったりするのですが、今回は3日目にして早くもですか…。これから乗車する列車には2本ともトイレがついているので、朝のうちに何とか収まってくれればいいのですが。とりあえずフロントで下痢止めの薬をもらっておきました。
ギリギリまで部屋で様子を見て、予定通り出発。ホテルには夕方まで戻ってこないので、チェックアウトを済ませて荷物だけ預かってもらいます。
今日最初の目的地は石巻線の女川(おながわ)駅。女川町は私のような遠隔地の人間にとっては東北電力の原子力発電所を擁する町というイメージが唯一のものだったのですが、3・11以降は東北地方の太平洋沿いの町々が軒並みそうであるように、津波で市街地が壊滅した町として全国にその名が知られるようになりました。あの日からもう4年、瓦礫もとうに片付いて既に復興へ向けて新たな街づくりが始まっている段階と聞いていますが、やはり被災地をメディアを通してではなく生で見ておかなければ…という意向は前々から持ち続けていたので、ようやく念願叶って、という形になります。
広瀬通一番町でバスを降りたら、街の中心部を東西に走るアーケード商店街を「マーブルロードおおまち」「クリスロード」「ハピナ名掛丁」の順にたどって仙台駅へ帰ることします。
文翔館から出てきた時点で午後3時。山形市内を巡る時間はまだまだあるのですが、100分連続の集中講義のお蔭でHP(体力)はともかくMP(精神力)が枯渇してしまったため、ちょっと早いですがこれにて切り上げて仙台へ戻ることにしました。
山形市郷土館の館内をさらっと一回りしたら、次はもう一つの近代建築の傑作・文翔館を訪れてみます。霞城公園の東大手門からは山形市立病院済生館の正面を経由して、自転車で10分足らず。狙ったわけではありませんが、途中で昨日の仙台市道路元標に続いてまた山形市の道路元標を発見しました。江戸日本橋からの道のりは92里(約360km)。イザベラ・バードが従者の伊藤鶴吉とともに歩いた長い旅路に思いを馳せます。
▲山形市道路元標
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