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2022.07.23

22/07/04 (7)416年目の熊本城で(前編)

 6年ぶり二度目の熊本城訪問は加藤清正公との再会からスタート。前回は加藤神社の境内から眺めるだけだった天守閣も、今回は特別公開ルートを経由して内部の見学が可能になっています。
〔2016年11月の訪問記はコチラ⇒〕 410年目の熊本城で(前編 / 後編


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 とはいえグッドニュースもあればバッドニュースもあり、前回訪問時には奇跡の一本石垣で辛うじて持ちこたえていた「馬具櫓(ばぐやぐら)」も、その後の度重なる余震で崩落してしまったとのことです。下の写真がそのビフォー(上)&アフター(下)。


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 坪井川を行幸橋(みゆきばし)で渡り、城郭内へ。直進ルートの行幸坂は現在のところ下りの一方通行となっているので、特別公開エリア入口へは一旦『桜の馬場 城彩苑桜の小路』を経由して向かいます。前回は大いに賑わっていたこの物販・飲食施設も、今にも雨が降り出しそうな天気のせいか人影は疎ら。後ほど実際に降雨があり軒先に避難させられていたので分かりましたが、ここにあるくまモンの台座にキャスターが付いていて可動式になっているという、割とどうでもいい気づきもありました。


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 階段を登った先にある未申櫓(ひつじさるやぐら)は健在です。


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 南口から特別公開エリアの南ルートへ。入園料金は800円(高校生以上)ですが、わくわく1dayパス呈示で20%引きの640円となりました。南口~本丸御殿間は、復旧工事中につき見学者が作業の妨げとならぬよう、そして見学者の安全確保のため、下の写真のような空中回廊で通過するようになっています。如何にも仮設という風ではなく、本設に近いがっしりとした造りなのにちょっと感心。


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 下部の石垣が一部崩落した、数寄屋丸二階御広間(すきやまる-にかい-おんひろま)


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 天守をモルタル吹き付けで仮固定された石垣越しに。


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 カメラを右に振って、天守と本丸御殿(写真中央~右)。


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 更に右に振って、この先の空中回廊を。眼下のグランドレベルには、熊本地震前の見学者用案内板がそのまま残っています。幸運にも被災前に訪問済みの方は、視点が変わった今ならばまた新鮮な気持ちで見学ができるかもしれません。


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 奇跡の一本石垣で有名になった飯田丸五階櫓と石垣は、調査とその後の復旧工事のために解体されています。


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 再び旧見学コースを見下ろして。


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 築き足しによって緩急二重になっている「二様(によう)の石垣」。本来は上辺が面一になっていたのですが、地震の影響で左側の後に築き足された方が沈下しています。


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 「東竹の丸の櫓群」は、石垣外側への崩落を防ぐために一部の櫓(写真では右の方)がワイヤー及びふとんかごで固定されていました。


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 武者返しの美しいRを様々な角度で眺めつつ、


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 エレベーターまたは階段でその石垣の高さまであがります。


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 空中回廊の終点は、儀礼や藩主の政務などが行われていたという本丸御殿。二つの石垣をまたいで建てられているという特異な構造をしており、それゆえこの下には……


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 このような「闇り(くらがり)通路」と呼ばれる地下通路が走っています。こちらは地震での目立った被害はなかったとのこと。


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 闇り通路の入口を北側から。建物が石垣を跨いでいるのがお分かりでしょうか。


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 とうとう間近で眺めることの出来た天守閣(左が大天守、右が小天守)。見た目こそ被災前と同じでも、中へ入ってみれば随所に耐震補強工事が施されているのがわかります(下2枚目の写真が一例)。1960(昭和35)年に再建された建築物(=現存天守ではない∴文化財としての価値は低い)ではあるものの、これはこれで感慨深いものですね。なお、内部公開の再開は熊本地震発生から5年後の昨年6月28日(※COVID-19の影響で当初予定していた4月から2ヶ月延期)と意外に早かったのですが、それには某所から30億円の寄付があったという理由も大きいようで。これも日本の船舶が振興されたお蔭です。一日一善、お父さんお母さんを大切にしよう!


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 尤も、すぐ横の区域はほぼ手つかずの状態です。


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 左の細川家の「九曜(くよう)紋」と右の加藤家の「蛇の目」、二つの家紋に迎えられながら天守閣内部へ。入ってすぐの小天守地下1階には台所として使われていた穴蔵、そして城内に120本以上掘られたという井戸があります。武者返しや籠城戦に備えたこれらの井戸など、熊本城の堅牢な設計には朝鮮出兵に於いて加藤清正が指揮官を務めた「蔚山城の戦い」の痛ましい経験が遍く反映されており、その難攻不落さは奇しくも“太平の世”が終わりを告げる270年もの後に実戦にて証明されることになります。


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 1階から5階は熊本城の歴史を伝える展示室。パネル・模型・レプリカはもちろんオーディオヴィジュアルがふんだんに駆使されており、ここは被災前から劇的に進化した部分と言えそう。私はへそ曲がりなので上述の某所──これもいま話題の統一教会案件?──が展示内容に口出ししてるんじゃないか?と訝しんでいたのですが、今回はそういうわけでは無いようでした。


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 じっくり見学している時間はないのでササッと眺めていきますが、蒸し暑さのせいでしょうか、熱中症かどうかは不明ながら体調にやや異変を感じ、少しだけ椅子に座って休むことに。陽射しはなくとも油断は大敵ですね。そんな前厄かつ不惑の四十の私とは対照的に、修学旅行生はただひたすら元気です。羨ましくはないものの、30代までとは質的にまるで異なる体の変化を痛切に感じる……


 加藤時代の1F→細川時代の2Fと来て、西南戦争を扱う近代の3Fへ。戦力の上では劣勢に立つ政府軍ながらも西郷軍の侵入を一歩も許さなかったという近代戦にも耐え得る城郭の防衛力の高さは、provenであることを最重要視する歴史研究の面からもお墨付きを得ている由。五稜郭は海に近かったこともあり、艦砲射撃によって(不完全な設計なりの)本来の防衛力を活かせずに陥落してしまいましたが。


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 写真が多いので、続きは後編にて。

(2022.07.04)

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