梅雨入り前にもうひと旅 in 京都【平安京ジオラマ~北野~嵐電】
今年の梅雨入りはいまのところ九州以南と関東のみで近畿地方は未だしなのですが、それも時間の問題なので(【追記】14日に梅雨入りしました)、本格的に雨の季節へ突入する前に京都へプチトリップをしてきました。
まずは阪急電車で西院へ。ちょっと遅めの時間に出ましたがそれでも京都線の特急は混雑気味なので、着席目当てで途中の高槻市にてガラ空きの準急へ避難。最近は1~2回抜かれても積極的に空いている下位優等を利用するようになりました。この意識の変化もコロナちゃんのお蔭です、さよなら昨日までの「いらち」な自分。そういえば阪急も2024年をめどに有料座席を導入する意向という報道がありましたが、たぶん9300系を現状のまま使う京急ウィング号タイプでしょうね。京阪プレミアムカーのように終日運行かつ丹精を凝らしたタイプは期待しない方がいいかもしれません。
西院で下車し、そばの西大路四条バス停Eのりばから市バス202系統に乗車。10分ほど揺られたのち、丸太町七本松バス停で下車します。最初の目的地は京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)1Fにある、『古典の日記念 京都市平安京創生館』(→施設公式サイトへリンク)。主要な観光スポットからはやや距離があるので何かのついでに訪れるような場所ではないですし、外観(下1・2枚目の写真)もただの公共施設なので偶然通りかかったところでまず存在には気付かないのですが、ここには京都好き・日本史好きならば一見の価値がある展示物があります。なお、利用料金は無料。
そのメイン展示、平安京のジオラマです。縮尺は1000分の1、模型全体の実寸は東西11m×南北10mなので、実際には11km×10kmの範囲となります。下の写真は手前の羅城門から奥に延びる朱雀大路を経て朱雀門および大内裏(だいだいり)までの範囲。平安京造営直後の状態ではなく、794年を起点に鎌倉幕府が成立するまでの400年間の要素を綯い交ぜにしてあるとのこと。
桂川と嵐山(写真左上)方面。松尾大社や平安初期に嵯峨天皇の離宮として始まった大覚寺も確認できます。なお、平安京の西南端は桂川流域の湿地帯。ここだけでなく都の西南部一帯が居住に適した地域とはいえず、実質的には都城外の農村と変わりがなかった模様です。
二条大路(二条通)を中心にして東から西方向を眺める視点です。手前は当時白河にあった六勝寺(平安末期の院政期に建立された6つの寺の総称)。現在は岡崎公園が立地するエリアです。
平安京の範囲からは外れた鴨川の左岸には当時からいくつもの寺社が。平安京はあまりに巨大すぎた(=計画人口と実際の人口の乖離が著しかった)ために画餅に終わってしまい、造営から程なくして早くも衰退が始まった右京に代わって左京が栄えていくことになり、その東へ移動した南北の中心軸が現在の都市構造まで継承されていくことになります。
高野川(手前)と賀茂川(その奥)。合流点にある賀茂御祖神社(下鴨神社)は平安京遷都以前(神話ではなく史実に絞っても奈良時代以前)から存在したとのことです。
最初の視点をふたたび広角にて。この横にカフェでも作ってくれたら数時間単位で眺めても飽きないですね。惜しむらくは大きすぎてジオラマ周縁部以外の建物が肉眼では見え難いことですが、タッチ式の操作パネルを使用し、ジオラマ上空に設置されたカメラの映像でランドマークをズームできるようにはなっています。いずれにせよ縮小写真では全く迫力が伝わらないので、ご興味があれば是非とも現地にて。
その他の展示も一部のみですがご紹介。こちらは白河上皇による院政の中枢として造営された鳥羽離宮の模型です。位置は朱雀大路の南の延長線上、現在の名神高速京都南インター付近にあたります。
大内裏の中にあった「豊楽殿(ぶらくでん)」の1/20模型。国家的饗宴のために建てられた施設とのことです。
当時の衣食住の解説。食事のサンプルは貴族・庶民双方のものが用意されていました。
着付けや貴族の遊び(囲碁・盤双六・貝合せetc.)の体験コーナーもありますが、こちらはCOVID-19の影響で休止中でした。
