22/07/04 (5)大牟田駅/JR鹿児島本線【大牟田→熊本】
次の電車までの待ち合わせ時間は17分ですが、前記の理由で2分マイナスの15分に。下1枚目の写真は西鉄大牟田駅改札口です。西鉄電車のりばであることがやけに強調されていて少々不自然に思えたのですが、これには訳が。昨春まではこの横にJRの改札口が併設されており、西口として両社で共用していました。表へ出ても(※下2枚目の写真)大牟田駅の表示のみで西鉄の文字がどこにもないのはその為。
駅前広場には1927年から1952年まで運転されていた西鉄大牟田市内線の車両が静態保存されています。大牟田にも路面電車が走っていたんですね。昨春からはカフェとして営業している(→市の紹介ページ)のですが、こちらの204号電車、当地で安住を得るまでにはすこぶる濃密なドラマがあったようでして。軌跡がWikipediaの該当ページ(西鉄200形電車 (軌道))に簡潔にまとめられているので、ご興味があれば一読を。
JRの西口なき今は、この隣の東西連絡橋を使います。下2枚の写真はその連絡橋から駅構内を見下ろしたところ。街の(ステレオタイプな)イメージの体現といいますか、整然とした西鉄福岡駅とは正に対極のTHE雑然、という印象です。
西口と入れ代わる形で開設された連絡橋口から入場します。なお、西口廃止の理由はバリアフリー対応。西口側には跨線橋のエレベーターが無かったために①西口→②東西連絡橋→③東口→④跨線橋→⑤JRホームと大回りを余儀なくされていたものが、こちらの連絡橋口開設によって東口を経由することなく跨線橋へ直接アクセス出来るようになり、エレベーターでの垂直移動も4回から2回に減ったとのことです。
……という経緯を踏まえていなければ、2・3番ホーム入口奥の壁も単なる壁としか認識できないわけでして。
西半分がカットされたり、はたまたエレベーターや連絡橋口が継ぎ足されたりしながら使われている年代物の跨線橋。ちなみに1999年に改札が分離されるまでは、この跨線橋だけでJR・西鉄両社のプラットホームの往来が可能な共同使用駅として運用されていました。西鉄ののりば番号が4~8とJRからの通しになっているのがその名残。
こちらも年代物の1番のりば。11両編成の特急列車を停めてなお余裕のある、300メートル近くにわたる長大なプラットホームが往時を偲ばせます。2011年の九州新幹線全通後は通勤ライナーポジションの列車を除いて特急列車は廃止され、その残った列車も昨春のダイヤ改正にて全廃。それで話が終わればまだマシなのですが、2018年春のダイヤ改正で閑散時間帯の列車はすべて鳥栖発着となり、博多方面へ直通する普通・快速列車が消滅してしまいました。対博多ならば快速列車も西鉄特急に伍するスピードなので競合関係を維持していたのですが、何故に進んで自滅を図るのか…… 新幹線をご利用くださいと言われましても、中心市街地からは自動車で15分前後を要する新大牟田駅か、在来線との併設ながら昼間は毎時1本の<つばめ>が停車するのみの筑後船小屋駅という選択になりますので。まあ、いずれにしても不可解と評するほかないです。
改札口の隣に展示されている「ロボ大蛇」。本来ならば手を振ると動き出すらしいのですが、エラーを吐くWindows XPの画面を映したモニターを目にして、ああお察し…と試すまでもなく見送ることに。
今一つテーマが不明瞭なラブラブベンチもありました。
ほんの短い大牟田駅滞在を終え、アンカーの11時21分発普通八代行きを迎えます。使用車両は先刻の西鉄特急と違って想定通りのオールロングシート車、815系。2両編成ということで、この長いホームの中央にぽつねんと停まります。以前は熊本方面へも廃止された特急の代替として「くまもとライナー」と称する快速列車(*注)が運行されていましたが、こちらは2015年春のダイヤ改正で廃止に。そして荒尾~玉名間は今秋のダイヤ改正で現在の昼間毎時2本から1本へ削減…だそうです。ホームで到着を待っていた乗客の面々には、西鉄特急の車内で見た顔も。<高速ひのくに号>の西鉄天神高速バスターミナル~熊本駅前間の運賃が2,500円なので、西鉄+JRで合計1,990円の当ルートが福岡~熊本間を公共交通で移動する場合の最安ルートとなっています。
*注:廃止時点で、大牟田~熊本間では12駅のうち南荒尾・大野下・肥後伊倉・田原坂の4駅を通過。
