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2019.09.01

あいちトリエンナーレ2019 Part5【四間道・円頓寺エリアII】

 引き続き、円頓寺商店街の南側に広がる古い街並みを散策。時季が時季なので、展示作品を求めてという以上にクーラーを求めて……という感じになりがちではありますが。


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▲こちらも会場のひとつの「那古野一丁目長屋」



 四間道・円頓寺エリアの拠点として位置づけられているのが、下の写真の「なごのステーション」。ここでは“いつものように”(←ここ笑うトコね)スタッフさんに捕捉され、冷たいおしぼりなどを頂きつつ本トリエンナーレで最初で最後となるワークショップにプチ参加することになりました。このエリアの口コミを来場者から募集してビッグデータを作成するという企画で、先行する皆さんはひと言程度でまとめられていたため、私もそれに倣って【古い物と新しい物の融合】というコメントを寄せることに(【新陳代謝】は公式ガイドに既出だったので棄却)。もうちょっと気の利いた表現はなかったんかいと自嘲せずにはいられませんが、まあシンキングタイム数秒の即興だったので。あと、ライブカメラによる4エリアをつないでの同時中継というものもありました。ここまで黙々と作品閲覧の数をこなすばかりだったので、フレンドリーなスタッフさんとの暫しのおしゃべりは良い気分転換とアクセントになりました。


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▲なごのステーションはおもてなしステーションでした


 続いてはガイドマップ上では円頓寺銀座街店舗跡と記載されている場所へ。


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 中国の道路標識が立っている、という風景ですが、この標識は架空のものではなく北京市内のとある場所に「実在」したもの。作者は葛宇路(グゥ・ユルー)さんという方なのですが、自分の名前の末尾に路が入っていて道の名前のようにみえることから、北京市内にある複数の名無しの道路(*注)へ勝手に自分の名前を命名。さらには勝手に標識を設置して回るという、斜め上すぎる発想と尋常ならぬ行動力にまず驚愕するのですが。話はそこで終わらず、いつしかその命名が既成事実となってしまい、中国のオンライン地図へ続々とこの道路名が掲載。この通り沿いの住所へ送られるデリバリーサービスの伝票にも葛宇路の文字が……というオオゴトにまで発展してしまいます。その後、当局によって「この通りにはちゃんと名前があるのでこの命名は認めません」と、じゃあ最初から表示しとけよ!という総ツッコミが入りそうな理屈でもって道路標識ごと無かったことにされるという、順当なれども粋の欠片もない結末を迎えることに。しかしそのままこの“事件”が闇に葬られたわけではなく、今回の出来事が引き金となり、市内の無名だった道路(千とか万オーダーだったと思います)には正式に名称が制定されることになったとのことです。厳しい統制下にある中国だからこそ、一個人が起こした微かな波紋がうねりとなっていったという小さな英雄譚に、より味わい深さが増すのかもしれません。

*注:中国の住所は道路を基準に表現するはずなので、そもそも無名の通りというのが存在し得るのかという素朴な疑問もあるのですが。


 大通りを横断し、今度は西側の円頓寺本町商店街へ。


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 こちらは越後正志さんによる「飯田洋服店」というタイトルの展示がある、那古野二丁目長屋の外観です。この展示が終わったら即解体が始まるのかしら、なんて思わせるほどの年季の入った建物ではありますが、歩いていてこうして唐突に会場が現れるのには最後まで慣れなかったです(笑)。


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 アーケード内へ戻って西に歩いて行った先にある「メゾンなごの808」が、今回のトリエンナーレで見学した最後の展示スペース。1Fと2Fに分かれており、1Fは弓指寛治さんの「輝けるこども」という、2011年に栃木県で発生した6名の児童が犠牲となったクレーン車の暴走事故をモチーフにした展示です。加害者がてんかん患者・被害者が全員小学生と事故の背景そのものが非常にセンセーショナルなのに加え、展示の手法が悪く言えば文化祭の出し物っぽい、それなりの実績を積んでいるはずの表現者としては直截に過ぎ、作品の伝播力の相当量は事故の凄惨さに負うところでしかないのではないか……と、私はちょっと顔をしかめてしまいました。そもそも年間数千人にも上る交通死亡事故の一件一件が加害者/被害者の属性によらず等しく悲劇なはずで、扇情的な報道に慣れきって自然とふるい分けを行っている、更にはその社会的コストを所与のものとしているという世の在り方に一石を投じてこそアートとなりうるのでは? というのは、私の身勝手な希望です。

 2Fには毒山凡太朗さん(毒蝮三太夫っぽいですが、ペンネームなのでしょうか)の手による3つの作品が展示されています。映像作品「君之代」は、名古屋市美術館の藤井光さんの作品ともリンクする、日本語での台湾の高齢者へのインタビュー。「日本語お上手ですね」と無自覚な暴力を振るってしまう前に見ておきたい、本邦の負の歴史の1ピースです。「ずっと夢見てる」も同じく映像作品。路上で駅構内で電車の中でと様々な場所で泥酔して横臥している人に、スポーツ国際大会でのインタビューパネルを彷彿とさせるようなスポンサーロゴだらけのブランケットを掛けていくというシュールな内容です。立体作品「Synchronized Cherry Blossom」は、名古屋名物のういろうを花びらの形に切り取り、薄暗い部屋で夜桜に見立てるという、これまた受け手のセンスを問われる怪作。やっぱり芸術鑑賞は楽しくないとというモットーに呼応するかのように、ユーモラスな「アフリカ:西洋のゴミ袋」に始まってまたユーモラスな“ういろう桜”に終わった、私のあいちトリエンナーレ2019なのでした。
(下の写真は午後4時前、復路も乗客は私1人だけのシャトルに乗って栄へ帰ってきましたよ、の図)


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 5回に分けてざっと印象をまとめてみましたが(文字数1万6千、公開中止中の作品が多かったのでやや少なめなのは致し方なし)、反芻しているうちに「表現の不自由展」の件は何処かへすっ飛んで行ってしまうほどに――いや、一部公人や警察のクソっぷりにムカムカするのは相変わらずですが。商業イラストレーターやミュージシャンの迷言についてはこんなものかという諦念しかありませんが――、普段使っていない脳ミソの部分を揺り起こす刺激的なイベントだったなという充実感を改めて再確認させられました。こういった芸術祭形式のイベントに参加するのは初めてだったのですが、元々アート鑑賞は趣味のひとつであったので、体力の問題はあれどもほぼ一日中どっぷりでもまだまだゼンゼン物足りないと思えるほどでしたね。少なくない作品が公開中止となっているというハンデの中にあって、「見たいものだけを見て、聞きたいものだけを聞いて、言いたいことだけを言」えるわけではない“不自由”な空間になおあれだけの観客が詰めかけるという、確かに真善美が存在する(希望的観測だというご批判は甘んじて受けます)世界の一端を垣間見ることができたのも大きな収穫でありました。また3年後に開催されるはずのあいち~か、他の地域のそれかは未定ですが、芸術祭参加はこれで終わりにはしたくないですね…。なごのステーションのスタッフさんともそんな話をしていましたので。いいじゃないの、何が悪いのよ町おこしイベントで。行きたきゃ日本の、世界のどこへでも行ってやるぜ。

 75日間にわたる祝祭も、当エントリーのアップ時点でそろそろ折り返し地点に差し掛かろうかという頃。最後にこのトリエンナーレを支えるすべてのスタッフの皆様に感謝と激励を送って、本項の結びといたします。でも連載はまだまだ続くよ!


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