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2017.10.03

17/09/25 (5)淀川クルージング(枚方→大阪八軒家浜) その1

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 船の出航時刻は13時30分の予定のため、しばらく船着場で待機。事前予約制なので当日の天気を見て参加/不参加を決めるわけにはいかないのですが、結果的には写真の通り、絶好のクルーズ日和となったのはありがたい限りです。ただ、最高気温が30度にまで達する日だったので、日陰のないこの場所で待つのはちと辛い(こうしてちょっと遠出をする時には日傘は持たないので)。いったん走り始めたならば、川面を渡ってくる風で少しは涼を取れるはず……と信じたいところです。



 誰も乗っていない間にお船のお写真を撮影しておきます。オペレーターは大阪都心部の河川で観光船を運航している『一本松海運』で、船の名前は「えびす号」(→紹介ページへ)。三十石船をイメージしたデザインということで、正しくこの企画のためにあるような船となっています。当時の船より定員はかなり多く、今回のクルーズでは定員は45名に設定されていました。船尾にはトイレが1基あるので、比較的長丁場となる今回のクルーズでも安心。もちろん垂れ流しではなく水洗式です。


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 淀川の上流方向。船の通航にはまるで支障のない、滔々とした流れです。川の水量の関係で春と秋にしか運航できないという話を聞いていたものの、京阪グループの『大阪水上バス』も同様の企画を実施しており、こちらは冬季にも運航日の設定が。実の所こちらの方が船の設備が優れているのですが、じゃらんのプランの対象外となっているために今回は消極的な理由での選択となりました。なお、三十石船の終点である伏見港まで運航されない理由ですが、現在は港と宇治川との間に高低差が生じており、これをクリアするための閘門も機能していないためのようです。航路の完全復活へ向けての構想はあるようなので、その時を楽しみに待っておくことにしましょう。


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 なお、明治初期に京都-大阪間に省線の路線(現在のJR東海道本線)が開通したのちも経済的な理由から京阪間の交通は蒸気船による舟運が主流で、本格的に鉄道に取って代わられるのは1910(明治43)年の京阪電気鉄道開業以後のことです。

 出航15分前に乗船開始。座席は申し込み順に割り当てられているとのことですが、私を含めて3名いた一人客はそれとは関係なく最後尾にまとめられることになりました。とはいえ、このポジションは後述するように前方よりも却って都合が良かったわけですが。航行時間は2時間半を予定しているものの、実際にはそんなには掛からず2時間程度で着くはずとの話です。

 船内の座席レイアウトは固定ではなく、今回は船体と平行に延びる二列のテーブルの両側をベンチで挟むという四列配置となっていました。ベンチにはクッションが敷いてあるものの、2時間をここで過ごすとなると背もたれがないのと一人分のスペースの狭さもあって少々しんどそうです。先ほど快適なプレミアムカーを体験してきた身には尚更なのですが、まぁ、こちらは機会がプレミアムということで。下の写真は船内で配られる緑茶(大阪の星・サンガリア製。伊藤園とかのそれに比べると薄いような…?)、枚方銘菓3種、そして「淀川舟運ウォッチングマップ」や大阪都心部の観光船の案内チラシが入った封筒です。


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 予定より5分ほど早く出航。なお、大きくはない船にお客さんがぎっしり乗り込んでいるので、以降の写真はモザイクだらけとなります。ご了承を。


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 出発直後に行程中最初の橋である「枚方大橋」をくぐります。ここを通る国道170号線は、枚方と高槻を連絡するたいへん重要なルート。大阪府内ではもっとも上流に架かる橋となり、ここから上流には淀川が三本の川に分かれた先まで橋は架けられていないのですが、新名神との絡みもあってか近い将来、牧野あたりにもう一本道路橋が造られるとのことです。左端に写っているのは、「枚方水管橋」という上水道用の橋。


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 走り出したところでやはり暑いことは暑いのですが、屋根が付いているのと風が吹きはじめたのとで幾分かはマシになったようです。さすがに淀川なので両岸とも全域にわたって高度に市街地化されているわけですが、こうして水面近くという視点で眺めていると高層建築くらいしか見えないこともあり、都市部の真ん中にいるにも拘わらずネイチャーツアーのような趣も。当然、江戸時代には近代堤防は築かれていないので建物の有無を差し引いても見える景色はまるで違うわけですが、この静けさに関してはおそらく往時と変わらないのでしょう。江戸期の日本の大動脈である東海道~京街道は外国人が往来する機会も多く、かつて淀川流域を訪れたシーボルトは、この辺りの風景を目にした印象のことを故郷のマインの谷(※シーボルトはドイツ生まれ)を思い出させるところが多い、と振り返っています。


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 船内には乗客と運航スタッフのほか、観光ガイドおよび「三十石舟唄」の歌い手と演奏者が乗り合わせています。ガイドの合間にしょっちゅう乗客をいじっているのですが、私は一番遠い最後部にいたのでいちいち相手をせずに済み、気が楽です。このガイドさん、正直なところ話術のほうはあまり達者とはいえず。なにも噺家やお笑い芸人のクオリティを求めるわけではないので坦々と解説に徹してくれればそれで良いのですが、プロでさえ高度なスキルが要求される客いじりに下手に手を出してしまい、案の定ユーモアとはかけ離れた只の嫌味になってしまっているのが遺憾でした。フォローしておくとあくまで解説の中身に関しては知的好奇心をくすぐる優れたものでしたし、クルーズ自体もレアな非日常体験として大いに楽しめたのですが。


 枚方出航から20分。2本目の道路橋となる「淀川新橋」へ。こちらは主に茨木市と寝屋川市を結ぶルートとして利用されています。


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 さらに6~7分、今度は斜張橋の「鳥飼仁和寺大橋(とりかいにわじおおはし)」をアンダーパス(下2枚目の写真は遠ざかる橋を船尾から撮影したもの)。こちらは軽車両も含めて車両の通行には料金が必要な有料橋となっています。ちなみに淀川新橋は1981(昭和56)年完成、そしてこちらの鳥飼仁和寺大橋は1987(昭和62)年完成と、淀川をまたぐ橋のうちでは比較的新しいものです。


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 鳥飼仁和寺大橋を過ぎてすぐ、右手に「鳥飼船着場」が見えてきます。淀川の本流上には我々のスタート地点である枚方船着場も含めて現在左岸5ヶ所・右岸4ヶ所の計9ヶ所にこういった船着場が整備されており、大規模災害時における緊急物資輸送に供されるなどといった用途が想定されています。


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 ほぼ同じ場所にあるのが「鳥飼の渡し跡」。淀川に多くの橋が架けられるようになるまでは川を横断する手段として渡し船が使われており(阪急電車が通る十三も、地名の由来は上流から数えて13番目の渡しがあったからという説があります)、この鳥飼渡し(下の渡し/仁和寺渡しとも)は1975(昭和50)年まで現役で活躍していたそうです。現在では淀川の渡し船は全廃されているものの、今なお大阪市内では8航路の渡船が運航されているのは以前にご紹介した通りです。


 この辺りも右岸はまだこんな風景。


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 次回は鳥飼大橋以遠の区間です。


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(2017.09.25)


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