こちらはおまけ。見学前にセンター1Fの食堂っぽい和食レストランで摂った早目のランチです。冷製梅おろしうどんと天むすのセットをオーダーしましたが、税込860円という値段の割には量が控えめでイマイチ。ここはロボットが料理を席まで届けてくれ(下2枚目の写真。平床ゾーンのみ)、その様子を楽しみにしていたのですが、こちらもどうしたことか私と隣の人だけは普通にお姉さんが持ってきてくれたという。なんでや。
小さい施設ながらも1時間近くを掛けてゆっくりと見学。さて、至近の観光スポットとなると北野天満宮か二条城あたりになりますが(どちらも徒歩だと20分前後)、入場料が要らないという理由で北野天満宮へ向かうことに。おやつにスイーツを食べてから嵐電で嵐山へ移動し、阪急で帰途に就くというプランで参りましょう。
相合図子通(あいあいのずしどおり)という聞いたこともない名前の路地を通って北上。住居表示にも聚楽廻松下町とあり、ご推察の通りで秀吉が築いた聚楽第の南西部にあたるエリアだそうです。
相合図子通沿いの風景です。狭義の解釈(=西端は七本松通)では外とはいえ西陣エリアでもあるので、“らしい”業種のオフィスもあったりと。毎度感じることながら、大通りから見える景色なんて洛中の1割にも満たないものです。終盤の一番町(最後の2枚の写真)では住民の働きかけにより民泊の導入計画を阻止したという掲示がありましたが(共産党絡みなのがアレなれどそれはともかく)、NIMBYということで立場によって賛否がガラッと変わる事案ゆえ、三方よしな結論を出すのは難しいもので。個人的にはこういうおビジネスは「巧言令色鮮し仁」「儲かるは図々しき輩ばかりなり」なのでいい気はしないですけれど。
一条通に出ると、雰囲気の良い商店街がありました。
ここから3分ちょっとで北野天満宮一の鳥居に到着。この日は最高気温が30度とのことで腹を括って来ましたが実際にはギリギリ20度台で踏みとどまってくれ、雲も多めなので初夏にしては比較的過ごしやすい一日に。
著名観光スポットなのは織り込み済みながら、うわぁ、修学旅行生がわっさー! とはいえこの先のことを思うと「ここまで『回復』してしまった」という前に「この程度で済んでいればまだ御の字」という感想が先行してしまいますが。また国内外のいいね!狂いがそこら中に溢れ返るんでしょうね、ホント勘弁してよ……
そんなわけで、人物が入っていない構図となると自ずと限られることに。修学旅行の件も高校・大学受験を控えている彼ら彼女らなので、訪問先としてはこの上なく好適ではありますね。私は生まれてこの方勉強で苦労したことがないので、天神さんにはありがたみを感じられないのですが(嫌味?)。こちらの北野天満宮、天満宮の総本社の一つながらも意外に小ぢんまりとしているのが印象的。防府は未訪問ながら太宰府は大昔に一度だけ訪れているのですが、広さはどれ位だったかな……ほとんど記憶になく。
北野天満宮の方はどちらかというと従で、主は一の鳥居前から真南へ延びる路地に入ってすぐの場所にあるこちらの『北野ラボ』。コンフィチュールを使ったスイーツを売りにするカフェです。ちなみにジャムとコンポートとコンフィチュールの違い、ちょっと調べただけの知識ではどうも腑に落ちないのですが、ここでは特に掘り下げることなくさらっと流しますw。
季節のメロンパフェ(シャンパンがけ)は2200円と踏ん切りがつかなかったので、レギュラーメニューの苺パフェをセレクト。それでも1650円(税込)となかなかのお値段なのですが、出来上がるまでの工程を考えるとこりゃあしゃあないわ、という気に。先客は4人だけだったのにも拘らず、オーダーから到着まで30分も待ったというのは前代未聞です。層の構成は上から苺・バニラアイス・ケーキクラム(粉末状にしたケーキ)&シュトロイゼル(サクサクとした食感のそぼろ状のクッキー)・ホイップクリーム・苺と木苺のコンフィチュール・苺とジュレ、という感じ。全体的にはかなり甘いですね、スイーツ男子の私も水が多めに欲しくなりました。
夏も近づく八十八夜…はもうかなり過ぎましたが(今年は5月2日)、宇治茶のふるさととして知られる京都府和束町の黒板アート。次回はこちらの茶畑を歩いて巡ったお話をお届けします。
