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2022.11.26

22/10/06 (4)あいち2022 Part6【有松会場II】

 引き続き有松の町並み保存地区を歩きます。安藤家住宅(下の写真2・3枚目)と小塚家住宅(同4枚目)を過ぎた角を北へ。


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 電車の通過を待ち、名鉄名古屋本線の踏切を横断。カーブの向こうから特急・急行電車がかなりのスピードですっ飛んでくるのでスリリングです。こうして見ると線路には結構勾配がありますね。


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 突き当たりにある有松天満社。ここを右に曲がり、一旦駅方向へと戻っていきます。


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 老舗の絞り染め工房「張正」では、1000個のガラス玉の雨の中を通り抜けるという体験を。作者の出身地であるオーストラリアの先住民居住地近くで1950年代にイギリスの核実験が複数回実施され、こちらの作品はそれによって傷ついた人々と土地の記憶を忘れることなかれという意味が込められているのだそう。


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▲イワニ・スケース/Yhonnie Scarce「オーフォード・ネス」


 駅前を経由し、今度は県道237号線の東側のエリアへ。トリエンナーレの屋内展示はこちら側には1か所だけですが、観光地としては寧ろこちらの方がショップが多く賑やかな印象です。有松・鳴海絞りは機械では容易に工程を代替できない手工業製品だけに当然どれも高価なのですが、日用小物類ならば比較的お手頃。それでも最低価格帯のハンカチですら3千円以上の値札が付いていたので、他人へのお土産にしても心を込めた部類に入るでしょうね。


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 今回のトリエンナーレのトリとなる屋内展示会場、「旧加藤呉服店」。……の筈だったのですが、片方は週に一度の手芸部が実施されていて参加者が写ってしまうために写真は撮れず。もう片方の「ティカ・レーベン(マットのリボン)」(イー・イラン/Yee I-Lann)を載せておきます。


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 最も東のピープルズ・ウォール2022(名古屋有松郵便局;下1枚目の写真)にて回れ右。今朝からの胃痛が一時治まったものの再びぶり返してきましたが、旅ももう終盤なので胃薬追加投入でラストまで飛ばしていきます。


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 こうして4会場を周り終えて形だけでもまとめなければならないのですが、総合的には既にPart1冒頭で述べた通りの印象、そして本命の常滑と有松については弥が上にも町並みとアートとのシナジーを期待してしまうものの、結果としては添え物程度で落胆。ここ有松ではトリエンナーレと全然関係のない生け花サークルに鎧袖一触されてしまっていますし。こういったインスタレーション作品全般に言えることかもしれませんが、100年オーダーの歴史の重層にせいぜい数ヶ月~数年で制作されたものがそう易々と融和するわけがないですからね。芸術祭を通した社会問題へのコミットメントの点でも、例えばSustainable Development Goalsなんて3単語によくもこれだけ矛盾を詰め込んだねという概念が母語の崩壊した日本社会のみならずワールドワイドでもすんなり人口に膾炙し(ているように見え)、良識派と目される人々ですら馬鹿真面目に叩き台にしているというグロテスクな現実があるわけですが、それに疑義を呈するでもなく自明のものとして作品の紹介文中で使われていたりもすると、メタ認知を伴わない意識の高さというのは話を余計に拗らせる原因にしかならないな…という思いが亢進するばかりでして。経済格差も環境・人権問題も○○差別も本を正せば単純に配分システムの不備、過剰なモノ・サービスの生産・消費、過剰な生殖、過剰な医療リソースに根差すわけで、そこに触れることなく寸止めで神妙さを演出するというのは家畜の処世術──「アートには戦争を止める力は無いけれども自身の生き方を選ぶヒントにはなる」式の自閉的な──としては常道なれども、表現者としては自死に等しいですよと。尤も、「本能由来の公理のはずが、実は不合理なシステムを維持するための方便として刷り込まれたアポステリオリなものだった」というマインドセットの揺らぎから生ずる強烈な嫌悪感を催す表現を、果たしてこのような大規模な芸術祭で行えるのかという根本的なパラドックスが存在するわけですが。きっとこの内容“だからこそ”、波風を立てることなく延べ49万人もの観客を動員できたのでしょうしね。すると今度はこういった有料イベントを無報酬かつ大量のボランティアスタッフで支える正当性についての話に言及しないわけにはいかないのですが……そちらはまたの機会があれば。例え何万文字費やそうとも打てど響かずなのでこの一段落だけで終わりにしておきますが、結局はこの一言に尽きますね。「やるなら真剣にやれ」。


 観覧を終えたのは午後4時前。オッ、ちょうどいい時間ではないですか。然らば旅の仕上げに奮って片付けに行きましょうか、「ラストワンマイル」を!

(2022.10.06)

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