あいちトリエンナーレ2019 Part4【四間道・円頓寺エリアI】
13時10分頃、四間道・円頓寺エリアへ到着。この地名、何気に難読地名でして、四間道は「しけみち」、円頓寺は「えんどうじ」という読み方をします。作品群は大通りを挟んでひとつながりとなっている円頓寺商店街・円頓寺本町商店街沿いに展開しており、まずは東側の円頓寺商店街へ向かうことにしました。
シャトルの発着場すぐそばの幸円ビルという古いマンションの一部屋が、いきなりですが展示会場のひとつ。アートユニット・キュンチョメによる「声枯れるまで」という作品で、親から与えられた名前を“捨てた”トランスジェンダーの人々が自分自身でつけた名前(=新しい生き方を選んだ「転生」の象徴)を叫び続ける、というものです。んー、これは精神的にクルなぁ…。ヘテロの私には逆立ちしても解りようのない底なしの苦悩だけに。性の、というよりも人間性そのものへの執着がない私が語るのはおこがましいとお断りしたうえでですが、未だに性的「指向」と「嗜好」の区別がつかないorつけない人々がごまんといる、正しく(そっから!?)と思うと暗澹たる気分にもなりますし、マジョリティが理解を深めてくれるかどうか次第、しかし理解したところで何一つベネフィットがないという非対称な関係性を考えるともう“解決”なんて不可能なのでは…という具合に、またしても袋小路へ突っ込むパターン。となれば非現実的な「融和」よりも生殺与奪を握られるシステムから脱して「ポジティブな分断」を目指した方がQOL的に遥かに好ましいのではなかろうか――と、これもまたPart1~2と同じ結論になってしまいますね。
円頓寺商店街へ。本格的に散策を始める前に、まずはここでランチを摂っておくことにします。愛知芸術文化センターにもレストランがあったのですが、今朝ホテルの朝食バイキングでしっかり食べてきたためにあまりお腹が空いておらず、ここならば飲食店の選択肢も多くて量を調節できそうだな、と思いまして。
商店街に入ってすぐのこちらのお店へお邪魔しました。
お目当てはこちらの名古屋名物「あんかけスパゲッティ」。半世紀前に誕生するも、名古屋めしとしての知名度を獲得したのは21世紀に入ってからなのだとか。道理で7年名古屋に住んでいたのに知らなかったわけだわ。オーソドックスなタイプをというリクエストでお奨めされたのが、こちらのウィンナー・ハム・ベーコンがたっぷり載った「ミラネーズ」。炒めてあるパスタはもっちり、ソースは中華あんかけのようにねっとりと、新潟のイタリアンもそうでしたが既存の食べ物に少々アレンジを加えただけで別物に変化してしまうのが面白いです。にしても量を調節するつもりで来たのに寧ろヘビーなくらいだな、コレは。もちろん奇麗に平らげましたが。
地名の由来となっている円頓寺も含めて、商店街の風景を何枚か。名古屋駅から歩いて15分ほどという場所なのですが、その立地条件から通例どおり?シャッター通り化しかけていたものの、近年は新進気鋭の商店主(彼ら/彼女らもまた紛れもないアーティストでしょう)が集まりはじめ、定期的にイベントも開催されるなど、少しずつではありますが息を吹き返しつつあるとの話です。
商店街の東端は堀川。名古屋を代表するビジネス街である丸の内地区は、もう目と鼻の先です。
堀川のすぐ西側を並行する堀川筋には伊藤家住宅という豪商の旧家があり、ここもトリエンナーレの会場のひとつ。歴史的文化財と現代美術のコラボ、しかも和×和、というのはこういったイベントならではです。8月ということで宅内にまったく冷房が入っていないのにはちょっと参りましたが、とはいえ一番大変なのはスタッフの皆さんでしょうからね。ここでは敷地内にある土蔵の中に展示された、岩崎貴宏さんの「町蔵」というタイトルの奇想天外な立体作品が印象的。それ自体が作品の一部として取り込まれている狭く暗い土蔵内で眺めるのは、美術館で鑑賞するのとはまた違った趣を与えてくれます。
▲伊藤家住宅・外観
なごのアジール(下の写真)という施設内では、タブラという北インドの打楽器(太鼓)の奏者の方が演奏を行っています。これはパフォーマンスであると同時にチッラーと呼ばれる伝統的な修行でもあるとのことで、非公開の時間帯・日も含めて毎日10時間・40日間にも及ぶという規格外のスパン。本来のチッラーは衆目にさらされない隔離空間で行うらしいので、今回の試みはまた壮大な実験でもあるようです。
堀川筋の一本西の通りが四間道。1700(元禄13)年にこの地で起きた大火ののち、防火および商業活動を目的として道幅を4間(約7メートル)に拡げたのが名称の由来となっています。道の東側には石垣の下駄を履いた土蔵、そして西側には町家と、WWIIの空襲をくぐりぬけて江戸時代の面影を色濃く残すこの区域は町並み保存地区に指定されています。今回のトリエンナーレを機に初めてやって来ましたが、都心部近くにこのような貴重な景観が残っていたのには驚かされました。あんかけスパゲッティもそうでしたが、元市民でありながら存在すらも知らなかったというこの体たらく。
次回へ続きます。
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