1時間も店内に滞在したのは予想外でしたが、今日はゆるゆるのスケジュールなので何ら影響なし。続いては西へ歩いて5~6分の北野白梅町(きたのはくばいちょう)駅へ向かいます。正式名称は京福電気鉄道嵐山本線・北野線ですが、一般的にもテツ的にも呼び方はもっぱら「嵐電(らんでん)」。交差点の南西角に建つイズミヤは昔から変わらぬ佇まいですが、片や駅舎・プラットホームに関しては昨年の3月に改築工事が竣工して風景が一変していました。
18年前の2004年3月に撮影した旧駅舎とプラットホームの写真があるので、一緒に貼り付けておきます。この年の大河ドラマのテーマが新選組ということで、のりば手前には誠の旗が。当時の運賃は大人200円だったほか(2022年現在は220円)、土日祝日には現在は休止となっている嵐山への直通列車も運行されていました。
窓口のある駅舎内部。クーラーが効いているので酷暑の時には助かりますが、今日は幸いそこまでではありません。
構内配線は以前の3面2線から2面1線へと縮小。イレギュラーな事態に備えて電車の縦列停車ができるようにホームはかなり長く取ってありますが、これ、閉塞の件は問題ないのでしょうか。下の写真の撮影時は丁度電車が発車するタイミングでしたが、10分間隔で急くまでもないので次の電車を待つことに。てっきり吊り掛け駆動かと思いきや、インバーターサウンドを奏でながら出発していったのには意表を突かれました。
で、もう1線の跡地はというと、このような↓電車とシームレスに乗り継ぎ可能なバスバース(ホームとの間に高低差はありますが)に。一旦はいいねえ国内にしては先進的だねえと感心しかけたのですが、実は春・秋の観光シーズンに運行される臨時バスのみが発着するという極めて限られた運用となっていました。この配置だと西大路通と今出川通(の北野白梅町以東)のいずれにも直接出られないので仕方がないのですが。
駅の観察をひととおり終え、折り返し帷子ノ辻(かたびらのつじ)行きとなる電車を迎えます。今度はみんな大好き吊り掛け電車でした。
嵐山本線には併用軌道がありますが、こちらの北野線は全線専用軌道(+全線単線)。東の江ノ電とは姉妹提携を結んでおり、車両のカラーリングの「相互乗り入れ」も実施しています。京都は嵐電・叡電・京阪大津線とライトレール天国ですね。これも1895(明治28)年に日本初となる電車の営業運転を始めた先進都市のプライドでしょうか。
帷子ノ辻で嵐山行き電車に乗り換え。無人駅では車内収受を実施しますがこちらは有人駅なので改札内乗り継ぎとなり、乗り換えに際して運賃を払い直す必要はありません(下車駅にて1回限りの支払い)。東映京都撮影所を沿線に擁する路線らしいコラボレーションとして、乗ってきた電車は外装と車内広告がシン・ウルトラマン一色となっていました。
乗車する電車の到着前に、嵐電最古参のモボ101形が教習車として入線。車体と台車は後年に更新されているものの、電装品が1929(昭和4)年の製造時のままなので車籍上は94年目に入っています。ここまで来るとテセウスの船のパラドックスを地で行っているわけですが。
乗り換え時間を含めると北野白梅町から27分で嵐山に到着。この界隈へは2年前の今頃にも訪れているので改めてカメラに収める必要は然程ないのですが、当時とはレンズは同じでもボディが変わっているので一応撮り直しておきます。ちなみに中級機と高級機なので値段は3倍違うのですが、その価格ほどの画質差があるかというと「無い」ですね、これはもうきっぱりと。動体撮影でシビアなAF追従・連写性能を追求するのでなければ、ボディよりもレンズの光学性能や現像ソフトのアルゴリズムの巧拙の方がずっと重要かと思います。
こちらもまた修学旅行生わっさーなので、1円も落とさずにさっさと阪急嵐山駅へ移動。タレントショップが乱立していた頃の景観は醜悪そのものでしたが、さすがに今は当時の反省を踏まえて不快な要素はほぼ根絶されています。強いて挙げるならば人力車の声掛けくらいでしょうか。
復路の京都線も混雑する特急を敬遠して準急でゆっくりと。往復2時間弱という時間も、スマホで積ん録の映画を視聴するのに却って都合が良かったです。さてさて、梅雨明け後のお出掛けはどうしましょうかね。外は暑いですし、久々に乗り物に乗りっぱなしの旅というのもいいなあ。この情勢だと来年どころか数か月先の事でも鬼が笑いそうですけれども。
今日の歩数カウント:12,854歩
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