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2017.10.06

17/09/25 (7・終)淀川クルージング(枚方→大阪八軒家浜) その3

 毛馬閘門を抜けて大川へ入ってすぐの所に、砂利運搬船の船溜まりがありました(下1枚目の写真)。ちょうど今の時間、枚方への往復を終えて船溜まりへと戻ってくる船の姿(下2枚目の写真)がみられます。


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 大川最初の橋・「毛馬橋」(城北公園通が通過)をくぐると、このような古びたドックも。上の船溜まりともども、周囲の小ぎれいな都市景観との対比が強烈なコントラストを放っています。


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 ここからしばらく、右手に阪神高速12号守口線の高架橋が並走します。淀川よりも川幅はぐっと狭くなり、運河のような趣。淀川航行中は全くと言っていいほど揺れを感じなかったのですが、こちらでは自らの立てた波が両岸で跳ね返り、小刻みな揺れが発生しています。


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 こちらは歩行者専用橋の「飛翔橋」です。


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 その前方には「都島橋」。都島通および、その地下に大阪市営地下鉄谷町線が通っています。


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 ちなみに上述の砂利運搬船は、都島橋のすぐ南側にある下の写真の仮置き場まで砂利を捨てに来るそうです。放っておくと桂川・宇治川・木津川の三川が運んできた砂利が枚方付近に堆積してしまい、治水の面でも非常時における交通路の確保の面でもまずいことになるため、こういった浚渫作業が日々欠かせないのだとか。


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 JR大阪環状線の橋。ここをくぐってループの内側へ入れば、いよいよ大阪の都心部です。一週間後に引退を控えているオレンジ色の103系が通らないものか…とカメラを構えていましたが、そもそも電車自体通りませんでしたorz。


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 「源八橋」。毛馬橋と共に、橋が架けられるまではここにも渡し船があったそうです。


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 すぐに右手に見えるのが大阪アメニティパーク(OAP)。三菱マテリアルの工場跡地を再開発してつくられた大型複合施設です。ここにはOAP港が併設されており(下の写真)、ここから下流側には観光用の水上バスの定期航路が設けられています。


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 というわけで、もう残りわずかとはいえここから先はごく普通の遊覧クルーズとなりますが……。大川区間のハイライトとなるのはこちらの「桜宮橋」、通称銀橋でしょうか。二本の橋が並行しており、下流側の橋は1930(昭和5)年に完成した戦前では日本最大のアーチ橋。上流側の橋はここを通る国道1号線の拡幅のために2006(平成18)年に開通した新しい橋です。なお、大川の橋にはここも含めて水面からの高さがかなり低いものがあり、この船も屋根の高さを調節できるようにはなっているのですが、今回はその昇降機構を作動させることなく全ての橋を通過していきました。


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 桜の通り抜けで知られる大阪造幣局を右手に眺めながら進み、左前方に京阪電車の線路が見えてきたところで歩行者・自転車専用の斜張橋「川崎橋」をくぐります。


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 寝屋川との合流点手前にて、左手にチラリと大阪城。太閤はんのお膝元へと帰ってまいりました――私自身は大阪には何の愛着もありませんが(爆)。


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 最後に二重橋となっている天満橋をアンダーパスすれば、


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 隣接する京阪天満橋駅から電車に乗れば20分前後の枚方よりたっぷり2時間かけ、15時24分、八軒家浜(はちけんやはま)船着場に到着。江戸時代に旅館が八軒あったことからその地名が付いたといい、舟運を過去の遺物へと追いやった京阪電車もまた開業から半世紀余りのあいだ大阪側のターミナルとしていたという、由緒ある場所です。


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 この他、文字に起こすのが大変なので船内でのガイドの大部分を端折ってしまいましたが、個人的には外来種で驚異的な繁殖能力をもつボタンウキクサ(ウォーターレタス)が淀川流域に大量発生したという話が生々しかったです。

 “一本松海運版”淀川クルーズのまとめですが、今回は実質無料だったものの正価の4,500円となると高いですし、船内の設備もこの値段には見合いません(これも当時の追体験という計らいか)。美しい景色が見られるわけでもなく淀川沿いの地理・歴史についてある程度の知識がないと楽しめないので、誰にでも手放しでお薦めできるツアーではないのですが。それを踏まえたうえで、戦後初の舟運の復活となると通勤通学用務で何百回、何千回と大阪京都間を往来している人でさえ未踏なルートなわけでして、大人の社会科見学としてはすこぶる有意義な経験でありました。一昨年から旅行商品として試験的に運航されている琵琶湖疏水の観光船がとうとう来年度には本格的な復活を遂げるとの話(→京都新聞の参考記事)なので、(伏見~蹴上間は鉄路でつなぎつつ)大阪から琵琶湖までを水上交通で踏破する…という関西の地理好き・乗り物好きならば誰もが夢見たプランも実現まではそう遠くないのかもしれません。

(2017.09.25)


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