17/09/25 (6)淀川クルージング(枚方→大阪八軒家浜) その2
14時05分、鳥飼大橋を通過。大阪中央環状線の北行き用と南行き用・近畿自動車道・大阪モノレールの計4本の橋、そして共架された水道管とガス管が通過する、今回の行程中ではもっとも太い交通路です。下1枚目の写真は大阪モノレールの電車が通るシーンをタイミング良く押さえたもの。1954(昭和29)年に架設されたゲルバートラス橋と呼ばれるタイプの橋が鳥飼大橋のシンボルだったのですが、老朽化のために2010年をもって使用を停止し、その後解体。現在は1車線を増設して3車線化された新しい橋が中央環状線の北行き用として供用されています。
なお、1980年代に先の淀川新橋と鳥飼仁和寺大橋が新設されるまで、鳥飼大橋と枚方大橋の間に橋は存在しませんでした。元来淀川の右岸は摂津・左岸は河内と国が分かれていた名残で現代でも文化圏が異なるためか、淀川横断はどこか国境を越えるような感覚さえおぼえます。言い換えれば高度経済成長期にモータリゼーションの波が到来するまでは、渡し船で事足りるような流動だったということでしょう。
クルーズ途中では何度か「三十石舟唄」の実演が行われ、手拍子お願いしまーす、てなノリになるのですが、私についてはまるで興味がないので(笑)ガン無視して船尾で写真を撮影したりだとか。同席のお二方も全く同じ行動を取っており、一人参加組に関してはこうして終始フリーダムにふるまっていたのでした。
守口市/摂津市を抜け、次の「豊里大橋」の手前からは両岸ともに大阪市に。豊里大橋は1970(昭和45)年に架けられた大阪市初の本格的な斜張橋で、今なおモダンな印象を与えるデザインとなっています。また、橋が架けられるまでは「平田(へいた)の渡し」という渡し船が両岸の連絡を担っていました。目で見ることはできませんが、この橋の直下を大阪市営地下鉄今里筋線の線路が走っています。
明治時代後期まではこの付近の淀川の流路は現在とは異なり、左岸の守口市側へと大きく蛇行していました。大阪市旭区の区域が守口市に食い込んでいるエリアがありますが、この旭区と守口市の境界線が流路変更工事以前の淀川の中心線だったそうです。
その次にくぐる菅原城北大橋も斜張橋。以前に赤川鉄橋とセットで訪れたことがありますが(→当時の記事)、その2年半後にまさか淀川の上から眺めることになろうとは。
水辺にはこのように野鳥の姿が。ここの堤防上を歩いた時とは見える世界がまるっきり異なるものです。
赤川鉄橋をくぐります。ここを通るおおさか東線延伸区間の開業も、紆余曲折はありながらとうとう間近に迫ってきました。
つづいて「淀川水管橋」。読んで字のごとし、水道管専用なので人やクルマは渡れません。赤川鉄橋の歩道閉鎖後は菅原城北大橋から長柄橋まで3キロ近い橋の空白地帯が出来てしまったので、この橋を恨めしい思いで眺めている地域住民は多いのではないでしょうか。
ほどなく前方に、橋とは異なる巨大建造物が迫ってきます。こちらが「淀川大堰」。淀川の水量を調整するダムの機能、兵庫県の上水道・工業用水の取水、そして大阪湾からの海水の逆流を堰き止める機能を併せ持つ設備です。
現在の淀川はここから直線的に大阪湾を目指していますが、この流路は治水対策として1909(明治42)年に人工的に開削された区間。その「新淀川」に対してそれ以前の流路は「旧淀川」と区別され、現在では一般的に上流から大川、堂島川(中之島北側)/土佐堀川(中之島南側)、安治川という個別の名称で呼ばれています。
我々は三十石船の起終点である八軒家浜船着場へ向かうので、旧淀川の大川へと進路を取ることに。いよいよ今回の淀川クルーズの山場、毛馬閘門(けまこうもん)のお出ましです。
淀川と大川の間には水位差があるため、船舶の通航の際には必ずこの閘門で水位の調節を行う必要があります。大川と枚方を往復する砂利運搬船が毎日何隻か定期的に通航しているものの、旅客船での通航はこういった企画ならではの体験です。
信号が青になるのを待って、閘門内へと進入します。こういった閘門の親玉となるとパナマ運河のアレになるのですが、こちらもこちらで三十石船もどきにとっては身に余るほどに大規模な設備。広いスペースの片隅に一隻だけポツンと停泊し、水位調節後の再開通を待ちます。
ちなみにこの毛馬閘門、船舶が基準を満たした上で通航の一週間前までに淀川河川事務所に申請すれば、誰でも無料で自由に通航が可能。その昔、淀川沿いの摂津市に居を構えていた横山やすしがなんばでの公演に遅刻しそうになった時、淀川と大川をモーターボートで飛ばしてどうにか滑り込んだ…というネタがあったそうですが、現実には閘門通過の事前申請が必要なのでこのような航行は不可能となっています。尤も、“タレントパワー”を濫用して無理矢理通過した可能性もありますが、こんな駄法螺に対してまともに取り合うのもどうかとw。
やがて後方の門が閉じ、閘門内の抜水が始まります。下3枚目の写真は壁を撮影したもの。縦に35cm間隔で打ってあるボルトが調節前後の水位差の目安となります。
最初は閘門に沿って通る歩行者通路の地面が見えるか見えないか程度の高さだったのですが、3分ほどで船の屋根よりも高い位置に。ここよりも断然規模は小さかったですが、以前にストラスブールのイル川遊覧船で体験した時の記憶が甦ります。
抜水完了、オープン・ザ・ゲーート!! 前方に大川の水面が姿を現しました。ちなみに水位差は1メートル数十センチといったところでしたが、あくまで今回は、であって、淀川と大川の水量によってはこれも変わってくるので念のため。
再び信号が青に変わるのを待ってから退出。通過の際の標準所要時間は30分とのことですが、今回は小型船一隻だけだからということか、14時44分の進入から14時58分の退出まで14分のスピード通過でした。
次回、毛馬閘門~八軒家浜船着場間の最終回です。
(2017.09.25)
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