カテゴリー「II-03 62時間四国一周・バースデイきっぷの旅」の37件の記事

2009.12.04

2008年夏 62時間四国一周・バースデイきっぷの旅 行程表 / 最初のページへ

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7/18(Fri)神戸三宮 ―[ジャンボフェリー]→
7/19(Sat)高松坂出大歩危高知 ―[ごめん・なはり線オープンデッキ車両]→ 奈半利安芸伊尾木駅 → 夜須駅赤岡町・絵金祭り → 高知
7/20(Sun)高知宿毛窪川 ―[予土線トロッコ列車]→ 宇和島 → 松山
7/21(Mon)松山(伊予鉄道路面電車坊っちゃん列車) ―[予讃線特急]→ 多度津阿波池田穴吹(脇町)徳島高松 ―[高速バス]→ 神戸三宮


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62時間四国一周・バースデイきっぷの旅 Epilogue

バスの発車時刻まで30分近くあるので、旅の最後のダメ押しに駅構内の立ち食いうどんの店で、夕食代わりにちくわ天うどんを食す。スピード第一の店なので味は二の次ではあるが、列車出発までの僅かな時間で腹ごしらえをする人で結構賑わっている。客スペースが2ヶ所に区切られていて、ホーム側だけではなく改札外からも利用できるのが特徴だ。

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《店の外観はホーム側から撮影》

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2009.12.03

四国62h (3-11)メビウス、完成

徳島線普通 穴吹(16:23) → 徳島(17:20)

ホームのベンチでここへ来るまでの僅かの間にデロンデロンに溶けてしまったシャーベットをかき込んでいるうちに、徳島行き普通470Dが阿波池田から到着。転換クロスシート装備の最新鋭車両である1500形を期待していたのだが、やって来たのは1200形。1990年から導入されている1000形気動車を改番したもので、従来型気動車と連結器に互換性のない1500形との併結対応で改造が施され、カラーリングもコーポレートカラーの水色からグリーン基調のものに一新されている。

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《実際に乗った列車ではありませんが、同形式の車両です》

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2009.12.01

四国62h (3-10)うだつは上がる、気温も上がる(後編)

町並み保存地区は東西に走る約430mのメインストリートに沿って展開しているが、この脇町の最大の特徴が各戸の両端に立ち上がる「卯建(うだつ)」と呼ばれる壁。もともとは火災の延焼を防ぐための防火壁として造られたものだが、時代が下るにつれて次第に装飾が豪華になってゆき、やがてその家の財力を誇示するような意味合いが強くなっていった。「一向に立身出世しない」という意味の「うだつが上がらない」という慣用句はここから由来している。

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《卯建の町並みを西方向を向いて撮影》

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2009.11.30

四国62h (3-9)うだつは上がる、気温も上がる(前編)

2005年に発足した美馬市(みまし)の玄関駅である穴吹駅。駅名の由来となっている元・穴吹町の中心市街地はここから少し南東の穴吹川沿いに広がっているが、私が目指すのは吉野川対岸の脇町地区。駅からは少し距離があってコミュニティバスも運行されているものの、一日にたったの4往復しか走っておらず実用的ではないため(一応時刻表にリンク)、タクシーによる連絡が主流。2~3km程度とはいえ往復タクシーというのは財布にもキツいので、往路は吉野川の堤防沿いを歩いて向かうことにした。

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《穴吹駅・駅舎》

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2009.11.29

四国62h (3-8)四国縦断特急リレー(アンカー編)

特急剣山8号 阿波池田(13:34) → 穴吹(14:06)

《剣山8号》に使用される車両はキハ185系。国鉄民営化直前の1986年に導入された車両で、車内の艤装にバスと共通の部品を使用したりと徹底的なコスト削減を図っているが、その一方で投入当初から普通車でもフリーストップリクライニングシートを採用するなど、JR化後の飛躍的なアコモデーション改善への先鞭をつけた形式とも呼べる。「剣山」は全区間徳島県内を走るローカル特急で、運転間隔も2~3時間に一本のペース。徳島線はJR化後も結構長い期間、「よしの川」という急行列車が一大勢力を維持していた路線でもある。かつては「しおかぜ」や「南風」として四国全土を駆け巡っていたキハ185系だが、2000系の登場後は急速に活躍の場を縮小し、今では特急運用としてはここ徳島線と牟岐線、そして高徳線のごく一部に残っているのみ。余剰車は九州に渡って第二の人生を歩み始めたり、島内に残った車両も一部が普通列車用に格下げになったりと、登場後20余年という鉄道車両としては決して長いとはいえないライフサイクルの中で、何かと数奇な運命を辿る兄弟の多い形式である。

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2009.11.27

四国62h (3-7)四国縦断特急リレー(第二走者編)

四国の二大幹線・予讃線と土讃線の分岐駅である多度津。1889(明治22)年5月23日、讃岐鉄道により丸亀~琴平間に国鉄およびJRの系譜を辿る路線としては四国で初めての鉄道が開通したことから、四国鉄道発祥の地とされている。また、駅至近には構内から連絡線でつながっているJR四国唯一の車両工場(多度津工場)があり、四国随一の鉄道の町となっている。

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《多度津駅・駅舎》

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四国62h (3-6)四国縦断特急リレー(第一走者編)

特急しおかぜ・いしづち14号 松山(10:20) → 多度津(12:20)

この列車は前5両が岡山行き《しおかぜ14号》、後3両が高松行き《いしづち14号》の二層建て列車。2両編成から7両編成まで一両単位であらゆるコンビネーションが存在する2000系気動車に対し、8000系電車は5+3両のペアに統一されていてシンプルだ。2004年から2006年にかけて指定席車両とグリーン席がリニューアルされ、更新後に乗車するのは初めて。グリーン席は《しおかぜ》編成にのみ設置されており、松山駅ではその8号車はホームの先端に止まるので、ホーム上を延々と歩く羽目に。

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《流線形の顔が特徴の8000系電車。ここまで鼻の長いスタイルは在来線では珍しいです》

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2009.11.25

四国62h (3-5)松山市内線全線制覇 Part5

日本三古湯の一つ、道後温泉。旅行記の本題ではないので解説は省略するが、最寄り駅である道後温泉駅は明治28年に軽便鉄道として開業し、現在の駅舎は明治44年に建てられた前駅舎を完全再現して昭和61年に新築されたもの。明治末期から昭和末期までの長きに亘って使われていた旧駅舎に続いて、当駅舎は二代目にあたる。松山空港や松山観光港からは直通のリムジンバスが運行されており、駅周囲は松山随一の交通ターミナルとなっている。

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《道後温泉駅・駅舎》

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2009.11.24

四国62h (3-4)坊っちゃん列車に乗ってみました

*時系列上では「松山市内線全線制覇 Part4」に相当しますが、検索エンジン対応で改題しました。

坊っちゃん列車 古町(08:41) → 道後温泉(09:06)

8時40分前、10分毎に松山市駅行きの電車が発着するホームに、蒸気機関車?に牽かれたミニ客車が入線してきた。2001年、松山ゆかりの歌人・正岡子規の没後100年、そして翌年に松山城築城400周年という節目の年を迎えるにあたって、観光振興の目玉として松山市と伊予鉄道が足並みを揃え、鳴り物入りで登場した『坊っちゃん列車』である。

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《坊っちゃん列車第2編成。道後温泉駅ホームにて到着後に撮影》

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