【18/07再訪】鉄道博物館 番外(旧万世橋駅編)
鉄道博物館退館後は東京都内のスポットを何か所かハシゴしたのですが、そのうちの1つ目がてっぱくのサイトのTOPにもバナーが貼られている同博物館の関連施設ということで、最後にこちらを取り上げることにします。
最寄り駅はいくつもあるのですが、今回は大宮からのアクセスなのでJRの秋葉原駅を使うことに。近年は東京圏の電車が時間通りに走るわけがないと決めつけてかかっているのですが、鉄道博物館駅でニューシャトルの到着を待っている間にJR東の運行情報をチェックしていると、やっぱりというか狙い澄ましたとしか考えられないような輸送障害が発生したばかり。まあ、大宮~東京都心間ならばJRだけで5本もの路線で結ばれているのでクリティカルな事象というわけではないのですが……。
大宮でつかまえた電車(上野東京ライン)は高崎線から来たものだったので影響はなく、上野で山手線に乗り換えて40分ほどで秋葉原に到着。電気街口(西口)が最寄りの出口となります。時刻は午後5時を過ぎ、危険な暑さも漸く少しばかり和らいできました。
私が最後にアキバの街を訪れたのは小学生の時なので、今回は四半世紀ぶりの再訪となります。東京西郊住まいだと家電を買う程度ならばわざわざここまで足を延ばさずとも新宿西口で十分用が足りてしまうため、在住時代に訪れた回数は記憶にある限りで五指にも満たないはず。この間に電子部品とパソコンの街からアニメとゲームと地下アイドルの聖地へとイメージは移ろっていきましたが、同じ聖地でも宗教の聖地なんかと比べたならば100億倍穏和ですからね(※個人の感想です)。バチカンよりも、エルサレムよりもアキハバラ。宗教といえばかつてこの界隈に出店していた「マハーポーシャ(オウム真理教が経営していたパソコンショップ。またまたタイムリー)」は人件費フリーだけあって本当に安かったらしく、父はつい買いそうになったことがあるとか。
『肉の万世』がシンボル(子供へのラムネのプレゼントは昔と変わらず健在だとか)の万世橋まで来ると、インバウンド人口も限りなくゼロに。そして、神田川の対岸にはもう目的地が見えています。
鉄道を愛する皆様にならば改めて説明するまでもないと思われますが―― 2006年までは現・鉄道博物館の前身である交通博物館の施設の一部だった、元を遡ると1912(明治45)年に中央本線の始発駅・「万世橋」駅ホームとして造られた高架橋です。交通博物館の閉館後、高架橋南側の敷地には下の写真の背後に写っている「JR神田万世橋ビル」が建てられましたが、高架下のスペースも商業施設 兼 旧駅遺構の保存施設として2013年、「マーチエキュート神田万世橋」の名称で新たに整備されています。
それでは入ってみましょう。エキュートと名乗ってはいますが、こちらはエキナカには違いないものの「元」駅なので入場券は必要ありません。どうぞご心配なく。
1Fは常設・期間限定あわせて十数店舗が入居する商業エリア。交通博物館時代には目隠しされていたレンガアーチやビームも、現在はあえて生かす形で今風のお洒落空間を演出する要素となっています。
北側の神田川沿いスペース。気候のいい季節には椅子に座ってゆっくりするのもいいですが…… 今日のところはゴメンだぜ!
1Fの一角には、開業からわずか7年間ではあるものの中央本線のターミナル駅として、そしてその後もしばらく市電路線の集まる交通の要衝として活況を呈した時代を今に伝えるライブラリーコーナーが用意されています。その奥には中央本線でつながっている山梨県や長野県…ではなく、山形県のアンテナショップ&カフェレストランが。
お次は旧駅遺構の保存施設としての側面を目の当たりにすべく、南側へと回り込みます。
万世橋駅は戦中の1943(昭和18)年に駅としての役割を休止しましたが、構内に2か所あったプラットホームへの階段は休止後も埋められることなくそのまま残されることに。以来日の目を見ることはありませんでしたが、2013年、七十年の時を経て“復活”したプラットホームへの出入口として再び一般開放されることになりました。こちらはそのうちの一方である「1935階段」。その名の通り、1935年から駅が休止される1943年まで使用された2代目の階段となります。
▲(2枚)1935階段。踊り場にはこの地の100年余りの記録写真が閲覧できるデジタルサイネージを設置
結構長い通路を進んだ先は、こちらの「2013プラットホーム」。旧万世橋駅に2面あったホームのうち北側の1面は現在もそうであるように留置線になってしまったのですが、南側の1面については休止後もホーム部分は残され、ここを走る中央快速線の電車内からも容易に観察することができました。この度の構内再開放にあたり、ホームの形状は当時のままにデッキとレストランとしてリノベーションを実施。列車こそ停まらないもののふたたび人の姿がみられるようになったホームの両側を、オレンジ帯を巻いたE233系電車がひっきりなしに行き交っています。
なにせ中央快速線、そのうえ夕方のラッシュがもう始まっているので、上下線ともに電車がバンバン走ってきて写真に押さえるのはすこぶる楽なのですが…… ガラス張りなので風が通らず夏は熱気がこもるのが明らかなのに、まるで嫌がらせのようにデッキには冷房が入っていないため、テキトーにスナップを済ませたならばとっとと撤収することに。とはいえ日に数本限りの特急・ホームライナー以外はぜんぶE233系なので、長居は不要かと。
ホームの西半分はレストランになっています。メニューを見ると結構強気の価格設定でしたが、ランチならば眺望代込みで話のネタに訪れてみてもいいかなと思いました。さすがにこんな立地は他にないですし。
それではもう一方の階段を下りて、地上へと戻ります。……って、無人のはずの階段の奥に何やら怪しい人影が見えるんですが……?
正体は幽霊ではなくこのお嬢さん。JR東日本が開催している北海道フェアのコラボ企画として、今回北海道の応援キャラクターを務めている「雪ミク」がPRキャラに起用されているとのことです。そういえば新千歳空港でもお見掛けしましたな。
思わぬドッキリもありましたが(他に誰も見学者がいないので余計に怖かった)、こちらの「1912階段」は開業当時に使われていた初代の階段となります。ターミナル駅に相応しく吟味された内装材が用いられるなど駅全盛期の生き証人のひとつでもありますが、その後交通拠点としての機能を失ってすっかり衰退しきった1936(昭和11)年、駅構内へ交通博物館(当時は「鉄道博物館」の名称)が開館し、この階段はプラットホームから館内へ直結する特別来館口に転用。その代わりに新設されたのが先述の1935階段というわけです。その特別来館口が閉鎖されたのち、いつの頃からなのか今度は1F側の一部が交通博物館の休憩スペースとして生まれ変わることに。私は小学生時代に訪れてそれきりなので全く憶えていないのですが、駅休止以来完全に眠りについていたわけではなく知らず知らずのうちに我々のお役に立っていたという、気高くそして寡黙な生き証人なのでした。
最後に南側から高架橋を。コンパクトな施設ではありますが、交通博物館跡地がその後どうなったのかの確認も含めて見に来た甲斐はあったと思います。それではまた。
・mAAch マーチ エキュート 神田万世橋
・旧万世橋駅(東日本鉄道文化財団)
<鉄道博物館2018年編・完>
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