ワンマン列車ということで比較的空いていそうな後ろのクモハ、連結部側の車端の席に腰掛けます。ガラ空きになるタイミングが皆無だったので車内の写真は無いのですが(外観の写真は最後にまとめて貼ります)、さてシートの座り心地は…… うむ、やっぱり薄い・硬い。しかも1999年生まれにも拘らず209系やE217系の水準にすら達していないという体たらく。尤も今回のJR線乗車は \ゲテモノ大博覧会/ の観覧というつもりで来ているので、いまさら驚きも失望もないのですが。後日乗車する車両と比べれば、体重のかかる部分が全てクッションでカバーされているだけ「マダマシ」でしょう。唯一、今回はヘッドレストのついている席に座ったのでその部分だけちょっぴり加点しておきましたが。大牟田~熊本は22年前に同じ方向へ通過した区間で、当時はあのHall of Fameたる787系<つばめ>(ビュッフェやセミコンパートメント・個室付き、グリーン車はアテンダント乗務・フリードリンクサービスありetc.)のグリーン席利用だったので、我彼の落差が凄まじいものだと。デザイナーは同じなのにどうしてこうなった。噫、時代が下れば何もかもが良く・善くなると信じていたあの頃──
返す刀でもう少し批判しておくと、汚れが目立ちにくいはずのグレー基調のカラースキームながら、どうも車内が経年以上に薄汚れた感じがするのと、走行中の振動やモーター音が新系列車両とは思えないほどに激しかったということ。汚れは先の苦言の通りの「今更」なので言及したところで糠に釘ですが、振動の原因は軌道か車両かはたまた双方なのか、モーター音は貫通路の扉が省略されているという要因もあるのか。あくまで趣味的な観点ならば耳慣れない調律のインバーター音が興味深く、固定窓なのに時たまセミの鳴き声が聞こえてくる、どうして? と思ったら、減速時に酷似した音に聞こえる瞬間があるというこの季節ならではのミステリーでした。
大牟田を出るとすぐに県境を通過して熊本県へ。次の荒尾が中心駅の荒尾市は県都よりも福岡県側との繋がりが緊密なようです。岩国のようなものでしょうかね、JRの列車も大牟田を越えて荒尾を始発・終着とする便が豊富ですし。大牟田発車時点の乗車率は座席が半分埋まるかそれ未満という程度でしたが、11時41分着の玉名でまとまった乗車がありました。今秋のダイヤ改正に反映されているように、ここから南が熊本都市圏の勢力下ということなのでしょう。
▲大野下~玉名間にて
とうに県境は越えているものの、それらしき緩い峠越え区間になったのはその玉名の先。田原坂駅には古戦場の案内看板があり、甲冑を纏った男たちがワーワーやっているシーンを自動的に想像してしまったのですが、こちらは西南戦争の古戦場とのこと。アア、そっちでしたか。
乗降のない駅も含めて12駅に丹念に停まっていき、12時10分、大牟田からは49分で熊本へ到着(運賃は大人950円)。車内もこの時点では近郊で集めてきた乗客で立客多数となっていました。川西池田からだと6時間48分、特段ノンビリ進んだつもりはなけれども、時刻はもう正午過ぎ。趣味に合理性を求めるのはナンセンスとはいえ、新大阪6時00分発の<みずほ601号>ならば9時02分、『トクトク!ひかり・こだま』利用の<ひかり591号>⇒<つばめ317号>乗り継ぎでも10時29分に到着できるという事実をここに謹んでご報告しておきます。
電車が八代へ向けて再出発していく前にパパッとエクステリアを撮影。外板と窓がツライチになっているデザインは美しいと思いますし、確かに乗ってみたいと感じさせる「引き」は私とて認めるところではあるものの、機能性が伴わなければ全てが台無し。以前に水戸岡デザインを「出落ち」「雰囲気番長」と評したのは(→当該記事1・2)、我ながら秀逸すぎる表現でした。この盗作…じゃなかった、倒錯へ向かう誘惑と常に闘い続ける意識、デザインや建築を志す者ならばイの一番に徹底的に叩き込まれるキホンの筈なのですけれどね。やはりこの業界も自浄作用のないパンデモニウムということなのでしょう。この点、安藤忠雄あたりは渋谷駅の件などでコンスタントに叩かれてはいるのですが、水戸岡鋭治/ドーンデザインに関しては何か特殊なシールドでも展開しているのかほぼ無傷というのがまたミステリーです。とはいえ意外性は無いですけれどね、鉄道業界・趣味界隈は権威に靡く風見鶏がやたらと目立ちますので。
まだまだ論難し足りないものの、これはナントカジャーナルの自己満足記事ではなく愉快な旅行記なのでここはいったん矛ならぬペンを収めるとして。次回からはくまモンランド編です。
(2022.07.04)
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