23/03/20 (4)湯浅再訪 その2
北町通りを西進。江戸末期から明治・大正にかけての意匠を凝らした建築が高密度に並ぶ、フォトジェニックな通りです。前回訪問時には勘違いしていましたが、下の写真1・2枚目の「津浦家」は麹屋の看板を掲げてはいるものの現役の店舗ではありません。
「加納家」(下1・2枚目の写真)。黒漆喰仕上げは建築当時の大正期に流行したのだとか。
13世紀に南宋(現在の中国)から伝来した嘗め味噌「金山寺味噌」の桶底に溜まっていた液体から着想を得て醸造が始まった、というのが現代の醤油の(諸説あるものの有力な)起源とされており、元醤油醸造家の「太田久助吟製」(下1・2枚目の写真)では現在はその金山寺味噌の製造・販売が営まれています。
今日は平日ということもあり、パラパラとしかいない観光客は静かに散策を楽しんでいます──日本人に限っては。第1回の記事冒頭で記した“行動制限”とは、端的に言えば白黒黄色全部ひっくるめての訪日外国人を全力で回避するという意味合いなのですが…… 大阪・京都・奈良のようなメジャーどころではないのでひとまずリラックスしていたら、一組だけとはいえここにも居た。東アジア系/集団行動/女性の服装が原色基調/中国人ほど極端に野暮ったくはない、ということで、多分韓国からですね。少なくとも15年程前から変わらぬままの印象なのですが、やはりオモニの子はオモニなのか。そんな与太話はともかくノーマスクで騒いでいるのは事実なので、コイツら(最早コイツ呼ばわりです)とは物理的に距離を置いて散策を続けましょう。
小路を少し南方向へ戻ると、こちら↓の『甚風呂』が。昭和の終わりまで営業していた元銭湯なのですが、わりと大規模かつ公共性の高い施設でありながら路地裏の奥まったところに建っている、という立地の意外性が特徴的。2004年時点では非公開となっていましたが、後年改修工事が実施されて現在は内部が一般公開されています。(下の写真8枚目はボイラールーム)
奥の住居部は歴史民俗資料館になっています。庭には江戸時代に掘られた井戸も(下の写真4枚目)。なお、こちらも旧栖原家住宅と同じく入館は無料。
また北上して北町通りへ。醤油蔵の並ぶ通り(下の写真3・4枚目)の一角には1841(天保12)年創業の湯浅醤油の老舗、「角長(かどちょう)」の販売所がありますが、「アイツら」が占拠中なので先に大仙堀へ立ち寄っていくことに。
全品100円均一という有田の柑橘類の無人販売所。こういう時には車があれば…と思いますが、まあ、思うだけですね。やっぱり公共交通の方が気楽なので。
先述の山田川河口に位置する内港で、醤油の原材料や製品の積み下ろしに使われていた大仙堀。大正から昭和初期にかけては当時ここまで路線が延びていた有田鉄道の貨物輸送を介して、ミカンや紀州材の積み出し港にもなっていたとのことです。輸送モードが自動車に置き換えられた現代では、醤油蔵とセットの景観が水運の時代を今に伝える湯浅のシンボルとして親しまれています。
道路(=かつての線路跡)を渡った反対側、河口の船だまりの景観もなかなか素敵。
漁民の守り神、恵比須神社。周辺が埋め立てられる前は海に面していたそうです。現在の海岸までの距離は約500m。ビクトリアハーバーを埋め立てまくった結果の香港・灣仔のアレですら800m強なので、確かに随分後退しましたね。
時間を置いたところで上記の角長(下1枚目の写真左奥)へ。入ってみるとここは本当に販売所だけだったので、はす向かいの小さな資料館「湯浅職人蔵」(同2・3枚目;入館無料)へ案内してもらいました。その更に南隣にはもう少し大きな民具博物館があるのですが、こちらはコロナ休館中。
この時点で午後0時40分(湯浅駅到着から約2時間)。ランチは当初広川町側の店でと考えていたのですが、朝食が早かったために空腹でそこまで辿り着けそうもない、ということで、Googleマップで適当に至近の評判好さげな店を探すことに(食べログ?アレは全然使えませんね~)。
入ったお店「がけっぷち」のランチメニューの人気No.1は唐揚げ定食(税込980円)とのこと。海辺だし寿司定食もいいなぁ、値段もお手頃だし…と二択でウンウン悩んだのですが、ここは地元の常連客各位の舌を信じてNo.1メニューをチョイスです。
到着したお膳はこちら↓。大ぶり&山盛りの唐揚げに小鉢2種、そしてほぼほぼフルサイズのきつねそばと、980円という値段からして完全に不意を突かれた形です。マップのレビューにフリットみたいなサクサクとした食感の衣とありましたがその通りで、唐揚げの味付けもそばつゆも旨みが溢れんばかりで絶品。その秘訣は…って、どう考えても醤油としか思えないのですけれども。嗚呼、「孤独のグルメ」ばりにモノローグが迸る。これは真面目に今までの人生で一番美味しい唐揚げでした。湯浅町、商業の中心こそ国道沿いなど郊外に移ってはいても、粒ぞろいの飲食店は寧ろ旧市街地エリアに集中している模様で。これぞ750年の伝統を受け継ぐ醤(ひしお)の町の底力!? 量が多くて唐揚げが2個残ったため、これらは持って帰ることに。いやはや、脱帽です。
<以下余談>これだけ高水準でも客入りは日によってムラがあるらしく、少ない日は食材が余ってもったいない…と常連客との会話の中でボヤいていらっしゃいましたが。多少風味が落ちたとしても冷凍できるものは基本冷凍で全然構わないのですけれどね、サスティナブルな意味で。
気力がフルチャージされたところで、広川町エリアへ向けてウォーキングを再開。19年ぶりに再訪した湯浅の町並み、変わっているとはいっても程度としては間違い探しクイズの正誤比較のようなものと感じました──これは褒め言葉です──が、その一方でボロボロだった町家が改修されて見学施設や休憩所になるといった好ましい変化も少なくはなく、重伝建地区に関しては観光化へ舵を切ることなく「ありのまま」に保存するという方針が堅持されていたようで安心しました。うむ、死角は一切ナシの100点満点!
次回は広川町編です。
(2023.03.20)
« 23/03/20 (3)湯浅再訪 その1 | トップページ | 23/03/20 (5)広川町広地区 »
コメント